Comodo
星奏学園には音楽科があるせいもあって、実に立派なホールがある。 全校生徒が全部入って、その上一般席まで作れる程なのだから、小さな民間のホールなど比べものにならないぐらいだ。 さて、ここで想像してみて欲しい。 それだけの広いホールの一番前、フルオーケストラも乗れるほどの広い舞台の上にスポットライトとホール中の視線を浴びてたった一人で演奏する事を。 考えただけで緊張するだろう。 ごくたまに「今までの人生で緊張なんてしたこと無い」などとけろりという奴がいるが、それは例外として、普通は多かれ少なかれ緊張する。 そして幸か不幸か、日野香穂子は立派な普通の人間だった。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・緊張する」 第二セレクション会場直前のリハ室で、端っこに座った香穂子がぼそっと呟いた。 たまたま音だしの音が途切れた所だったせいで、その場にそろったコンクール参加者が全員振り返って香穂子を見る。 ほとんど独り言のつもりで言ったのに、注目の的になってしまった香穂子は慌てて立ち上がってヴァイオリンを持ってない方の手を振った。 「あ、なんでもないんです!独り言です、独り言。」 あわあわと赤くなって誤魔化そうとするその姿は正装のために可愛さ2割増しで、思わず目をそらしてしまった者2名、赤くなってしまった者1名、何を考えているのかわからない微笑みを浮かべた者2名。 ともかく一瞬反応できなかった男性陣とは違い、冬海は香穂子に駆け寄った。 「あの・・・・私もです、香穂先輩。」 「え、ホント?」 「はい。何度、舞台に上がってもどうしても緊張しちゃういます。・・・・その、手とか足が震えちゃったり、とか」 「そう!そうだよね!私、もう第一セレクションの時なんか足が震えちゃって、何やったのかあんまり覚えてないの〜!」 仲間を見つけた、とばかりに手を取り合って頷きあう女の子2人にやっと男性陣が参加する。 「緊張・・・・しますか?」 「するよー!・・・・って、志水君はしなさそうだねえ。」 「はい。」 「羨ましいなあ。私なんて袖にいる時点で心臓が口から飛び出しそうなのに。」 「わかります。なんだか、その、悪いことばかり想像してしまうんですよね。」 「そうそう。舞台に出ていく時にスカートの裾踏んづけて転んだらどうしよー、とか。」 日常的には絶対に着ないであろう深紅のドレープのドレスをちょっと持ち上げて苦笑する香穂子に不思議そうに月森が聞いた。 「演奏上の失敗じゃないのか?」 「それもあるんだけど、演奏で失敗するよりスカート踏んづけて転んでる方が間抜けでしょ?しかもなんだかやりそうだし。月森君も緊張しない?」 「しない。舞台に出る時に転ぶことを想像した事もないと思う。」 「土浦君も?」 急に話を振られた土浦も首をひねってから頷く。 「ガキの頃はちょっとした気もするが、最近はないな。」 同級生sの共感を得られなくて香穂子は深々とため息をついてしまった。 「はあ・・・・いいなあ。柚木先輩もないでしょ?」 「僕は経験がないかな。」 にこっと麗しの笑顔の見本のごとき笑顔の向こうに「俺が緊張なんてすると思ってる?」と言う黒ヴァージョンを垣間見た気がして、香穂子は乾いた笑いを浮かべてしまった。 「あー、えーっとその・・・・ひ、火原先輩は!・・・・って、先輩?」 なんとか柚木の笑顔の方向をずらそうと慌てて彼の親友に話を振ろうとした香穂子は、眉を寄せてしまった。 火原が珍しく何か考え込んでいたからだ。 考えてみればみんなで話しているのに火原が話に入ってこなかった事自体相当珍しい。 その場にいた全員が不思議に思って火原に目を移したちょうどその時、ぱっと火原が顔を上げた。 「香穂ちゃん!」 「へ?なんですか?」 威勢良く名前を呼ばれて驚いて聞き返した香穂子に、火原はすごく良い事を思いついたというように言った。 「舞台に出る前に好きな人のことを考えると緊張しないよ!」 「「「「「「・・・・・・え?」」」」」」 ―― シーン・・・・ 思わず、と言う感じで落ちてしまった沈黙に火原一人だけ不思議そうな顔で周りを見回して・・・・ 「・・・・ぷっ」 とうとう沈黙に堪えきれなくなった香穂子が吹き出した。 「あ!香穂ちゃん、笑った!?」 がーん、とギャグマンガだったら頭の上にでっかい石でも落ちてきたような衝撃を受けている火原に、一生懸命笑いを堪えながら香穂子が首をふる。 「ご、ごめんなさい。悪い意味じゃなくて、なんだか可愛くて・・・・くすくすくす」 「それ、褒めてないよー。うわ、冬海ちゃんまで笑って・・・・って、おい月森、こっちに背を向けて肩震わすなー!」 「いえ、失礼・・・くっ」 指摘されて半身だけ振り返ったものの、笑いを堪えきれずに口元を押さえたままの月森を見て火原は拗ねたように唇をとがらせる。 「なんだよ〜、みんなそう思わないの?俺だけ?」 本格的に拗ねてしまいそうな雰囲気を感じたのか、やっぱりくすくす笑いながら土浦がフォローを入れた。 「はいはい。良い方法を教えてくれてありがとうございました。」 「つ〜ち〜う〜ら〜。お前こういう時、妙にお兄さんぶるな!」 「すいません」 「その辺にしておきなよ。ほら、スタンバイの時間。最初火原でしょ?」 ナイスタイミングで挟んだ柚木の言葉に、ぱっと火原は今までの拗ねモードはどこへやら、いつもの表情に戻ると頷いた。 「あ、うん。じゃー、行ってくる。」 そう言ってリハ室を出て行く火原を微笑みながら見送ったメンバーだったが、その時、ふと全員の頭に過ぎったのは同じ考えだったとはお互い知るよしもなかった。 すなわち ―― ((((((でも・・・・・いいかもしれない)))))) ―― その後、 セレクションの舞台袖で妙に長々瞑想している参加者の姿が見られたとか、見られないとか。 〜 END 〜 |