高らかに最後の音を青空に放った火原和樹は清々しい気分でマウスピースから唇を離した。 「あー、気持ちいー!」 音楽室とは違って反響のない空に音が吸い込まれていく感覚は、こういう日には特に気分良く感じる。 「やっぱり屋上に来て正解だったなー。」 本当は今朝、駅前通に行くつもりで家を出た。 けれどあまりに良い天気で、あまりに気持ちいい青空だから、もっと近くに行って吹いてみたくなって方向を学校に修正したのだ。 でも実は駅前通にもちょっと未練はあったのだけど。 ふと腕時計を見て火原は慌てた。 「うわ、もう昼過ぎてんじゃん!」 予定では午前中だけ屋上で練習して午後には駅前通に行くつもりだった火原は、わたわたと楽器をケースに片付け出す。 (やばいかも。もう香穂ちゃん来ちゃってるかなあ。) ちらっと駅前通に行く予定を立てさせた面影が過ぎって、ますます片付けが急ぎ足になる。 日野香穂子 ―― コンクールの参加者の一人で、火原が今、気になって仕方がない女の子。 最初は笑顔が気に入って、次に演奏する姿が気に入って、音が気に入って、声が気に入って・・・・いつの間にか火原の心の中にちょこんっと居場所を確保している女の子。 その彼女が休みの日にはよく駅前通に来ているから、今日だって彼女に会うために駅前通にいくつもりだったのだ。 もちろん、ちょっと出遅れたからって香穂子に会う事を諦めたりなんかしない。 楽器を軽く拭いてケースに収めるとそれを片方の肩に担いで、楽譜を詰め込んだファイルと折りたたんだ譜面台を小脇に抱える。 準備完了。 さあ、ここからエンジン全開で駅前通まで走ってやるぞ!と意気込んでドアの方に曲がった火原は ―― 固まった。 (な、な、な、な、何で!?) 頭の中はパニック寸前。 それもそのはず。 ちょうど目の前に現れた階段に座って、ヴァイオリンケースにもたれているのは紛れもなく日野香穂子、その人だったのだから。 「か、か、香穂ちゃん・・・・?」 かなり探るようにそーっと、声をかけても返事は帰ってこない。 足音を殺すようにゆっくり香穂子に近づいて初めて香穂子が眠っている事に気が付いて、何故かほっとする。 そしてほんの少しの悪戯心から火原はそっと寝ている香穂子を覗き込んだ。 (うわ・・・・睫毛長いんだー。) 香穂子が起きていたら当然近づけない距離まで顔を寄せてみて、慌てて離れる。 なんだか衝動的に、その柔らかそうな頬に触れたくなってしまいそうだったから。 自分の頬が熱いせいで真っ赤になっているのがわかって、それを誤魔化すように香穂子の隣に座ってみた。 と、そのわずかな衝撃のせいか、香穂子は身動ぎして ことん、と火原の肩に寄りかかってきた。 (!?) 心臓が止まるかと思ったのは火原だ。 (わ・・・・ど、どうしよう。) 瞬間接着剤を全身に浴びたように固まってしまった火原とは反対に、身長差のせいかちょうど良い枕を見つけたと思ったのか香穂子は頭の位置を直して再び寝に入ってしまった。 一定のリズムを刻みだした寝息をしばらく聞いて、やっと火原の心臓も落ち着いてきた。 落ち着いてくると、人間大胆になるものらしく、火原はそっと肩に乗っている香穂子の頭に頬を寄せてみた。 頬に感じる香穂子のさらさらとした髪の感触にまたドキドキするけれど、それはさっきとは違うくすぐったくなるようなドキドキで・・・・ 体の右側に感じる香穂子の体温が、かけている自分のどこかを補ってくれるような感覚に酷く安心感を覚える。 そして今更ながら降り注ぐ日差しが暖かい事に気が付いて、欠伸を1つ。 ―― ちょっと休憩・・・・してもいいかな ぽかぽかの日差しと、香穂子の体温。 こんな満たされた暖かさなんて 「・・・・最高・・・・」 ぽつっと呟いた火原の言葉に、ほんの少しだけ香穂子が笑ったような気がしたのは ―― ほんの少しの火原の自惚れ 目を覚ました二人が顔を合わせてお互い真っ赤になるのは、お日様がもう少し傾いた頃の話・・・・ 〜 END 〜 |