Liebestraume
朝起きて一番最初にしたのは、カレンダーの日付を確認する事だった。 携帯電話で確認した日付がちゃんと8月25日になっていて、水嶋悠人はほっと息をつく。 そして初めて自分の行動の間抜けさに顔を覆った。 (・・・・何をやってるんだ、僕は。) 全国大会は昨日ちゃんと終わってる。 そう覚醒してきた頭で呟きながら、同時に寝起きの自分の行動も少し理解できてしまう。 あまりにもいつもと変わらない朝すぎたから。 この夏をかけて挑んだ全国大会で優勝した翌日だなんてまるで夢みたいな気がした。 (でも、夢じゃない。) 確かに昨日、悠人達星奏学院アンサンブルは全国大会を制したのだ。 ステージ一杯に輝くスポットライトと、キラキラと輝く銀のトロフィー、会場に響く歓声・・・・どれもちゃんと記憶に刻み込まれている。 喜んだ部員達に胴上げされて、他の参加校と祝賀会をして・・・・。 「・・・・あ」 フィルムの早回しのように記憶を回想していた悠人は、最後のシーンまで辿り着いたところで思わず声を出していた。 途端にブワッと顔が熱くなった気がして、慌てて悠人は布団を跳ね上げて立ち上がった。 「ぐ、ぐずぐずしていないで朝稽古にでも行こう!」 そうと決めたらとばかりに、悠人は布団を片付け稽古の支度を始める。 けれどそうしている間、じわじわと寝起きに感じたあの感覚が自分を覆っていくのを感じた。 夏の朝らしく、すでに今日の暑さを予想させるような眩しい朝日が差し込んで、庭の鶏が鳴いていた。 いつも通りの夏の朝。 だからまるで。 (・・・・夢じゃない、よな?) 最早習い癖のように着ていた制服を着る手を一瞬止めて悠人は視線を空に彷徨わせる。 全国大会は8月24日だったから、25日になっているということは夢じゃない。 でも・・・・全国大会優勝以上に、もっと現実味のない夢のような出来事があったのだ。 祝賀会場のプールサイドで、童話から抜け出してきたようなできすぎたワンシーン。 あまりにもそれが綺麗すぎて、もしかしてあれは夢だったんじゃないか、と悠人は半ば本気で思った。 (だって、小日向先輩が・・・・僕の、こ、こ、恋人になってくれた、なんて。) 頭の中で言葉にしたことを悠人は後悔した。 また顔の熱が上がった気がしたからだ。 慌ててブンブンと頭を振って着替えを再開する。 そして道場に行く支度を調えながら、何気なく手に取った携帯電話に目を落としてぽつっと呟いた。 「・・・・後で、電話してみよう。」 ―― と、思ってそれから数時間後。 (何を話せばいいんだ。) 悠人はメタリックシルバーの携帯片手に眉間に皺を寄せていた。 朝稽古も終わり家に用具を置きに帰って朝食を食べ終わる頃には、朝と呼べる時間帯を過ぎ、今日も暑くなりそうな日差しが瑞島神社の境内に降り注いでいる。 庭先の柵の中をコケコケと気ままに歩き回るニワトリ達を見ながら縁側に腰掛けた悠人はため息をついた。 (まさか、昨日の事は夢だったんじゃないですよね、と聞くわけにもいかないし。) あまりにも間抜けすぎる質問のシミュレーションに自分で呆れた。 けれど結局の所、確かめたいのはそれなのだ。 朝起きた時感じたのは寝起きだからだろうと頭のどこかで思っていたのだが、朝稽古を終えてさっぱりと頭が起きた後でもぼんやりと頼りない感覚が消えない。 それも全国大会優勝の事ではなくて、その後の方が。 (・・・・余計に聞きづらい。) 当たり前だ。 曲がりなりにも告白した相手に「昨日の事は夢じゃないですよね?」などと聞ける訳がない。 でも・・・・。 悠人は二つ折りの携帯電話を広げ、あまりひねりのない待ち受け画面からアドレス帳を呼び出す。 いくつかの画面をスクロールして、出てきたのは。 『小日向 かなで』 「・・・・かなで、先輩。」 画面の文字を意図的に後半だけなぞったら、ふっと昨日のかなでの笑顔が浮かんだ。 名前で呼んでもいいかと聞いた悠人に、とても嬉しそうに笑ったかなでの笑顔。 それがあんまり綺麗で悠人は馬鹿みたいに見とれて・・・・。 (っ。だめだ。やっぱり) 声が聞きたい。 それだけの衝動が一気にわき上がって、悠人は通話ボタンを押していた。 何を話せばいいのか、何を聞けばいいのかも二の次で、ただ声が聞きたくて。 ―― トゥルルル・・・トゥルルル・・・ 聞き慣れたコール音が繰り返されるのがもどかしい。 悠人のジリジリした気持ちが伝わったのか、ニワトリ達も落ちつかなさげにあっちへ行ったり、こっちへ行ったりして ―― その時、ぷつっとコール音が途切れた。 「もしもし?」 とっさにそう声を出していた悠人への答えは。 『―― 水嶋か?』 完全に予想外の声だった。 「は?支倉先輩?」 かなでと同じ女子寮の唯一の住人であるニアの声に悠人はぎょっとする。 「なんで支倉先輩が小日向先輩の携帯電話に出るんですか?」 