―― その時、生まれて初めて寒くもないのに全身に鳥肌がたった・・・・ 宣戦布告 (最近、避けられてねえか、俺・・・・) 普通科の生徒が比較的多く行き交うエントランスで土浦遼太郎は思わずため息をついてしまった。 探している相手は普通科の生徒だし、わりと人に演奏を聴いてもらうのが好きな奴だからもしかしたらここかもしれないと予想をつけて来てみたのだが、どこを見ても生憎とヴァイオリンを抱えた赤茶の髪の探し人の姿は見えない。 どうやら『今日も』空振りらしい。 (今日で3日たつよな。) 探し人 ―― コンクールに同じ普通科から参加している日野香穂子の姿を見なくなって。 もっとも元々がさほど仲が良くなければ同じ科とはいえ、敷地の広い星奏学院のこと。 3〜4日会わなくても普通。 しかし、元々が仲が良かったとしたら? 香穂子は3日前の第1セレクションが終わるまでは土浦の所へしょっちゅう練習を聞かせに来ていたのだ。 それは同じ普通科参加という条件の下、彼女が土浦に頼った結果かもしれないが、最近ではすっかり彼女が近くで練習しているのが普通になっていた。 それなのに、第1セレクションが終わった直後から、香穂子がぱったり姿を見せなくなった。 なんとなく気になって彼女の行きそうな所で練習してみたりしたのだが、一向に姿を見せずそのまま3日。 こちらが探しているにもかかわらず、これだけの時間すれ違っているという事は考えられるのは1つ。 (避けられてる、んだろうな。・・・・だが、理由が思いつかない。) 第1セレクション前日まで香穂子はにこやかに土浦に話しかけてきていたはずだ。 眉間に皺を寄せて考え込む体勢に土浦が入りかけた時、背中から聞き覚えのある声がかかった。 「あれ?土浦君じゃない。」 「天羽か。」 振り向けば一眼のカメラを首からぶら下げた天羽奈美がきょとんとした顔でこっちを見ていた。 「何よ、何よ。随分さえない顔ねえ。何かあった?」 「・・・・お前にそんな事、言ったら明日には新聞部の記事になっていそうだな。」 「うわっ失礼ね〜。あたしだって良識ぐらいもってますよーだ。そんな事言うんなら土浦君がきっと喉から手が出るほど欲しい情報、教えてあげない。」 腰に手をあててふんぞり返る天羽の言葉に土浦はどきっとする。 喉から手が出るほど欲しい情報・・・・それは・・・・ 「・・・・日野の事か?」 「ぴんぽーん。素直にさっきの失礼な発言、撤回してくれたら香穂子の行方を教えてあげなくもな・・・・」 「悪かった。」 セリフを全部言い切る前にすぱっと謝られてしまって天羽はがくっと崩れる。 「早っ」 「いいから。謝っただろ。あいつがどこにいるか教えてくれ。」 たたみかけるように言う土浦を見て、天羽は一瞬呆気にとられたような顔をして、それから少し笑った。 「結構、必死なんだ。」 「・・・・うるさい。」 「いいよ。教えてあげる。香穂子は今、練習室で練習してるよ。」 「練習室だな?」 それだけ聞けば十分とばかりに歩き出そうとする土浦に天羽は思い出したように言った。 「あたしも練習室の前を通っただけで中には入ってないんだけど、香穂子、随分思い詰めた感じで弾いてたよ。」 「思い詰めた?」 「うん。なんだか楽譜を睨み付けるみたいにさ。あたしが声をかけられなかったんだから、相当だね。」 冗談めかして言葉を結んだ天羽に、少し考えた後、土浦は「わかった。サンキュ。」とだけ言うと音楽科校舎の方へ足を向けた。 第1セレクション前まで香穂子が楽しそうに演奏する姿以外は見たことがない。 (何かあったのか?) 心当たりはまったくないが、それが自分が避けられている事と関係しているとしたら・・・・。 無意識に足が速まっている事にも気づかず、土浦は音楽科の練習室へ向かった。 ―― 感動した、悔しかった、恥ずかしかった、羨ましかった・・・・どれも当てはまって、どれも当てはまらない。 そんな想いをしたのは初めてで、何も考えずに彼に練習を聞かせていた自分が途方もなく間抜けに思えた・・・・ 音楽科の練習室は基本的には完全防音だから音は漏れない。 