優しいお菓子



「あれは・・・」

上野の山も桜の盛りをすぎて、そろそろ夏を予感させる空が広がり始めた皐月。

興行の合間に上野の街をそぞろ歩いていた神鳴剣助は実に珍しい光景を目にする事になった。

その珍しい光景を見たのは、不忍池のほど近く。

甘味で有名な店の前を通りかかった時の事。

江戸から明治になろうとも、女の子の甘味好きはかわらないのか今日も今日とて人だかりができている店を何気なく見た剣助は冒頭の呟きを漏らした。

それというのも、春らしい色の着物を身に纏った女子の間に一際目立つ真っ黒い大柄な男を見つけたからだ。

あまりの浮きっぷりに最初は見間違いかと思ったが、彼は真面目に菓子屋で何やら品定めをしている。

周りの女子達が次々と菓子を買い求めていく中、彼はしばしの熟考の末・・・何か買った。

(これは、面白いもんを見つけたな。)

その様子を見ていた剣助はにんまりと笑う。

料理屋を営んでいるとはいえ、彼は基本的に菓子を買う用事はないはずだ。

加えて、彼自身はそんなに甘味が好きではないときたら、当然あの吟味の末の買い物は他の誰かのためという事になる。

これは、つつかないわけにはいかないだろう。

ましてその男が ―― 寡黙で知られた「みよしの」の旦那こと、猿飛密となれば。

というわけで、菓子の包みを片手に女子の輪を抜け出してきた密の元へ、さも今通りがかりましたと言わんばかりの軽い足取りで剣助は近づく。

「珍しいね、旦那。」

「!」

気配を消していたとはいえ、熟練の忍びであるはずの密が大きく肩を揺らした事に剣助はますます面白くなった。

(よほど違う方へ気でも取られてたか?)

もちろん違う方とは菓子、ひいては菓子を渡す相手にだ。

そんな風に剣助に面白がられていると知ってか知らずか、振り返った密は相変わらずの無表情で剣助を見た。

「・・・神鳴さん・・・」

「おう。珍しい場所で珍しい奴を見かけたから思わず声をかけちまったぜ。なんだい、使いかい?」

「・・・・・・」

剣助の言葉に密は珍しく視線を揺らした。

何と答えようか困っている、という風情に余計に剣助の好奇心が刺激される。

「それとも今度は菓子作りもはじめたり、とかな?」

「そういうわけじゃない。ただ・・・」

そんなはずはない、とわかりつつ、言うまで逃がさないからな、という意図を込めて言った言葉に、密は観念したように小さくため息をついた。

そして中途半端に言葉を切ったまま、菓子の袋に一度目を落として。

「・・・お嬢さんが・・・」

「アオイ?」

密の口から出た意外な名前に剣助はきょとんとした。

この春から葵座に加わったアオイこと、水戸葵は明るい元気な少女であるが、基本無口な密と接点があるように見えなかったからだ。

「あいつがどうかしたのかい?」

「少し、元気がない。」

「え?」

端的な指摘に剣助は首をかしげる。

(言われてみれば・・・か?)

三月の末、生まれた世から引き離された時の落ち込みようが酷かったので、それほど気がついていなかったが、言われてみれば最近の葵は少し元気がなかったかもしれない。

「芝居の事でリンに叱られているらしい。」

「ああ、そういや最近のリンは厳しいからなあ。」

次回公演で今までやっていた役を葵に譲った淋は、それ故に彼女の演技になかなか厳しい。

しかし普通の女子なら涙の一つも見せそうな場面でも、葵は負けじと食いついていくせいか、あまりへこたれているように見えない、と剣助は素直にそれを口にする。

「って言ってもアオイは大概、リンと互角にケンカしてるだろ?」

「・・・・・・」

剣助の言葉に密はためらうように一度口をつぐんだ。

そしてわずか考えた後、ぽつりと。

「・・・お嬢さんはみんなに見えるようなところで落ち込んだりはしない。」

そう言われて剣助は驚いた。

密は忍だけに目端が利く。

それ故に葵座の面々の事についても、剣助が気がつかない事に気がつく事も多い。

しかし、それがいつもの顔ぶれならともかくふた月ばかり前に唐突に現れた葵の事だったのが意外だった。

それも、まるで彼女を庇うように。

だから思わず剣助が

「へえ、随分双葉葵ちゃんの事をよく見てるみたいだな?」

と揶揄してしまったのも無理はない。

しかし密は少し困ったように眉を寄せて、首を振った。

「ただの偶然だ。・・・お嬢さんは、時々庭でぼんやりと空を見ている。」

「は?」











「少し前にそう言う姿を見つけて、甘いものでも食べるか、と声をかけてみたら、少し寂しそうに笑った。・・・それから時々な。」











そう言って、ふっと密は目を細めた。

「・・・・・・」

その顔に剣助は軽く言葉を失う。

(旦那にしちゃ、やけに優しい顔をする。)

