俺様独占欲
明治は春爛漫に華やぐ四月。 ちょうど一年前に双葉葵が物言わぬ石から、天真爛漫な一人の少女へと変じるという前代未聞の事態が起きた葵座も、山やら谷やら乗り越えて、やっと収まるところに収まって変わらぬ空気を取り戻した春・・・・と思いきや。 当節は事情が違うようで・・・・。 「・・・・あの、リン?」 控えめに、ものすごく控えめに、元双葉葵こと、水戸葵が呼びかけたのは、己の背中。 というのも。 矢絣袴のいつもの葵の背中には、ぴったりと一人の少年がくっついているからだ。 否、完全に少年であったなら葵とてこんなに居心地の悪い事にはならなかっただろう。 彼女の背中に張り付いているのは、少年から青年へと成長を遂げようとする同い年の男であり、葵の恋人でもある荒銀淋なのだ。 葵を腕の中にすっぽりと納めるように腕を回して、膝の間に囲い込んだ淋は先程からさっぱり動こうとしていなかった。 「・・・・・・」 「その・・・・えーっと」 「・・・・・・」 一向に返ってこない返事に、葵はごくりと唾を飲み込んでとうとう決定的な事を口にする。 「そ、そろそろ、離して欲しいんだけど・・・・。」 「絶対嫌だ。」 言った途端、キッパリとした否定が返ってきて、葵は頭を抱えたくなった。 いや、別に葵とてこの状況が嬉しくないわけではない。 かつてはけんか腰でしょっちゅう葵と言い合っていたような淋が、こんな風に触れ合うのが好きな事を知ったのはほんの数ヶ月前のこと。 それから事あるごとに抱きしめられているのだが、元々あまり恋愛経験が豊富とはいえない葵はなかなか慣れない。 とにかくほっぺたは熱いし、心臓はどきどきするし、でずっと抱きしめていて欲しいような、でも離して欲しいような、という葛藤に毎回困ってしまうのだ。 が、しかし今回後者の感情が勝ったのは、とにかくこの状況が長すぎるということがあった。 何しろ舞台がはねて、着替えやらなんやら一息ついたところで淋が葵の部屋に顔を出して、それからこうなのだ。 もうかれこれ一刻ほどにもなろうか。 少し前から「みよしの」の一階の店の方からは、美味しそうな匂いとともに仲間達の笑い声も漏れ聞こえてきていた。 「でも、そろそろご飯なんじゃないかな?」 何とか事態打開に向かって思いつくことを口にした葵の耳元で、淋が小さく鼻を鳴らす。 「腹減ったのか?」 「え?うーん、そんなには。」 正直、心臓がばくばくしていて空腹どころの騒ぎじゃない、と思ってしまった葵がそのままの感想を口に出すと、淋が満足そうに笑った。 「じゃあ、もうしばらくいいな。」 「ふえ!?」 思わず驚きの声を上げてしまった葵の耳元に、淋がさりげなく頬をすり寄せた。 「わっ!リンくすぐったいっ。」 驚きと共に首を竦めた葵の耳に、珍しく拗ねたような淋の声が滑り込んだ。 「こうされるのは嫌か?」 「え?」 「別に構わないだろ・・・・ケンスケともしてたんだし。」 「は!?」 ぽつっと淋が付け足した言葉に、葵は思わず声を上げてしまった。 (スケさんとって・・・・まさか。) 脳裏を過ぎったのは、今日の芝居だ。 昨年の日光でやった「八百屋お七」そうだったが、葵座の恋人物の時は割合と葵と淋が恋人役をふられることが多かった。 それは多分、不器用な弟分を気遣った年長者組の思惑もあったのだろう。 しかし今、公演中の葵座の舞台は、珍しく葵と剣助が恋人役だった。 悲恋なだけに、剣助が引き留めるように葵を抱きしめる場面はなかなかの見せ場の一つだったりするのだが。 (でもリンだよ!?) 芝居についても人一倍真面目で、葵座に入った当初はもちろんのこと、恋人になってからも容赦なくしごかれた覚えのある葵としては、芝居の事で淋がこんな反応をするなんで思いもよらなかった。 まさか芝居の役柄で・・・・。 「・・・・リン。」 「・・・・なんだ。」 意外すぎる、という感情まるだしで零れた名に、不機嫌そうに淋が応える。 それがまさに肯定を表しているようで、葵はますます目を丸くする。 「えっと、まさかやきもち・・・・」 「妬いて悪いか。」 ざっくりと開き直った様子に、葵は思わず言葉を失った。 「わ、悪いって。あれは」 「わかってる。あれは役で、芝居で、仕事だ。だからちゃんと我慢した。」 「え、ええ!?」 そのやたらと堂々とした淋の言いぐさに、葵はますます驚いてしまう。 その反応がお気に召さなかったのか、淋はむすっとした顔になって葵の半身を自分の方へ引き寄せた。 自然と片腕を背に向かい合わせに抱きしめられる形になった葵が淋を見上げると、その瞼の上に、柔らかい感触が降ってくる。 「わぁっ!?」 「ふんっ、何、色気のない声だしてんだよ。」 「だ、だ、だって!リンがいきなりキスするからっ!」 「お前、このぐらいいい加減に慣れろ。」 「む、無理だから!」 確かに淋にされるキスとしては瞼の上なんて可愛いものだ。 けれど、こればかりは回数とか場所の問題ではない。 今だって頬が熱くて、確実に真っ赤になっているであろう自分の顔が手に取るようにわかった。 けれど思わず顔を伏せようとする葵を、淋はひどく嬉しそうに目を細めて見つめて。 「葵・・・・」 「な・・・・んっ。」 今度重なったのは唇。 柔らかく吐息を奪うような口づけに、葵の頭の中は真っ白に塗りつぶされていく。 そして下の店でみんなが宴会を始めている事も、芝居の事も、すべて消えてしまいそうになった頃、唇を離した淋は少しだけバツの悪そうな顔をして言った。 「・・・・芝居とか、役とか、ちゃんとわかってるし、理解はしてたが・・・・実際見ると、違うな。お前がケンスケと見つめ合ったり抱きしめられたりしてるのを袖で見てて、結構腹がたった。」 「リン・・・・」 いつもぶっきらぼうな口から零れる甘い吐露に葵の胸がきゅうっと締め付けられる。 同時にほんのちょっとだけ可笑しくもなった。 (リン、かわいい。) もちろん、淋だって役者だから葵に誰かと恋人役をやるなとは言わない。 けれどこんな風に甘えるように抱きしめてくる恋人を、可愛いと思わない人がいるだろうか。 そう思った時にはもう葵の唇から、小さな笑い声が漏れていて。 「・・・・笑うな。」 「あ、ごめ。ふふっ。だって、リンが」 「うるさい。」 言いかけた葵の言葉を、軽い口づけで遮って。 こつん、と額を合わせた淋は、至極えらそうな口調で言ったのだった。 「俺はちゃんと我慢したんだから、お前は黙って俺に独占されていればいいんだよ。」 〜 終 〜 |