とある忍犬の心配と苦悩



お初にお目にかかります。ワタシは茂丹と申します。

銀の里と言う忍の里に生まれて早数年。

普通の犬にはできぬ事を少々体得しています故、忍犬などと呼ばれております。

そんなワタシが仕えるのは、同じく銀の里で育ったご主人様、荒銀淋様と申します。

神器という物を身のうちに宿し、普通の方とは違う事情をもったご主人様は幼い頃から色々とご苦労がおありでした。

母親代わりの姉君を亡くされたり、幼い身の上で諸国を巡る葵座の一員となったり。

ワタシはいつもその側について、ご主人様の幸せを祈っていたのでございます。

・・・・だから、ワタシは「あの方」が現れた時、すぐにわかったのです。

「あの方」はきっと、ご主人様に幸せを運んでくれると。

これは犬の勘というものもあるのでしょう。

でもその勘は幸いながら当たったと思っております。

だってご主人様は春先の頃こそ「あの方」にぎこちなく接しておいででしたが、夏になる頃にはすっかり優しい顔で「あの方」を見るようになっていましたから。

ワタシは俄然張り切りました!

きっとご主人様は「あの方」に惹かれているに違いない。

「あの方」とて、まんざらではないとワタシ、思っておりました。

だって「あの方」が淋様の後ろ姿を目で追っているのを見ておりましたから。

ところが・・・・人というのは厄介なものでございますねえ。

我らが故郷、銀の里を訪れて久方ぶりの姉君のお墓参りも済ませた帰りの道中。

なんだか、お二人の様子がおかしいのです。

今だって・・・・ほら。















「モニちゃーん・・・・」

「あの方」こと、水戸葵様は呻き声に近い様な声でワタシの名を呼んだと思ったら、ぎゅうっと首もとに抱きつかれてしまいました。

嫌なわけではないのですが、葵様、そのままだと着物が地面に擦れて汚れてしまいます。

「わふっ。」

「あ、ごめん。苦しかった?」

ワタシは葵様のお着物を心配したつもりだったのですが、そう言って葵様はワタシを離して下さいました。

こんな風にすぐ誰かの心配をしてくださるあたり、葵様のお心が真っ直ぐな事がよくわかります。

そういう所がワタシも大好きなのですが、今は曇ったままのそのお顔が気になります。

「くぅ〜ん?(どうかしたんですか?そんなお顔は似合いませんよ?)」

「モニちゃん・・・・話聞いてくれるの?」

「わん!(もちろんでございます!)」

「ありがとう。」

ワタシが元気よく吠えると、やっと葵様は少し笑って下さいました。

あ、これは葵座の皆様もよく言っていることですが、葵様は笑顔が本当によく似合う方なのです。

淋様の事を差し引いても、葵様に笑っていて欲しいと思うワタシですから、最近のご様子は少し心配でもありました。

なにせ銀の里を出てからの葵様は、皆様の前では笑っていてもこっそり考え込んだりため息をついたり。

ワタシでよければいつでも話を聞きますものを、と思っていましたので今の葵様のお言葉は嬉しいものでもありました。

ですから、お着物が汚れないように、邪魔が入らないように、ワタシは先に立って葵様を宿の縁側へと導きます。

そして目的の縁側まで辿り着いて「わんっ」と吠えましたら、「ここに座れって言ってるの?」と葵様が首をかしげられました。

「わんっ!(はい!)」

「ふふ、ありがと。ね、良かったらモニちゃんも隣に座ってくれないかな?」

「わふん?(え?ですが・・・・)」

「ちゃんと足は拭いてあげる。ほら!」

土足で縁側に上がるわけには、と思っていたら葵様はさっさとワタクシを抱き上げて足を拭いてくれました。

ああ、せっかくのはんかちいふが汚れてしまってもったいない・・・・。

でもそんな事を思っているワタシに構わず隣に下ろすと、葵様は再び眉間に皺を寄せてため息をつかれてしまいました。

「・・・・はあ・・・・」

「くうん?(葵様?)」

「あ、ごめんね。・・・・ねえ、モニちゃん。」

「わふ?(なんでしょう?)」

「あなたのご主人様は、何を考えてるんだろうね。・・・・あんな事して。」

「わふん!?(ええ!?)」

ワタシは驚きました。

あんな事、とは淋様が何かされたということでしょうか!?

「わ、わんっ、わんっわんっ?(な、何をされたんですか!?)」

「あ、ごめん!別に大した・・・・」

と、言いかけたところで葵様のお顔がぱあっと赤くなったではありませんか!

