年の差1歳なんて、当たり前だと思ってた。 たった1年なんてないも同じだと思ってたのに・・・・ 卒業式には第二ボタンを 運の良いことに春麗らかな3月の陽気の中、執り行われた星奏学園の卒業式の後、香穂子は一人屋上にいた。 ポカポカ陽気の中呑気に校庭の方を見れば早咲きの桜がちらほらと、沢山の生徒達の姿が見える。 きっと記念撮影なんかで忙しいのだろう。 (先輩も捕まってるだろうなあ。) あの人は一般人には『絵に描いたような王子様』で、すごく人気あったし・・・・などと呑気に考えているとガチャッという音と共に屋上のドアが開いた。 そして同時に 「俺に探させるなんていい度胸だな。」 冷ややかな『絵に描いたような王子様』の声が響いて、香穂子は苦笑いと共に振り返った。 そこに立っていたのは予想通り今日まで香穂子以外には完璧な王子様を演じてきた人物、そして香穂子の恋人、柚木梓馬。 腕を組んで不機嫌そうにこっちを見やる柚木に香穂子は曖昧に笑ってみせる。 「だって柚木先輩が女の子に囲まれてる所なんて見たくないじゃないですか。」 さくっと本音を言ってしまう一瞬間を開けて柚木がふんっとそっぽを向く。 この仕草が照れ隠しなんだとわかるのに香穂子は随分かかった。 香穂子以外には『絵に描いたような王子様』、香穂子にとっては『重度に天の邪鬼で意地悪な恋人』なのだ、柚木は。 そんな風に思っていると柚木が用があるならさっさと言え、とばかりに軽くにらみつけてきた。 これ以上おもしろがっていると危ない、と本能で感じた香穂子はさっさと言いたいことを言おうと思って柚木の制服を見て・・・・ 「あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!」 香穂子の大絶叫を不意打ちで食らってしまって、柚木は顔をしかめる。 「一体、なんなんだ。」 「柚木先輩!ボタン!!!」 「ボタン?ああ・・・・」 言われて柚木が見下ろした先、柚木の制服にはボタンが1つもなかったのだ。 まったく、全然、もれなく1個も。 つまり、香穂子が今日もらえる物だとばっかり思っていた『第二ボタン』も。 「むしり取られる前に全部欲しがった奴にやったな。そういえば。」 「第二ボタンまでですか!?」 「さあな。適当に外したから覚えてない。」 「そんなあ・・・・」 見るからにがっくりとうなだれた香穂子を柚木が覗きこむ。 「なんだ、欲しかったのか?」 「当たり前じゃないですか!第二ボタンですよ!?初めてもらえるとかと思ったのに・・・・」 「初めて?・・・・お前、中学の時に誰かからもらおうとしたのか?」 柚木の声がワントーン下がった事に、ショックを受けていた香穂子はうかつにも気が付かず素直に頷いてしまった。 「どーせ、振られましたけど。」 でも当時出来る限りの勇気を振り絞って言ったというのに中学の時は好きな人のボタンはもう他の子が持っていて・・・・それ以来、誰かの『第二ボタン』をもらえることに憧れていた。 というのに、柚木のボタンはもう他の誰かのもの。 (・・・・まったく・・・・せめてボタンぐらいは欲しかったのに・・・・) 本当に欲しいモノは別のモノだけれど、それを言ったらきっと柚木は困ってしまうと思ったから『第二ボタン』ぐらいは欲しいと思った ―― 確かに柚木に想ってもらっていたという『証』ぐらいは。 柚木は今日、星奏学園を卒業して付属の音楽大へ進む。 そうなったら香穂子とは全然違う生活になっていく。 新しい生活をして、新しい人とも出会うだろう。 高校で今まで通りの生活を続けていく自分と、そんな柚木が今まで通りに過ごせるのか香穂子には自信がなかった。 だからせめて『第二ボタン』 ―― 思い出を、と思っていたというのに。 はあ・・・・、とため息をついた香穂子の顔に急に陰が落ちた。 「?」 顔を上げた香穂子はぎょっとする羽目になった。 いつの間に間を詰めたのか、柚木が目の前に立って香穂子を見下ろしていたからだ。 しかもその上、酷く不機嫌そうな顔をして。 「な、なんですか?」 かなり声に怯えが混ざって及び腰になってしまったのは、普段の生活からの状景反射だ。 「卒業祝いは?」 「はい?」 「俺は今日の卒業生だろ。」 「え?え?」 何を言い出すのかと首をかしげる香穂子に対して、にっこりと完璧な王子様スマイルを浮かべてひょいっと手を伸ばして・・・・ 「ん!?」 唇を塞がれて目を見張る香穂子だが、背中と後頭部を柚木にしっかり捕まえられていて逃げるに逃げられない。 それでも最初のうちはじたばたしていた香穂子だったが、何度も何度も角度を変えて口づけられるうちに柚木につかまるように手をのばさざるを得なくなった。 