七月七日、晴れ
七月七日。 昼間は夏の日差しが降り注ぐようになっているとはいえ、日が落ちればまだまだ涼しげな風が心地良い初夏。 そしてそんな涼を運ぶ風がさわさわと揺らすのは。 「わあっ!」 夕食後、庭に面した縁側に出てきた葵は歓声を上げた。 「今年も用意したんだね、笹!」 そう、庭先にはとってきたばかりなのだろう、青々とした見事な笹が軒を越えてたてられていた。 「お、菩薩殿のお出ましだ。」 「わんわん!」 「今年は間に合ったな、アオイ。」 去年同様、縁側に寝転がった七巳とすでに一杯やり始めている剣助にそう言われて、葵は苦笑した。 確かに去年はのんびりお風呂につかっていたら、すでに七夕の飾り付けが始まっていたのだ。 「うん、今年は出遅れないようにちゃんと早めにすませてたからね!」 「アオイ!そんなとこでしゃべってるとまた先に始めるぞ!」 ふふんっと胸を張っていると笹の根元にいた淋から早速そんな声が飛んできて、葵は慌てて下駄をつっかけると、庭へ出る。 「姫、飾りはこちらに用意してありますから。」 「あ、カクさん、ありがとう!」 「おう、姫さんが来たなら始めようぜ。」 「うん!」 陽太の号令に葵が大きく頷いて、今年も葵座の七夕が始まったのだった。 今、葵の生きている明治という時代がそうなのか、この一座がそうなのか、はわからないが、葵座はわりと季節行事は外さない。 春は花見、夏は七夕や花火、秋は月見などなど。 葵座の本拠地、上野は『みよしの』に滞在中でなくても、巡業先でもそういう事をきちんとやる。 去年、葵が明治に初めてやってきて過ごした一年間も『みよしの』、巡業先問わずそんな行事を一緒に楽しんだものだ。 しかし楽しく過ごしたそんな行事も一時のものだと葵は思っていた。 何せ、葵は双葉葵の化身としてこの地へ降り立った経緯があり、生まれ育ったのは140年先の未来だったから。 だからいつになるかはわからなかったけれど、いずれ自分の時代へ帰るのだろうと、そう思っていた。 それが覆されたのは、去年の冬。 葵がこの時代に呼ばれるきっかけとなった裏紋騒動の増加を引き起こしていた福澤諭吉との決着をつけた後、荒銀淋に引き留められたから。 互いに想っている事は知っていて、生まれた時代にいる家族や幼なじみの事を想うとどうすればいいだろうと迷っていた葵を淋は全力で引き留めた。 文字通り、言葉も体も全力で使って。 葵とて離れる事なんてできるのだろうか、と想っていた相手にそれほど引き留められてしまえば迷いも吹き飛ばされようというもの。 そうして葵は明治に残り、淋と共に生きていく事になった。 それから早半年。 今年も巡業先で迎えた七夕の笹は去年と同じようにさやさやと夜風に色とりどりの飾りをつけた枝をそよがせている。 「できたー!」 「ま、こんなもんだろ。」 「おリン、可愛くねえなあ。こんなに綺麗じゃん!な、姫さん?」 「ねー。」 ようやっと飾り付けの終わった笹を見上げて、二人で笑い合う陽太と葵に、淋がぴくっと口元を引きつらせる。 「おい、お前ら。俺の前で二人で通じ合ったりするな。」 「なんだよ、おリン。やきもちか?」 陽太としては鬼格に継ぐ堅物者の淋をからかったつもりの台詞だったが。 「そうだ。悪いか。」 堂々と肯定されてしまった。 「あー・・・・おれっち藪蛇?」 「リ、リン・・・・」 あまりにも堂々としたリ淋の態度に、陽太は思わず中空を見つめ、葵は頬がほてってくるのを感じた。 (リンって時々こういう事いうんだから。) 普段は恋人になる前もなった後もしょっちゅう喧嘩したりしているような関係なので油断しがちだが、もともと性根がまっすぐな淋は葵への想いを必要以上に隠したりしない。 特に葵にちょっかいを出す男に対しては、まったくもって容赦がなかったりする。 「お前達ー、漫才はそのぐらいにして俺達の短冊もつけてくれよ。」 何とも言えずぬるい空気が漂いかかった三人に縁側で相変わらず杯傾けながら剣助が声をかける。 いつの間にか横で転がっていた七巳も含めて酒を飲みながらにやにや笑っているあたり、三人のやりとりを聞いていたのだろう。 その証拠に、「神鳴くん!」と諫めるような声を出す今年から葵座入りした誠司の頬が微妙に赤い。 「おれっち、短冊とってくるわ。」 そう言って陽太が縁側に走っていくのを見ながら、葵はちらっと淋を睨んだ。 「リン。」 「なんだよ。」 葵の恨みがましい視線に気がついているくせに、涼しい顔をしているのが憎らしい。 「あんな風に言ったらハッチだって困っちゃうよ。それに・・・・は、恥ずかしいし。」 「別に恥ずかしい事なんてないだろ。」 「わっ!?」 急にぐいっと手を引っ張るように抱き寄せされて、葵は思わず声を上げた。 「ちょ、ちょっとリン!?」 