Pianissimo 〜どんなに小さくても〜
「昨日、耳が良いって言われたよ。」 香穂子の口から出てきた言葉に天羽は箸をくわえたまま眉を寄せてしまった。 学内コンクールが始まるまでは全然面識の無かった香穂子と天羽だが、取材やらなにやらで話しているうちに意外にも馬があった。 おかげで第二セレも終わった今では一緒にお昼も食べる仲だ。 話を元に戻して、今日も香穂子の教室でお昼を食べているうちに昨日音楽科の先生のレッスンを受けたという話になった。 で、その話をしているうちに香穂子が嬉しそうに言ったのが冒頭のセリフである。 なのになぜ天羽が眉を寄せたかというと 「間近で呼んで気づかない香穂が?」 そう、香穂子は呼びかけてもなかなか気づかなかったり、人の言葉を聞き違えたりする事に見事なまでの才能を見せている(?)奴だったからである。 「確かさっきも私はエントランスで香穂の名前を絶叫する羽目になったような気がするんだけど?」 「いや、だってあれは周りがうるさくて・・・・」 「真後ろで何度も呼んだ気がするんだけどねえ?」 「あ〜う〜・・・・」 実際さっき天羽に呼ばれている事に気が付かなかった香穂子は言葉に詰まって、意味不明なうめき声をあげながらお弁当のエビフライに箸を突き刺した。 「だからそういうのじゃないんだって!音に敏感とか、そういう意味らしいよ。」 「敏感って、音程とか?」 「うん、それもある。他にも音が変わった事への反応が早いとか、そういう事なんだって。私も音楽科じゃないからよくわかってないんだけどね。」 「ふーん。てことは、香穂にはそれなりに才能があったって事なのかな。・・・・よし。次の記事の見出しは『普通科のダークホースの秘められた才能!』に決まり。」 「なにそれ。」 言って顔を見合わせ、二人はぷはっと笑い出す。 「でもさあ、確かに私天羽ちゃんの言うとおり人の声とかよく聞き落とすんだよね。」 まだ笑った顔のままそう言う香穂子に天羽もうんうんと頷く。 「エントランスもそうだけど、教室とかでもかなり近くで呼んでも気づかなかったりするもんね、香穂は。」 「そうなんだよね。ぼーっとしてる時もあるんだけど、家でも2部屋隣で携帯が鳴ってても気づかなかったり。」 「あー、それはあるかも。」 同意を示すと香穂子も「でしょ?」と嬉しそうに笑った。 そしてお弁当箱に残っていた最後のきんぴらごぼうを口に入れて租借してからぽつっと言った。 「・・・・でも最近、どこでもどんなに小さくても聞き取れる音、見つけちゃったんだよね。」 「え?」 へたをしたら教室の声に負けて聞こえなくなりそうだった呟きに聞き返すと、香穂子はどことなく居心地悪そうな顔をする。 「聞こえた?」 「聞こえた。で、その音って何さ?」 「うぐっ・・・・ナイショ。」 「えーーー!?」 盛大に文句を言うと香穂子は黙りを決め込むことにしたのか、視線をそっぽに向けた。 (こりゃ、攻略は無理かな。) 記者の卵のカンからそう判断した天羽は攻め方を変えることにする。 「じゃあ、これぐらい教えてよね。その音って1つだけなの?」 「う・・・・ん。1つ。それ限定。」 「限定?」 「そう。限定な・・・・・あ」 天羽に聞き返され、答えようとしていた香穂子が急に声を上げた。 「何?」 「土浦君の声が・・・・」 「え?聞こえないけど?」 「ん・・・・あ、いた。廊下だ。ごめん、天羽ちゃん。ちょっと用があるから行ってくるね。」 大急ぎでお弁当箱を片づけて香穂子は席を立つ。 そしてパタパタと教室を出て行く香穂子を見送って・・・・すぐに立ち上がると教室の入り口に駆け寄る。 ドアから顔だけ覗かせて左右を見て・・・・ 「うわっ、本当にいた。」 確かに土浦はいた。 天羽のいるドアから5〜6m離れた所で話しかけてきた香穂子と何か話している。 しかしこの場所にいても2人の声は途切れ途切れにしか聞こえない。 しかも土浦は基本的に大きな声で話さないので更に聞き取りにくい。 その声を香穂子は教室の中から拾ったというわけで・・・・ 「ああ、なるほど。『限定』ね。」 微笑ましいようなあてられたような気分で天羽は肩を竦めた。 そして廊下の向こうで本当に楽しそうに話す香穂子と土浦の姿を眺めながら、コンクール終了後に書くことになるだろう新しいヴァイオリン・ロマンスの記事に事を考えて少し笑ったのだった。 ―― 数週間後、コンクール終了後の最初の校内新聞の一面を見て、恥ずかしいと同時に香穂子は天羽の記憶力に半ば感心したとか。 一面に踊っていた見出しは 『新ヴァイオリン・ロマンス! どんなに小さくても聞き取れる特別な音はたった1つ ―― 貴方の声』 だったとか。 〜 END 〜 |