好いて好かれて恋華咲く
心臓がどきどきしすぎて目が回りそう、なんて言うことが本当にあるのだと葵は初めて知った。 さっきから目の前で起きている事がとんでもなさすぎて、ついていけていない。 (だ、だって・・・・!) ほんの数時間前まで、自分は増上寺にいたはずで福澤と緊迫のやりとりを繰り広げていたはずだ。 そして数十分前に「みよしの」に帰ってきて、やっと再会できた剣助と誠司から、未来に帰る方法があると教えられて。 そして、今 ―― 淋に引きずられるように「みよしの」の廊下を歩いている。 いや、引きずられるというと語弊があるので一応補足しておくと、葵は自分の足で歩いている。 歩いてはいるが、もう頭の中が大混乱過ぎてほとんど手を引かれるがままになっていた。 (だ、って!だって、さっきリンがっ・・・・!) 『いくなよ!』 未来へ帰る道を示されて、どうすればいいか葵が一瞬悩んだその時に響いた淋の声が脳裏に蘇る。 それは、初めて聞く酷く切羽詰まった必死の声だった。 そんな事を思いだして、葵の鼓動がまた大きく揺れている間に、さして広くはない「みよしの」の、淋が普段使っている部屋へと辿り着く。 無造作にすぱんっと淋が襖を開けるのを、どこか呆然と葵は見守った。 先に部屋に入った淋が軽く葵の腕を引く。 別に強く引かれたわけでもないのに、ただそれだけで油断していた葵の体は大きく部屋の中へかしいだ。 「あ・・・・っ」 大きく揺れた体に、葵が思わず声を上げるが葵自身が体制を立て直すより、淋が葵を引き寄せる方が早かった。 そして。 「んっ!」 襖を閉めるのももどかしく、淋の唇が葵のそれに重なった。 「・・っ、う・・・・・はっ・・・・・」 重なった唇の熱さに思わず葵が目を瞑ると、僅かに角度を変えてさらに深く被される。 焦れたように唇を舐められて、背に悪寒に似た震えが走った。 「・・・あ・・・・・」 「・・・・アオイ・・・・・!」 唇が触れるような距離で、名前を呼ばれて目の前がちかちかした。 「リ、リンっ・・・ちょっと、まっ!」 「悪いが待たない。」 「え、・・・っ!」 心臓も頭もどうにかなりそうで、咄嗟に淋を押しかえそうとした葵を淋は難なく押さえ込んでしまう。 そして再び重なった唇は、深く深く、吐息さえも奪うように葵を蕩かしていく。 「リ・・・・ちょ、」 「アオイ・・・・・っ」 「ふっ・・・・・は、」 ふれ合った唇も、逃がさないと言うかのように抱きしめてくる腕も、口づけの合間に呼ばれる名前も、何もかもが熱くて・・・・。 「・・・も、」 「?」 幾度目か、唇が離れた瞬間に。 「・・・・・・・・・・・・・・・もう、ダメ。」 ―― 白旗宣言とともに、葵は腰から崩れ落ちた。 「おい!?」 「・・・・・・・はぁ・・・はぁ・・・・・」 ぺたりと崩れ落ちるように座り込んでしまった葵に、さすがに淋も慌てたような声を上げる。 「大丈夫かよ?」 「だ、だいじょうぶ・・・・?」 目線を合わせるように自分も座り込んだ淋にかけられた言葉を葵は繰り返して。 「大丈夫じゃないよ!」 ほとんど生理的に涙がにじんでしまった目で、きっと淋を睨み付けた。 それがなにやら異様な気迫を持っていたせいで、若干怯む淋に葵は言葉のわいてくるままに口を開く。 「リ、リンは唐突すぎるよ!あんな事言うし!こんな事するしっ!!」 「あんな事って。」 「い、いきなりみんなの前で、プロ・・・・め、め、夫婦になれとかっ!」 「っ!しょ、しょうがないだろ!?あそこで言わなかったら絶対後悔するってわかってたんだから!」 「そ、それにしたってもう少し心の準備とかさせてよ!心臓止まるかと思ったんだから!!」 「!」 こんな場面だというのに、危うくいつもの調子で言い合いになりかかった二人だったが、葵の言葉に淋がぴたっと動きを止めた。 