密かに見せたという葵の笑顔を思い出しているのか、少し遠くを見た密はやけに優しい顔をしていた。

それは結を喪って以来、ついぞ見たことがなかったものだ。

あれ以来、密はいつもどこか張り詰めたような鋭さばかりが目立っていた。

それが、どうだ。

(って、ことは、だ。)

そして、その段になって剣助はやっと密の行動がつながった。

「つまり、その菓子は双葉葵ちゃんのために買ったってことかい?」

「っ!」

しまった、というように目をそらす密はその答えを肯定しているも同然で。

(・・・おいおい)

思わず剣助は心の中で溜息をついてしまう。

どうやら本当に密は落ち込んだ葵を慰めるために、似合わぬ菓子屋に足を運び菓子を買ったらしい。

もちろん、その行動の裏にはまだ深い意味はないのだろう。

おそらくは、普段元気いっぱいの葵が庭で一人たたずんでいる姿を見つけて、思いつきで声をかけた。

それがきっかけで、その後も葵が落ち込んでいると気になって声をかけるようになった、といったところか。

(旦那とアオイねえ・・・)

無口な密のことだ。

葵の姿を見つけて、台所に無言で引っ込むとお茶と菓子をのせたお盆でももって縁側から「もらい物の菓子があるから、茶でも飲むか」とでも声をかけるのだろう。

密は無口だけれど、人を安心させるようなところがあるから、葵も素直に寄ってきて悩みを相談するでもなく二人並んでお茶でも飲んで・・・。

(・・・・・・・・・・・・・・)

なんだか想像したら妙にしっくりきてしまって ―― 少しイラッとした。

多分、密にはだからといってどうということはない。

恋愛というには淡すぎる。

けれども、淡くても何でも他の誰も・・・剣助(じぶん)も知らない葵を密だけが知っているというのは有り体に言えば面白くなかった。

そしてあまりにもすんなりそう思った自分に少し苦笑する。

「・・・まったく罪な女だねえ。双葉葵ちゃんは。」

「え?」

「なんでもないよ。まあ」

そこで言葉を切って剣助はにやっと笑うと踵を返した。

「旦那にも負けないようにしないとならない、ってことがわかっただけさ。」

「は?」

肩越しにきょとんっとしている密にひらひらと手を振って、剣助はその場を後にした。

とりあえずは、淋の稽古が厳しくなりそうな時は助け船を出す算段をしながら。















―― その後。

「・・・お嬢さん。」

思った通り、今日の稽古が終わった後庭先で空を見上げていた葵を見付けて密は声をかけた。

「旦那?」

振り返った葵の表情は一見すれば普段と変わりない。

しかし。

「・・・もらい物の菓子があるんだが、茶でも飲まないか?」

そう言って、持ってきた菓子と茶の乗ったお盆を示せば「ありがとう!旦那」と笑う葵の笑顔はやはり心持ちさえない。

(・・・まだ心細い事も多いんだろう。)

いくら一時期より元気になったとはいえ、家族のいる世から引き離されいつ帰れるかもわからないのだ。

不安にならないほうがおかしい。

けれど、元来口がうまくない密は言葉ではどうしても上手く葵を笑顔にすることができないから。

「・・・・・」

無言でお盆を置いた密の隣に葵が座った。

そしてしばらくは遠い喧噪と鳥の声だけが二人のあいだに流れる

「―― ねえ、旦那。」

ややって、ぽつりと葵が言った。

目線だけで「なんだ?」と問えば、葵はしばし迷ったように密と手の中のお菓子を見比べて。

それから

「たいしたことじゃないんだけど・・・あのね」

「?」

「旦那は『もらい物』が多いんだね?」

「!」

葵の言葉に密は驚いて目を見開いた。

確かに自分で買ってきたというのは押しつけがましい気がして、毎回『もらい物』と言ってきたが、それがばれているとは思わなかったのだ。

予想外の葵の鋭さに、ややばつの悪い思いで密が彼女を見返すと、葵はやっぱりというような顔をした。

そして。

「いつもいつも旦那が黙って励ましてくれるから言い損ねちゃってたんだけど、今日は言わなくちゃって思って。」

そう言うと葵は大事そうに食べていたお菓子を両手で包んで密を見て。

「いつもありがとう、旦那!」

―― そう言って笑った笑顔は、まぶしいぐらいに輝く笑顔だった。















                                                  〜 終 〜
















― あとがき ―
ラブコレ2012で新刊シークレットのフォロー用に書いた創作でした。
旦那ルート、楽しみだ!(><)