座長の誤算



「あのねぇ、だぁいすき。」

にっこりと、それはもう花が咲くように笑って水戸葵の言った言葉に、葵座の宴会は固まった。

否、これが葵座の中でも彼女の恋人でもある座長、神鳴剣助の前での発言であったなら、みんな固まる事は無くまあ、からかいの二つ三つ飛ばして笑っているだろう。

しかし、今の座に剣助の姿はなかった。

というか、ちょっと前まで葵の姿もなかったのだ。

双葉葵の化身として明治の世に降り立った葵が、なんだかんだの騒動の末に未来への帰還ではなく明治に残る事を決め正式に一座の一員となってしばらく。

彼女がこの時代に残る事にした最大の原因である剣助との仲は至って良好・・・・というか、時々一座の面々が呆れるほどに幸せそうな毎日を過ごしていた。

だから興行を終えていつもの「みよしの」での宴会をする時などに、宴もたけなわになれば二人がふらっといなくなる事など日常茶飯事で、皆、今日もふといなくなった二人にあまり頓着もしていなかった。

しかし、何故か今日は二人がいなくなってしばらくたって、急に廊下から小さな足音が聞こえて来たかと思うとすぱんっと襖を開けて葵だけが飛び込んできたのだ。

そして葵が件の発言をしてちょこんと座っているのは、恋人の剣助の前ではなくて・・・・何故か、ハッチこと蜂須賀陽太の前であったりするわけで。

「え・・・・?え、ええ!?」

突然の事態に目を白黒させる陽太に、葵は良い笑顔のまま今度は、ぎゅーっと抱きついた。

「ひ、ひ、ひ、ひ、姫さんっっっ!?」

「姫!?」

「あらあ?」

腕に抱きつかれて悲鳴を上げんばかりに驚く陽太と、自他共に認める堅物故目を剥く鬼格の横で、給仕がてら祝宴に混ざっていた乙姫が声を上げる。

「葵はん、顔が赤いどすえ。」

「あ、ほんまや。お嬢〜、どないしいや?」

乙姫の言葉に甲姫も陽太の腕に抱きついた葵を覗き込む。

と、葵は二人の方へ顔を向けて。

「あ〜、きのひめとおとひめ〜。ふたりとも、だいすき〜。」

「わっ!?」

「あらっ!?」

あっさり陽太から離れると、今度は葵は乙姫と甲姫に抱きついた。

「一体なんなんだ?」

「さあねえ、菩薩殿は随分ご機嫌そうだが。」

訳の分からない葵の行動に眉間に皺を寄せる淋の横で、七巳がふうっと紫煙をはき出した、ちょうどその時。

「・・・・あー、こうなってたか。」

葵が飛び込んできた時のまま開け放たれていた襖のところに、剣助が姿を現した。

珍しく詰め襟のシャツのボタンを二つほど外して髪をかき上げた剣助に、鬼格が眦をつり上げる。

「ケンスケ!姫に何をしたんだ!?」

「何をって言われてもなあ。」

「まあまあ、キカクさん。落ち着きなさいって。ほら、さっきナナミも言ってましたが姫御前はとっても楽しそうですよ?」

「それはっ・・・・まあ。」

宝船になだめられて葵の方へ再び目を転じた鬼格は声を荒げかけて、しかし頷いた。

確かに、甲姫乙姫から今度は近くにいた茂丹に「モニちゃんもだいすき〜!」と言って飛びついている葵は、何故かやたらと楽しそうだ。

「だがあからさまに様子がおかしいだろう!?」

「ふぅ・・・・そりゃあ、まあな。陽太は役得だねえ。」

「はあ!?アレを陽太にもやったのか?」

紫煙と一緒に七巳が言った言葉に剣助は呆れ顔から眉間に皺を寄せた。

「ええ、そうですよ。ケンスケさんが来る前、ここへ飛び込んできてまっ先に陽太さんのとこへ。」

「・・・・・・・・」

「お、おい、ケンスケ。」

「・・・・なんだよ?」

宝船の話を聞いた途端、周りの気温が一度ぐらい下がった気のせいだ、と自分に言い聞かせて鬼格は己を立て直す。

なにせ、たとえ双葉葵ではなくなったとはいえ、葵は鬼格にとって大事な存在。

様子がおかしければちゃんと確かめなくては。

「いや、その・・・・結局、お前は姫に何をしたんだ?」

ちょっと言葉が控えめになったのは、剣助の雰囲気がいつになく恐ろしいからではない。多分。

そんな鬼格の言葉に、剣助は「あー・・・・」と呻くと小さく肩をすくめた。

「何かっていうか、多分あれは。」

「酔ってはりますなあ。」

剣助が言いかけた台詞をくすくすと笑いながら乙姫が続けた。

その向こうでは抱きしめすぎてそろそろ限界の茂丹を救出すべく、淋が「おい!」と葵に声をかけている。

「酔う!?お前、姫に酒を飲ませたのか!?」