(ご、ご主人様は一体何をされたんでしょう・・・・)

驚きのあまりワタシは口が開いてしまいました。

淋様は奥手ではないと思いますが、それほど恋愛沙汰には慣れていないはず・・・・と思っていましたのに。

そんなワタシの驚きが伝わったのか、葵様はご自分の頬を押さえて、またため息を一つ。

「・・・・大した事、あるよね。」

「くうん・・・・(すみません)」

想い悩んだ様子の呟きに、ワタシは思わずうなだれてしまいました。

その様子を見てとって、葵様はワタシの首のあたりを優しく撫でて下さいます。

「違うの。嫌な事されたわけじゃないんだよ?・・・・うん、驚いたけど・・・・嫌じゃなかった。」

ご自分でも確かめるように呟かれた葵様は少し遠くを見ておいででした。

けれどすぐにその瞳が困ったように細められてしまいます。

「でも、ね。あれからリン・・・・何も言ってくれないし。」

「わふ・・・・(ご主人様・・・・)」

本当に、何をしたんですか、貴方様は。

しかも葵様に何かされて、お気持ちは何も話されていないんですか!?

それはあんまりというものです!

憤っているワタシの横で、葵様は膝を抱えると、そっと指で唇に触れられました。

「・・・・初めてだったんだけどな。」

その仕草と呟きで、ワタシはだいたいの事情を悟ってしまいました。

きっとご主人様は何かきっかけがあって葵様への想いが押さえきれずに口づけをしてしまったのでしょう。

おそらくは何も告げぬまま、行動にだけ出てしまって、さらにそのまま有耶無耶に・・・・。

ご主人様・・・・それはいけません。

「わふ〜・・・・(はあ・・・・)」

こればかりはワタシも一緒にため息をついてしまいました。

人には良くも悪くも言葉という手段があるのです。

ちゃんと言葉でも伝えなければ、混乱させてしまうというもの。

まして。

抱えた膝に頬を乗せるようにしている葵様のなんと切なそうな事でしょう。

「・・・・リンの、ばか。」

囁く恨み言のなんといじらしい事でしょう。

それだけで犬の身のワタシにもわかりました。

葵様はご主人様に恋をされていらっしゃるのだ、と。

好きな相手でなければ、どうしてこんなに切なく悩むことがあるでしょうか。

それ故に、ワタシは申し訳ないような、嬉しいような気持ちでいっぱいになりながらそっと葵様の手を舐めました。

「くうん(どうか、元気を出して下さい)」

ワタシがもし言葉を話せたとしても、淋様の気持ちを勝手に伝えるわけにはまいりません。

でも、淋様は絶対に、貴女様が好きなのです。

そんな必死の思いを込めたのが伝わったのか、葵様はワタシの方を見てゆるゆると笑ってくれました。

「慰めてくれてるの?ありがと。」

「わふ。(こんなことしかできず、申し訳ありません。)」

「いいんだよ〜。モニちゃんのせいじゃないんだもん。モニちゃんは大好きだよ。」

にっこり笑ってぎゅーっと抱きしめて下さる葵様。

ええ、もちろんですとも。ワタシも葵様、大好きです!

ずっとお仕えしてきたご主人様をお任せするのは、葵様しかいないと思っております!

だから。

「くぅ〜ん。(見捨てないでください。)」

「?」

いささか情けない声で、不器用なご主人様を庇った言葉は通じなかったようで、葵様は不思議そうに首をかしげられました。

そこは残念でしたが、しかたがありません。

この場合は言葉足らずで葵様を悩ませているご主人様が悪いのですから。

(だから、早く腹を括って伝えられるまで、教えてあげないことにします。)

淋様の事を話す葵様が、どれほど可愛らしいか、どれほど愛らしい顔をされているか。

「わふっ!(ワタシと葵様だけの秘密です!)」

そう宣言するように吠えて、葵様を慰めるべく元気よくじゃれついたワタシに、葵様の笑い声が高らかにはじけたのでありました。
















―― 数分後。

じゃれ合ってすっかり疲れた葵が茂丹を抱きかかえるようにして眠っている縁側の側で、淋は思い切り複雑そうな顔で呟いたのだった。

「・・・・この場合、俺はどっちに嫉妬すべきなんだ・・・・?」

と。
















                                             〜 終 〜
















― あとがき ―
茂丹は礼儀正しい子だと思うんですよ。忍犬だし(<何を根拠に!?)
・・・・ぶっちゃけラブラブな葵ちゃんと茂丹が書きたかっただけです(^^;)