少し乱暴にすら思えるほどに強く強く抱きしめられて、されるキスの深さに目眩がした。 香穂子にとっては長く感じる時間、屋上を吐息だけが零れる空間に変えた後、柚木は香穂子を解放した。 唇が離れた後もとろんとした目で柚木を見上げる香穂子に意地悪く柚木が囁く。 「腰でも抜けたか?」 「!ぬ、抜けてないです!」 慌てて柚木から体を離す香穂子を笑いながらさせたいようにさせた柚木は軽く髪を掻き上げるとポケットに手を突っ込んだ。 そして 「ほら。」 何かを香穂子に向かって放った。 空中できらりと光って香穂子の手の中に転がり込んできたそれは・・・・ 「ボタン!?」 それは確かに星奏学園の校章が彫られた金ボタンだった。 「これって!?」 「第二。どうせお前が欲しがるだろうと思って先に取っておいたんだよ。」 「だって、だってさっきないって・・・・」 嬉しいという気持ちより疑問が先に立ってしまう香穂子に柚木はため息をついて言った。 「からかっただけだ。・・・・それにお前が本当に欲しいのはボタンなんかじゃないだろ。」 「え?」 きょとんとする香穂子の左手を無造作に柚木はすくい取った。 そしてこれまた無造作に ―― 薬指に細い銀の指輪をはめた。 「せん・・・・ぱい?」 次々起こる事に目を見張っている香穂子の目の前で柚木は銀の指輪に口づける。 そして真っ直ぐ香穂子を見据えて言った。 「お前が本当に欲しかったのはこれだろ?」 「約束をやるよ。いつかこれを本物に変えるまで、俺はお前を手放す気はないからな。」 「柚木先輩・・・・」 香穂子の目から堪えきれず涙がこぼれ落ちた。 本当は約束が欲しかった。 絶対じゃなくて良いから、生活が離れていってしまった時に自分と柚木をつないでいる何かが欲しかった。 だけど柚木は縛られるのは嫌いだと思ったから口に出さなかったのに、こんな形で不意打ちを食らうとは思っても見なかった。 「先輩・・・・先輩・・・・」 涙をこぼす香穂子の頬を軽く拭って柚木は香穂子にしか見せない本物の笑みを浮かべて彼女を抱きしめる。 「それで?お前は俺から離れる気?ボタンぐらいで。」 耳元でからかうように囁かれて見上げれば柚木は相変わらず意地悪な顔にもどっていて。 それでもこみ上げてくる愛しさに香穂子は手を伸ばして柚木の首に抱きついた。 「いいえ!離れませんよーだ。大学までだって会いにいっちゃいますからね!」 約束は絶対じゃないから、距離が出来てしまうなら縮める努力を。 柚木が好きでいてくれるならがんばれるから。 決意を込めて、そっと離れた香穂子は柚木を真正面から見つめて言った。 「卒業おめでとうございます、先輩。それから、大好きです!」 最高の笑顔を見せる香穂子の指で、きらっと銀の指輪が光った ―― 〜 END 〜 〜 おまけ 〜 上機嫌で自分の左手の薬指の指輪を見ている香穂子を見ながら密かに柚木はため息をついた。 (約束、か。我ながら上手く誤魔化したものだ。) 本当は何でも良いから理由をつけて指輪をあげる気でいたのだ。 香穂子本人はさっぱり無関心だが、彼女はコンクール以来人気花丸急上昇中。 それでも今までは柚木の恋人ということで相当の命知らずでなければ彼女にちょっかいを出してくる男はいなかった。 だから精々柚木は同じコンクール参加者メンバーを警戒していればよかったのだが、柚木が卒業するとなるとそれも変わってくるだろう。 だいたい火原は一緒に卒業するからいいとしても、無愛想に見えてちゃっかり香穂子のすぐ近くに陣取っている2年生`sとか、天然に見せかけてかなり計画的に香穂子に近づいてくる1年生とか面倒なメンバーが3人も残るのだ。 一緒にいれば牽制もできるが、これから生活が変わってくるとそうもいかない。 柚木としてはなんとしても彼女に『売約済み』の印を付けておきたかったわけで・・・・。 「先輩、先輩!もしかしてこれって高くなかったですか?」 ちょっと不安そうな顔で聞いてくる彼女に含みのある顔で「さあな」と返しながら内心苦笑する。 (そんなもので『ムシ除け』になるならいくらだって出してやるさ。) 高くなんてない。 その『ムシ除け』にはこれから大いに働いてもらわなくてはならないのだから。 香穂子は相変わらず嬉しそうに魅力的な笑顔を惜しみなく零している。 それを見ながら柚木は思わず呟いてしまった。 「・・・・不安なのが自分だけだと思うなよ・・・・」 ―― 不安なのはきっと一緒。 過去の事まで嫉妬するほど、君のことが好きだから・・・・ (・・・・でも、きっとこいつは俺の気持ちなんかわかってないだろうな。) ため息をついてそれでも見つめる事をやめられない柚木の視線の先で。 『頑張ります』というよに、香穂子の指輪がきらりと光ったのだった。 |