「いや、呑ませたっていうか・・・・まあ、俺がしこたま呑んでたからなあ。」

「?お前が呑んでいたのは知っている。それが何か関係あるのか?」

「あー・・・・」

「ふぅ・・・・ああ、そういうことか。」

まったく訳が分からず首をかしげる鬼格の横で、七巳が訳知り顔で頷いた。

その様子に、剣助がややバツが悪そうに苦笑する。

「まさかアレで酔うなんざ思ってなかったんだよ。」

「あらあ、そら葵はん、本当にお酒に弱いんやねえ。」

「そうだな。自分で呑んでないのに、あのご機嫌っぷりじゃねえ。ケン、お前がしつこかったんじゃないのかい?」

「さあ。加減とか考えてられねえからよくわからないけどな。」

「あらあら。」

「・・・・こりゃ、ごちそうさま、と言うべきか?」

「???お前達、何を言っている?姫自らが呑まれていないのに酔うはずなどないだろう?」

にやにやと笑う七巳と乙姫にたいして、訳が分からず眉間に皺をよせる鬼格に、思わず剣助が「お前はそのままでいてくれ。」と呟いた時。

「うわあっ!?」

「リン〜!リンも大好き〜!」

茂丹から引き離されてしまったらしい葵が、思いっきり淋の首に抱きついた。

「へえ。」

「なんというか、姫御前は酔うと抱きつく癖があったんですねえ。」

離せ!い〜や〜、などとじゃれ合っている淋と葵を見ながら思わずそんな風に呟く七巳と宝船の横で、剣助が口元を引きつらせる。

「・・・・俺を突き飛ばして出て行ったと思ったらあいつは・・・・」

「突き飛ばされたのか。」

「そりゃ、自業自得とはいえ不憫ですねえ。で、慌てて追いかけていて見れば、愛しい姫御前は他の男に抱きついていた、と。」

「ホウセン!」

反射的に鬼格が声を上げたのは、節度がどうのとかいうよりも、横の剣助から発せられる気があからさまに凍り付いたからで。

「・・・・葵!」

「はーい・・・・あれぇ、スケさんだ。」

「スケさんだ、じゃねえ。いいからこっちへ来い。」

「・・・・やだ。」

「は?」

そう言えば素直な葵はやってくるだろうとふんで声をかけたのに、俄に顔をしかめて首を振られて、剣助は珍しくきょとんとした顔をする。

その表情に気づいているのかいないのか、ぷうっと子どものように膨れた葵は不満げに言った。

「だあって、わたしばあっかりどきどきしてずるい。わたしだってスケさんばっかり好きなわけじゃなくて、葵座のみんなもだいすきだもんっ。」

だからリンも好きー!と言って再び抱きつかれた淋がぎゃあっと悲鳴を上げているのを見ながら、剣助はぽかんっとしてしまう。

その横から、おかしくてたまらないといった様子の宝船と甲姫が覗き込んで。

「おやぁ、これは本当にご馳走様ですねえ。」

「ケン兄、ここまで言われて本望やなあ。わたしばあっかりどきどきして、やて。」

「ホウセン、キノヒメ・・・・」

「おお、怖っ。でも、これは本当に自業自得ですよね。」

「ふぅ・・・・そうだなあ。せっかくケンがくれた好機だ。陽太やリンだけに役得させとく手はないよな。」

煙管を煙草盆にぽんっと叩いてにんまりと笑った七巳と宝船は剣助が何か言うより早く口を開いていた。

「菩薩殿ー?俺は好きじゃねえのかい?」

「淋さん達ばかりずるいですよ。アタシも仲間にいれてくださいな!」

「おい!お前ら!!」

「うん!ホウセンさんも怪しいけど、だいすき〜!ナナミももちろんだいすき!!」

「こら!葵!そんなに気軽に抱きつくんじゃないよ!って、ナナミ!腕広げて迎えてんじゃねええ!!」

「ほ〜ら、悔しかったら頑張って菩薩殿を止めるんだな、ケン。」

「くそっ!葵っっ!!」

―― そこから先は、もう上へ下への大騒動。

みんなに等しく抱きつこうとする葵と、なんとかそれを阻止しようとする剣助の追いかけっこが続く中、ほとんどついて行けなくなった鬼格がぽつりと呟いたのだった。

「・・・・それで、結局姫は何故、酔われたのだ?」

「・・・・それこそ、野暮ってもんだ。寿さん。」

















                                               〜 終 〜
















― あとがき ―
葵座のみんなが一緒に騒いでいるのが好きですv
・・・・ちなみに、葵がお酒に酔ったのは・・・・そりゃもう、剣助が手加減無しにちゅー・・・・きゃーー!(笑)