『ああ、それはだな・・・・』 一瞬間があって、次いでニアが言った言葉は悠人を驚かすのに十二分の力を持っていた。 『残念だったな。小日向は今 ―― 寝込んでいる真っ最中だ。』 「は・・・・はあ!?」 (寝込んでる!?) 悠人が思わず上げた大声に、ニワトリ達が驚いたようにバサバサと羽ばたいたが、当の悠人はそれどころではなかった。 「寝込んでるって、何があったんですか!?」 全国の地方大会の時のように疲れが出ただけならまだいいが、夏風邪でも引いていたらと色々悪い予想をしてしまった悠人に、電話口でニアが呆れたように言った。 『落ち着け、水嶋。別に大した原因じゃない。』 「大した原因じゃないって・・・・!現に小日向先輩は寝込んでいるんですよね!?」 『あー、まあ、それはそうだが・・・・ああ、そうだ。水嶋、お前、今から菩提樹寮へ来い。』 「は?」 『私に言わせれば可愛らしい「原因」だが、小日向にとっては重大な「原因」だろうからな。』 「あの、一体何を言っているんですか?」 相変わらず謎かけのようなニアの言葉に、かなでの様子が気になる事もあって悠人はイライラと言う。 その苛立ちが伝わったのだろう。 電話口でいつものニアの何かを含んだ笑みを彷彿とさせるような、小さな声がして。 『水嶋、小日向が寝込んでいるのは、有り体に言えば寝不足だ。』 「え?」 『まあ、無理もないだろうな。昨日、あれだけ大会で気を張って、その後祝賀会までして身体は疲れ切っているはずなのに、朝方まで眠らなかったら。』 「朝方まで眠らなかった?」 (なんでそんな・・・・) 先ほど想像したような事態ではないとわかったものの、生来の面倒見の良い体質と、おまけに心配するのが一番大切な人とあって悠人は眉を寄せる。 舞台は自分が思っているよりもずっと気を張っているから、帰ったらちゃんと休まなくてはいけない事ぐらいみんな知っているというのに。 「何をしていたんですか、先輩は。」 こんな事をニアに聞いてもしかたがない、と分かっていても口に出してしまった言葉に、意外にも返事が来た。 『だからそれが可愛らしい「原因」だ。』 「は?体調を崩してしまって、何が可愛らしいですか。」 『ふふ。そう怒ってやるな。まあ、私もまっ先に何をしていたのか、とは聞いたがな。』 「それで、先輩は何て?」 理由によってはきっちり叱っておかなくては、と眉間に皺を寄せて待つ悠人の耳に、何か含むような沈黙が伝わって。 そして。 『「眠ったら昨夜の出来事が、全部夢になりそうで寝られなかった」んだそうだ。』 「・・・・え?」 悠人はぽかんっと口を開けてしまった。 (昨夜の出来事が・・・・) ―― 夢になりそうで寝られなかった。 言われた言葉を反芻して、俄に意味がわかりはじめる。 夢になりそうで寝られなかった ―― 朝起きてまっ先に昨日の出来事が夢なのではないかと思った。 ニアからたった今聞いたかなでの寝不足の原因と、ついさっきまでの自分の思考を並べて。 「・・・・・・・・〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!」 声にならない呻き声を上げて、悠人は顔を覆った。 そして心の底から、今この場にいるのが我が家のニワトリだけで良かったと思う。 ニアにこの場面を見られたら最後、向こう数ヶ月はからかいのネタだ。 もっとも。 『私には詳しくはわからないが・・・・もちろん、菩提樹寮に来て小日向の看病をするよな?水嶋。』 と楽しそうに問いかけてくる報道部員はかなでの言葉の意味と悠人の状況ぐらいとっくに推測済みかもしれないが。 「・・・・行きます。」 『そうか。待っているぞ。ついでに今まで看病していた私の労をねぎらうために冷たい物でも差し入れてくれると助かる。』 「わかりましたから、それまで小日向先輩をよろしくお願いします!」 ちゃっかり付け足したニアに叫びかえして悠人は電話を切る。 そして・・・・胸の中に浮かんでくるくすぐったさと嬉しさに赤くなる顔をわざと呆れたようなため息で誤魔化した。 「まったく・・・・先輩は。」 ―― 夢になりそうで寝られなかった。 それはつまり、かなでも悠人と同じ様に、昨夜の出来事を夢だったんじゃないかと思う程・・・・奇蹟みたいな出来事だったと思っているということ。 それが何だか酷く、嬉しくて―― 「・・・・本当にしょうがない人だな。」 ぽつっと呟いた独り言は、言葉とは裏腹にやけに優しく響いた。 それに自分で苦笑しながら悠人は立ち上がる。 (母さんに頼んで消化の良さそうな物でも作ってもらおう。それからハラショーへ寄って支倉先輩のリクエストの物でも買って、菩提樹荘へ行って・・・・) そうしたら、寝込んでいるかなでに何を言おうか。 いつもなら大会の後に寝不足なんて言語道断と叱るところだけれど。 「まずは・・・・」 ―― 昨日の事が夢じゃないって、二人で確かめる所から、始めてみましょうか? 〜 Fin 〜 |