「・・・・このぐらい見せつけとかないと、諦めてない奴が多すぎるんだからな・・・・」 「?何か言った?」 淋の腕の中に収まってしまう直前、淋の呟いた言葉は幸か不幸か葵の耳には届かなかった。 故に、淋は少しつまらなさそうな顔をして首を振った。 「いや、なんでもない!」 「??って、リン、離してー!ここ庭先!みんなから見えるからっ!」 「ふうん、俺の腕の中にいるっていうのに、みんなが気になるのか。・・・・余裕だな?」 「へ?」 意味ありげに半眼で見てきた淋に嫌な予感を覚えた直後。 淋の顔が大写しになったかと思うと、ちゅっと音をたてて額に口付けられた。 「〜〜〜!?」 (な、なっ!?) いくら暗くなってきたとはいえ、月明かりも十分だし縁側からだって目と鼻の先の笹の下。 背を向けていたってわかるぐらいに感じるみんなの視線と、甘く細められた淋のそれに挟まれて葵は口をぱくぱくさせた。 そんな葵に淋はこらえきれなくなったようにぷっと吹き出して。 「すごい真っ赤だぞ、お前。」 「あ、当たり前でしょ!?ううう・・・・」 「ははっ!」 呻きながら葵が頬を押さえると、淋が楽しそうに笑い声を上げる。 「笑うなんて酷いよ!」 「悪い。お前のふくれた顔も可愛いから、ついな。」 「っっ!」 だからっっ!と叫びかけて葵は諦めた。 これ以上言葉を重ねるだけ、なんだか恥ずかしい思いをしそうな気がしたのだ。 ・・・・もちろん、嫌なわけではないけれど。 そんな事を考えながら、なんとか淋の腕を脱出して葵は自分を落ち着かせるようにため息を一つつく。 「ところで、お前はちゃんと短冊書いてきたのか?」 「あ、うん。」 やっと笑いを納めた淋にそう聞かれて、葵は自分の袂を押さえた。 この時代、まだペンは発達していないからどうしたって墨で書くわけで、短冊は早めに書いてみんな準備しておいたのだ。 しかし。 「・・・・なんか今これを出すのはちょっと複雑なような・・・・」 自分が短冊に書いた文を思い出して微妙な表情をする葵に、淋が首を捻る。 「なんだ?」 「うーん・・・・あ、そうだ!ハッチ!」 ここへきてようやくさっき縁側にいるみんなの短冊を取りに行った陽太の事を葵が思い出して叫ぶと、どっと縁側から笑い声があがった。 「!」 「やっと思い出してもらってよかったなあ、陽太。」 「ううう〜、姫さーん。」 「なんていうか、その・・・・天ノ川で逢瀬をしている二人もやきもちをやきそうだね。」 「へえ、セイジ。上手い例えだな。」 「〜〜〜!もう、短冊飾るよ!!!」 ずっと見られていたという照れ隠しに、叫んで縁側へ駆けていく葵を淋が苦笑して見ていると。 「わんっ!」 「?モニ?」 足下で聞こえた愛犬の鳴き声に、淋が下へ目をやると、茂丹が器用に色紙の短冊の端をくわえて見上げていた。 「なんだ?お前も短冊をつけてほしいのか?」 そういえば去年も茂丹の短冊をつけたな、と思い出しながらそう言うと、何故か茂丹は顔を葵に向けて。 「わふ。」 「これ、アオイのか?」 「わん!」 そうです!と言わんばかりの鳴き声に短冊を受け取ってみれば、確かにやや微妙な毛筆で文章が書かれていた。 おそらくさっき淋が抱き寄せた時に落ちたのだろう、と思いつつなんとはなしにその短冊に目を走らせて・・・・。 「・・・・・・・・・・・・・・・」 「お待たせ!みんなのもらってきたよ!・・・・って、リン!それ!?」 「お前の短冊。落ちてたみたいだな。」 「え、ええ!?あ、ほんとだない。」 淋の指摘に慌てて袂をさぐった葵が驚いているのを横目に、淋は陽太に声をかける。 「ハチ!ちょっと手を貸せ。」 「ん?」 「アオイの短冊、上の方につけてやりたいんだ。」 「え?」 「別にいいけど、確かおリン、去年はどこにつけても神様は見てるとか言わなかったっけ?」 去年、上の方につけすぎだと怒られた事を覚えていたのだろう。 不思議そうに首をかしげる陽太に、淋は驚いた顔をしたままの葵の方を見て少し笑って言った。 「いいんだよ。この願いはなるべく上の方が、さ。届けたいのは神様じゃないからな。」 「リン・・・・」 見つめる葵の瞳がほんの少し潤んだのは気のせいじゃないだろう。 さっきのような戯れじゃなく、本気で抱きしめたくなって、それを誤魔化すように淋は笹を見上げた。 満天の星空に吸い込まれるように伸びている笹の軌跡。 さわさわと枝を揺らす風に色とりどりの飾りが揺れて、何か不思議なことが起こりそうなぐらい幻想的で綺麗だから。 「・・・・願い、かなうといいな。」 「うん!」 大きく頷いた葵の輝くような笑顔はきっと、天の織り姫だってかなわないだろう、と淋は思った。 そうして ―― 『今、幸せだって、遠くの家族に伝わりますように』 夜風にそよぐ笹のてっぺんにそんな願いが揺れたのだった。 〜 終 〜 |