D.C. 〜 フェルマータまでまだ長い 〜
慣れない事をするのは難しい。 ましてそれが自分のイメージに合わない事だったりすると、その難度は一気に上がる。 (・・・・俺らしくない。) そんな事を思ってしまった日には、その行動を実際にするのは至難の業だ。 星奏学院の校門前の広場で鞄片手に街頭に背を預けていた土浦遼太郎は今現在進行形でそのことを実感していた。 (・・・・だいたい俺はこんなところで何してんだよ。) 授業はとっくに終わって放課後だ。 ほとんど強制的に参加させられているコンクールの練習も、もう今日は切り上げた。 となれば部活に出るわけにも行かない身としては選べる選択肢は帰宅だけ。 ・・・・だけ、なのだが。 (くそっ。俺らしくない。) そう何度も思いながらも、人もまばらになった校門前広場に深緑を基調とした普通科の制服が現れるたびにドキッとしてそっちに目をやってしまう。 ―― そう、土浦は人を待っていた。 確認は取っていないが彼女の性格上、間違いなくこの時間まで必死に練習しているであろうコンクールのライバル。 普通科のダークホース、日野香穂子を。 といっても約束をしているわけじゃない。 あいにく土浦と香穂子は広場にちらほら見える下校デート予定のカップルたちのように恋人同士というわけでもない。 つまり土浦が一方的に香穂子を待っているわけである。 理由は、ただ「一緒に帰りたい」だけ。 居心地悪そうに身体の位置をずらして土浦は深々とため息をついた。 (こんな姿をサッカー部の連中なんかに見られたら間違いなくからかわれるだろうな。) 考えただけでも頭が痛くなる。 死ぬほど笑われるか、意外なものでもみるような目で見られるか・・・・どっちにしても嫌だ。 しかしそれがしっかりわかっていても土浦の足は根が生えたように動かなかった。 (どうかしてるよな。) 前だったら自分がこんな事をするようになるなんて思いもよらなかった。 だいたい下校する間なんてほんのわずかな時間にすぎないのに、たったそれだけのために待つなんて気の長いことだ、くらいに思っていたはずだ。 でも・・・・気づいてしまったのだ。 たったそれだけの時間でも一緒にいられたらいいと思ってしまう気持ちがある事に。 学校から別れる十字路まで15分ちょっと。 それだけの間でもかまわないから香穂子と話して、香穂子の笑顔を見ることができるなら、サッカー部の連中にからかわれる危険を冒すことなど何でもない。 ―― そう思ってしまう土浦は立派な片思い中の男だった。 とはいうものの・・・・ (遅すぎないか?) 土浦は校舎の方をちらっと見る。 確かに土浦はちょっと早く練習を切り上げて来てしまったが、それにしても遅い。 いい加減、空も夕焼けになっている。 (また夢中になってやってるのか。) このコンクールに参加する事になって初めてヴァイオリンを手に取ったという彼女は目下、ヴァイオリンに夢中。 練習に没頭しすぎて守衛さんに追い出されたことも何度かあった。 ここを離れて練習室か屋上でも見に行くかどうするか、土浦が考え始めたちょうどその時。 校舎の方から慌ただしく走ってくる深緑の影。 長い髪と背中に背負った黒いヴァイオリンケースが目印。 どくんっ、と土浦の心臓が大きく鳴った。 見間違えるはずのない彼の待ち人が走ってくる事に疑問を感じながらも、土浦は今まで縫い止められたように動けなかった街頭の側からあっさり離れた。 軽やかに走ってくる香穂子は何故か真っ正面だけを見て土浦の姿は目に入っていないようだ。 だから危うく通過されそうになって慌てて土浦は声を上げた。 「おいっ!」 「へっ!?」 キキッと音がしそうな程急ブレーキをかけて立ち止まった香穂子はどこから声をかけられたのかわからないというように周りを見回す。 その姿がなんとなくエサを探す小動物を思わせて、土浦は笑いをこらえながら後ろから近づいて拳をこつんと香穂子の後頭部にぶつけた。 「こっちだ。」 「あ、土浦君!びっくりしたー、幻聴聞いたかと思ったよ。」 ははっと笑う香穂子に内心ドキドキしている事を隠して土浦も笑う。 「俺も驚いたぜ。何、爆走してるんだ、お前は。」 「え?だって帰っちゃったと・・・・あ、や、なんでもない。」 何故かちょっと照れたように首をふって香穂子は誤魔化すように言った。 「実は守衛さんに追い出されちゃって。もうそんな時間かって驚いたから・・・・うん。そうそう、そうなんだよ。」 何故自分で言って自分で納得しているのか。 ・・・・あいにく言わなければいけない台詞をいつ言うか、考えるのに精一杯な土浦は肝心なつっこみを入れ損なった。 「相変わらずだな。ちょっとは時計ぐらい見て休憩も入れろよ。能率が下がるぞ。」 (そうじゃないだろ。なんで待ってたんだかわからなくなる。) たった一言。 言うことは決まっているのに、無駄に心拍数が上がる。 「はーい。」 素直に片手をあげてうなずきながら笑う香穂子との心地いい空気にもっと浸っていたいから。 (たいしたことじゃないだろ。言えばいいんだ。) 下校途中にたまたま会った友達に言うように。 そう、火原あたりならあっさりやってのけるように、軽い調子で。 『途中まで一緒に帰らないか?』 (―― それがさらっとできるようなら、こんな風に不器用に彼女の帰りを待ってない。) 思わず自分で突っ込んでしまった土浦は、目の前に香穂子がいることを忘れて眉間に苦悩の皺を寄せてしまった。 慣れない事をするのは難しい。 (・・・・俺らしくない。) そんな事を思ってしまった日には、その行動を実際にするのは至難の業だ。 ・・・・それでも、至難の業をやってのけてもいいと思うほどの価値と対価が得られるなら。 「日野。」 「ん?何?そう言えば土浦君はなんでこんな時間まで残ってたの?」 やっぱり練習のしすぎ?と聞いてくる香穂子に「お前と一緒にするな」と返して、質問の答えをうまくはぐらかしたのは自分でも褒めてやりたくなるぐらい上首尾だった。 そしてなるべく、なるべく自然に聞こえるように、土浦は覚悟を決めて口を開いた。 「一緒に・・・・帰るか?」 ―― そんなこんなで手に入れた「たった15分ちょっと」の下校時間は、また頑張ってもいいと土浦に思わせるぐらいの十分すぎる対価で。 その後、下校の約束を取り付けるまで微妙な表情で校門前広場に佇む土浦の姿が何度か目撃されたとか。 〜 END 〜 |