しかし本当に微かな音が漏れてくる事がある。 その中にヴァイオリンの音が混ざっている事に気が付いて土浦は眉を寄せた。 あまりにも聞き慣れていた音とは違う音だけど、この音はおそらく・・・・。 (いた。) 練習室1つに土浦はこの3日間、気になって仕方なかった姿を見つけて知らず知らずのうちにほっとため息をついた。 別に具合が悪いとか、そういうわけじゃないらしい。 しかし確かに天羽が言ったとおり今までに見たこともないくらい真剣な、思い詰めた表情で香穂子は必死に弓を動かしていた。 そして零れてくる音。 第1セレクションで順位は高くないながら、初心者から始めたにもかかわらず表情豊かで実に楽しげに奏でられ観客を唸らせた香穂子の音とは全く違う。 無表情に叩きつけるような音。 (どうしたっていうんだ?) 聞いているだけで息が詰まりそうな音に土浦が首を捻った、その時 弾かれたように香穂子がヴァイオリンを離した。 その仕草で何があったのかわかってしまった土浦は思わず練習室のドアを開けていた。 「おい、大丈夫か!?」 「土浦君!?」 いきなりドアが開いて、飛び込んできた人物を見て香穂子は目を丸くする。 その頬に赤い筋が付いている事に気が付いて土浦は大股で彼女との距離を詰めた。 「弦が切れたんだろ?頬が切れてる。」 「え?あ・・・・」 言われて驚いたようにほっぺたを触った香穂子は僅かな血の感触に目をしばたかせ、それから疲れ切ったようにため息をついた。 「・・・・替えの弦ないから今日はもう練習できないや。」 ため息と共にはき出された呟きに微かな苛立ちを感じ取って土浦はますます不審に思う。 (こんな言い方をする奴じゃなかったはずだ。何があった?) 「おい、日野。」 「何?」 「お前、何かあったのか?」 「え?」 首をかしげた香穂子は何もわかってないような顔をしていて、どこからか土浦の心に僅かな苛立ちがこみ上げた。 「なんであんな風に弾いてたんだって聞いてる。」 ぶっきらぼうに言い放った言葉を香穂子が理解するまで一瞬間があった。 そして理解した途端、香穂子はかあっと赤くなった。 「聞いてたの?」 「外通ったら聞こえただけだ。」 「うそぉ・・・・」 後に「最悪」と続きそうな言い方をされて土浦はムッとする。 「誰かさんがらしくもない演奏して、あげくに弦を切って傷まで作ってるから気になって入ってきたんだよ。」 しまった、これじゃまるで喧嘩売ってるみたいだ、と気が付いた時にはすでに遅い。 今度は香穂子の方がムッとしたように土浦をにらみ返してきた。 「らしくなくなんかない!」 「らしくないだろうが。お前、いつからあんな焦ったみたいな音で弾いてたんだよ。」 「焦ってなんかないってば!」 「客観的に自分の音を聞いてから言え。」 「うっ・・・・」 言葉に詰まって唇を噛む香穂子の姿に胸が痛んだ。 なんでこんなに彼女は追いつめられているんだろうか。 ・・・・どうして、第1セレクション前のように自分を頼ってくれないんだろう。 悲しいような、悔しいような気分で土浦は言った。 「第1セレクションのせいか?」 「!」 ぎくっと香穂子の肩が動いたのを土浦は見逃さなかった。 「そうなんだな。・・・・確かにお前は良い成績じゃなかったが、でも」 「違う!」 何とか彼女を元の彼女に戻したくて言った言葉は見事に切って捨てられた。 驚いて見れば香穂子は怒ったように土浦を見ていて、半ば叫ぶように言ったのだ。 「だって!土浦君の演奏があんまりすごかったから!!」 「・・・・はあ?」 思わず間抜けな声が出てしまって土浦は焦った。 これじゃまるで彼女を馬鹿にしたように聞こえてしまう、という危惧は見事に当たって香穂子はへしょっと顔を歪めると練習室の床にしゃがみ込んだ。 「いや、あのな、日野。別に俺は馬鹿にしたわけじゃ・・・・」 「うう〜、いいよ、フォローしてくれ無くったって。自分でも馬鹿な事言ってるってわかってるんだもん。」 元気のない声にますます焦ってとりあえず土浦も目線を合わせるためにしゃがみ込む。 