そして、何やら考えるように少し眉を寄せて。 「・・・・それは、嫌だったって事じゃないよな?」 「は?」 確認するような言葉に、今度は葵が眉を寄せた。 その顔を淋が覗きこむようにして膝を詰める。 「嫌だから、心臓が止まりそうになったわけじゃないだろ?」 「当たり前っ!―― !」 当たり前でしょ!?と勢いのまま、言い返しそうになって、はたと葵は己の言葉の意味に気が付いた。 大丈夫じゃない。心の準備とかしたかった。心臓止まるかと思った。・・・・でも、嫌じゃなかった。 ―― それどころか。 「〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!」 僅かばかり大混乱だった頭が整理された途端、葵の顔が真っ赤に染まる。 その様子があまりにも見事な変化すぎて、思わず淋は吹き出した。 「ふっ、ははっ」 「ひどっ!?笑わないでよ!」 「だってお前、ものすごく真っ赤だぜ?」 「〜〜〜っっ!!」 指摘されてもはや今更なのに、葵は頬に手を当てる。 その様を見て、淋は目を細めた。 「アオイ。」 「うっ、その声、卑怯!」 「はっ、なんだ?卑怯って。」 「卑怯なものは卑怯なんだってばぁ。」 ううう、と呻きながら顔を隠そうと俯いて、そのおかげで見えた旋毛に淋は唇を寄せた。 「ひゃあっ」 今まで感じた事のない感触に、葵が顔を跳ね上げると至近距離で淋が微笑んでいた。 細められた瞳は、今まで見たこともないほど優しくて、それだけで葵は涙が出そうなほど胸を締め付けられる。 (もう・・・・リン、ずるいよ。) 出会った頃からずっと俺様で、稽古は厳しくて、とにかく偉そうだったくせに、気が付けば誰よりも近くでこんな風に愛おしそうに葵を見つめるようになった人。 「アオイ。」 座ったまま腰を引き寄せるように手を回して、頬に添えられる掌のなんて優しい事だろう。 「・・・・ずるい。こんな風にされたら何にも考えられない。」 未来に待っている家族や幼なじみがいること、この時代は自分の時代ではないこと、考えなくてはいけないことはあるはずなのに、あまりにも淋の手が温かすぎて離れたくないと思ってしまう。 そう思う時点ですでに自分の中での答えはでている、と心のどこかで思いながらも、素直に認めてしまうのも悔しくて、そう言った葵に、淋は緩やかに笑った。 「なんでもいい。お前が側に居てくれれば、俺はなんだってかまわない。」 そう言って、淋は軽く葵に口づける。 さっきの奪うようなそれではなく、軽く触れるような口づけは、暴れ回っていた葵の鼓動を優しくなだめるように落ち着かせた。 そして。 「だから、」 前髪がふれ合うような距離で淋の瞳が揺れる。 その瞳の奥に、多大な確信と・・・・そして僅かな不安が揺らめいているのを見てとって、葵は知らぬうちに息を詰めた。 (・・・・そうだった、そもそも部屋ならって言われて連れ出されたんだったっけ。) もっとも、選択肢はないと言われているのだけれど。 やっと怒濤の数分前の記憶を引っ張り出した葵を見つめて、淋は囁く。 「アオイ」 ―― なんだかんだ言って、淋が愛しむように呼ぶ声の響きが。 ―― 普段は散々な扱いのくせに、大切そうに触ってくれる指先が。 「さっきも言ったけど、もう一度聞く。」 ―― 芯の通った行動が。 「ここに残って」 ―― いつもどこか強気で、こんな場面でも偉そうな。 「俺と一緒にいろ。」 きっぱりと告げられた言葉に、葵はしばし淋の瞳を見返して。 (―― ああ、結局、私・・・・) 好きなんだなあ、とため息をついて。 「・・・・それ、質問になってないよ。」 そう言って ―― この上なく幸せそうに微笑んだ葵の唇に、もう一度、淋の口づけが降り注いだのだった。 〜 終 〜 |