君は葵座のお姫様



「きゃあ!モニちゃん!そこ引っ張っちゃダメだってばぁ!」

「わん!わん!」

春うららかな上野の片隅にある「みよしの」の庭に、元気な女の子と犬の声が楽しそうに響いた。

女の子の方は、当節流行の女学生のように髪を高めに括って矢絣の着物に袴のハイカラさん姿で洗濯物を干している。

そんな彼女の足下に遊んで!遊んで!とばかりにまとわりついている前掛けを付けた犬が一匹。

まさかこの一人と一匹が実は140年も先の世からやってきた神器の生まれ変わりと、忍犬だとはとうてい思えないような穏やかな光景だ。

「・・・・なんというか、和むなあ。」

そんな光景を「みよしの」の座敷に片肘ついて寝転がって見ていた剣助がぽつっと言った。

その言葉に剣助の横で将棋の駒を手に持った鬼格が静かに睨む。

「剣助。お前が言うと何故かいかがわしく感じるのでやめろ。」

「おいおい、そりゃないだろ、鬼格。」

「ふぅ〜・・・・俺はケンの気持ちはわかるがなあ。」

「諏訪。」

とがめるように名を呼ばれて、柱に寄りかかって煙管をふかしていた七巳は軽く肩をすくめた。

そして軽く紫煙を吹き出すと、鬼格のお叱りなどどこへやら、視線を庭へ流した。

午前中の春の日差しは柔らかく降り注いでハイカラさんこと葵と、忍犬の茂丹を包んでいる。

葵の襷の端をおもちゃに決めたらしい茂丹が飛びかかってくるのを、洗濯物を護りながら避けている葵の足取りは軽やかで、まるで踊っているようだ。

「可愛らしいもんだねえ。」

「・・・・うるさいだけだ。」

鬼格の向かいで将棋をはさんで座っていた淋が不機嫌そうに切り捨てた。

ちょうどその時、襖が開いて陽太がお盆抱えて入って来た。

「お茶もらってきたぜー!」

「ああ、ご苦労さん。陽太。」

「うっす!・・・・って、みんなで何してんだ?」

珍しく無事にお盆を畳に着地させた陽太にそう聞かれて、鬼格と淋は同時に顔をしかめた。

「見て分からんのか?」

「寿さんの言う通りだ。俺達は将棋を。」

「え?でもキカクもおリンも庭見て固まってんじゃん。」

「「っ!!」」

陽太の完全に悪気はない突っ込みに、鬼格と淋の肩がぎくっと跳ね上がった。

確かに鬼格は将棋の駒を手に持ってはいる。

淋は将棋盤を挟んで座ってはいる。

・・・・が、確かにさっきから二人の間の将棋盤には一手も新しい手が打たれていなかった。

「ぶっ!はははっ!」

「陽太。お前、いいとこ突いたねえ。」

「へ?」

「ち、ちがっ!俺はモニを見ていたんであって、あいつを見てたわけじゃない!!」

「そ、そうだ!俺達は姫を無遠慮に見たりはしていない!」

「・・・・お前ら、それは菩薩殿に見惚れてたって言ってるようなもんだよ。」

「「なっっ!!?」」

「はいはい。わかった、わかった。みんな結局双葉葵ちゃんが気になってたって事だよな。」

生真面目な二人が七巳のからかいに噛みつく前に剣助が絶妙の合いの手を入れる。

と、その言葉に陽太がぱっと顔を輝かせた。

「庭に姫さんがいんの?」

「ああ。さっきからモニと遊びながら洗濯物干してるよ。」

剣助に言われて陽太は庭が見える方の襖からひょいっと顔を出した。

「お、ホントだ!おーい!ひめ・・・・むぐ!」

いつものように座敷を一つ挟んだ向こうの庭にいる葵に向かって呼びかけようとした陽太の口を、間一髪、七巳が押さえた。

「もむむごむむむ?(なにするんすか、親分?)」

「陽太。せっかく菩薩殿の笑顔をみんなで楽しんでるんだから、邪魔するんじゃないよ。」

「ぷはっ!へ?姫さんの?」

「だから俺達は将棋を!」

「諏訪、そう言う言い方は若人に悪い影響がだな・・・・」

淋と鬼格が口々に言いつのろうとしたのを他所に、陽太は庭に目をやった。

そこでは洗濯物をなんとか広げ終わったらしい葵が、本格的に茂丹と遊ぶことにしたのかしゃがんで茂丹の首を撫でていて。

「あ、ホントだ。姫さん笑ってらぁ。」

自分まで嬉しそうに微笑んでそう言った陽太の言葉に、思わず鬼格と淋も言葉を止めて庭を見る。

袴の裾が翻るのも気にせず顔いっぱいに笑って葵は茂丹と遊ぶ。

こちらの世の女性であればはしたないと窘められそうな姿だったが、葵だと何故かそんな気にはならない。

それはまだ朧気ながら、葵がやってきた140年後の来世がこの明治の世とは大分違うらしいということがわかってきたせいなのかもしれない。

「・・・・ともかく、元気になってくださってよかった。」

ぽつり、と鬼格が呟いた言葉に同意する空気が満ちる。

こちらの世に降りたってすぐの頃の葵はさすがに衝撃もあったのか、「みよしの」に引きこもったまま萎れた花のようになっていたから。

七巳や剣助のように少しは長く生きている者はもちろんのこと、陽太や淋でさえ葵がおそらくはそんなに大人しい性格ではないと感じていたから、萎れている葵をみんな何とはなしに気にしていたのだ。