それが功を奏したのか、香穂子はちょっとだけ顔を上げて土浦を見てくれた。 「ごめん・・・・八つ当たりした。本当はわかってるの。自分の音がおかしくなってるって。」 呟くように言って香穂子は深くため息をつくと膝に顔を埋めて呻く。 「わかってるんだけどさ、第1セレクションで土浦君の演奏を初めて聴いてからおかしいの、私。」 「お、俺の?」 動揺する土浦には気づかずに、香穂子は顔も上げずに頷いた。 「だって土浦君の演奏、本当にすごかったんだよ。客席で聞いてて、全身に鳥肌がたった。あんまりすごくてなんか、悔しいとか羨ましいとか格好いいとか、とにかく色んな感情がごちゃ混ぜになって・・・・。 で、ね、演奏が終わった時に気が付いちゃったの。あんな風に弾きたいって本気で思い始めてる事と・・・・今まで足元にも及ばないような演奏を土浦君に聴かせちゃってたって事に。」 「まさか、それでお前、最近俺を避けてたのか?」 音が180°変わってしまう程の影響を与えたのが他でもない自分だったと。 「・・・・うん。」 肯定された瞬間、土浦は香穂子が俯いたままでいてくれたことに心の底から感謝した。 顔を上げたままだったなら、一瞬のうちに赤くなるみっともない様を見られてしまったに違いないから。 (落ち着けよ。影響したのは『俺の音』であって『俺』じゃない。) 必死に冷静になろうとそんな事を考えてみるが、一向に動悸も口元に浮かんでくる笑みも収まる気配を見せずに。 とうとう、土浦は小さく吹き出してしまった。 「わ、笑った!?」 途端にがばっと頭を起こす香穂子がまたおかしくて、まずいとわかっていながら土浦は低く笑ってしまう。 「ちょ、ひどいよ〜。私は本気で言ったのに。」 「いや、別に嘘だなんて思ってねえし、馬鹿にもしてない。ただ・・・・馬鹿だな、と思ってさ。俺も、お前も。」 「ば、ばか?」 驚いたように目を白黒させる香穂子の頭をポンポンと叩いて笑う。 「ああ。馬鹿だ。俺はお前の音を、俺の足下にも及ばないなんて思ったことはないし、事実そうじゃないだろ?お前の音はお前の音だ。必死になるのは悪くないが、お前自身の音を潰しちゃ元も子もないだろ。お前はお前の音を必死で育てろよ。」 「う〜・・・・」 不満そうに呻く顔も、なかなか悪くない・・・・なんて思ってしまって、土浦は慌てて視線を逸らして誤魔化すように言った。 「それに・・・・俺はお前とは違うかもしれないが、お前の演奏に鳥肌がたったぜ。」 「え?ほんと??」 「ああ。こんな短期間で、あんなに表情豊かな演奏を出来る奴を俺は他に知らない。前回の結果こそ振るわなかったが、次はどうなるか、ってな。」 それは本当にセレクションの時に土浦が感じた事だった。 それが伝わったのか、香穂子はまだ少し控えめだが目を輝かせる。 「本当に?」 「本当だ。」 「ほんとに、ホントだね?」 「疑り深いな。俺は過大評価は嫌いだ。」 「よーーーしっ!」 ぐっとヴァイオリンと片手の拳を握りしめて、香穂子は勢いよく立ち上がった。 そしてつられて立ち上がった土浦にびしっと人差し指を突きつけて言った。 「決めた!」 「ああ?」 「ぜっっっっっったい、土浦君の好敵手(ライバル)になる!!」 突きつけられた指と言葉に一瞬、唖然として、次の瞬間、土浦はとうとう派手に吹き出した。 「うわっ、もしかしてすごい馬鹿にしてる?」 「してない。けど・・・くく・・・まさか、お前に宣戦布告されるとは・・・思ってなかったからな。」 まだ笑いの発作が収まらない土浦を下から睨み付けて香穂子は不満そうに言った。 「えーい、笑うな!絶対最終セレクションまでには土浦君が鳥肌立って、腰も抜けるぐらいの演奏してやるんだから!」 「はいはい。楽しみにしてるぜ?だから・・・・」 柔らかく笑って、土浦は香穂子の頬に付いた傷にポケットから出したバンドエイドを貼って言った。 「あんまり無茶はするなよ。俺は前のままのお前の音が好きだから、な。」 「!頑張ってみます。」 そう言ってにっこり笑った未来の好敵手に、土浦も不敵に笑って見せたのだった。 〜 END 〜 |