だからその後、初の裏紋成敗をしてから少しずつ馴染んできた葵が笑顔を見せてくれるようになったのは、素直に嬉しく思う。

「一人ぼっちでわけもわかんなくて心細かっただろうけど、少しは慣れてきてくれたかな。」

「そうだな、ハチ。まあ、少なくともモニとはもう大の仲良しみたいだしな。」

「ふぅ・・・・ケン、羨ましいのか?」

「うん?どっちが?」

紫煙を吹き出してからかう七巳に、剣助は口の端を上げて笑う。

その様子に、鬼格は眉間に皺を寄せて。

「二人とも、そういう会話は若人によくないからよせ。大体、蜂須賀と淋がわけがわからないという顔をしているだろう。」

「「?」」

「あー、はいはい。わかったよ、寿。それにしても菩薩殿が来てそろそろ一月か。」

「そうっすね。姫さんが来たのが三月の末っすから。」

「もう、五月になるしな。」

「ああ、そういうことか。」

「?なんだケンスケ。」

「いや、ナナミが言いたいのはそろそろ双葉葵ちゃんの里心がつくころだってことだろ。」

剣助の言葉に七巳以外の三人はきょとんっとした顔をし、七巳だけがご名答とばかりに目を細めた。

その視線を受けて剣助は庭の葵に目を移す。

今は楽しそうに笑っている葵だが、そう言えばふっと遠くを見ている事が多くなっているような気がした。

おそらく同じ様な事に思い当たったのだろう、姫大事の鬼格が困った顔をして言った。

「だが、さすがに里帰りさせて差し上げるわけにもいくまい。」

「そりゃそうだ。簡単に帰れるならこんなことになってないしな。」

「うーん・・・・うーん・・・・・・・・・あ!!」

「うるさいぞ、ハチ!」

「良い事思いついたんだって!姫さんを帰すことができないんならさ、せめて似てる場所に連れてくとかどうだ!?」

いつものごとく威勢の良い陽太の提案に皆が「おや」という顔をする。

「ハチにしちゃ悪くない提案だな。」

「ケンスケ、俺にしちゃってなんだよ。」

「だが似たような場所ってどこだよ?さすがに俺達だって140年先がどんな所かなんてわからないだろ。」

淋の指摘に「それなんだよなあ」と陽太は頭を抱えた。

確かにポロポロと葵から元いた時代の話を聞いてはいるのだが、どうにも今と違いすぎて想像ができない事が多いのだ。

と、そこへ腕組みをして何やら考え込んでいた鬼格がぽつっと言った。

「では、なるべく新しい町、というのはどうだろうか。」

「新しい町?」

「我らは姫のいらっしゃった時代を知らないが、少なくとも今より進んでいるということは確かだろう?ならばこの時代で比較的新しい場所ならばあるいは・・・・。」

「・・・・ふぅ・・・、それは悪くないな。」

「と、すると、次の公演は銀座ってのは決まってるから、その次だな。」

剣助の言葉に、全員が頷いた。

「今新しいって言うと、横浜か?」

「そうだな、リン。横浜ならそう遠くもないし、よし、決まりだ。」

座長の最終決定が降りてふっと座の空気が引き締まる。

そして、誰ともなしに、皆の目が庭へと向いた。

庭では相変わらずこちらでこんな会話が交わされているとは気づいてもいないらしい葵と茂丹が戯れている。

舐められたり足下にまとわりつかれたりして歓声を上げる葵の姿は、見ているこちらの胸の内に何とも言えない暖かいものを抱かせる。

その笑顔を曇らせたくない・・・・笑っていて欲しい ―― とは、一体誰の心に去来した想いか。

双葉葵の姫御前。

物言わぬ石だった双葉葵が人の姿になって一月と少し。

彼女はいつのまにか、かつて護り続けた石よりも鮮やかな存在感で、葵座の中心で輝きだしていた。















「・・・・て、いい話で終わろうとしてるとこ、なんやけど。」

「男はん五人で遠くから女の子を盗み見なんてやめておくれやす。」

ぴしゃん。

いつの間に来たのか、にっこりと・・・・どこか迫力を感じさせる笑顔で乙姫甲姫が庭に面した襖を閉めて。

「「「「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」」」」

―― 誰も「盗み見なんてしてない」と言い訳できぬまま、微妙な沈黙が落ちたのだった。















                                            〜 終 〜
















― あとがき ―
横浜巡業が葵ちゃんのホームシックのために計画されたというエピソードが好きで思わずこんな話に(^^;)
イメージは遠くで遊ぶ孫を見てるお爺ちゃん風でしたけど・・・全員若い男で、しかも見てるのがお嬢さんじゃね、というオチでごさいました!