十二月三十一日〜一月一日 除夜の鐘と宣戦布告 ゴオ〜〜ン・・・・ゴオ〜〜〜ン・・・・ 冷たく澄んだ冬の空気に尾を引くように上野は寛永寺の除夜の鐘の音が響く。 縁側でふっと淋がはき出した息は白く濁って、師走の寒さを視覚的にも感じさせた。 「リン。」 ふと、背中からかけられた軽やかな声に淋はぴくりと肩を跳ねさせる。 この寒さの中にあって、どこか春のような明るさを感じさせるその声は淋にとっては特別な声だ。 肩越しに見上げるように振り返れば、そこには思った通り、いつもの羽織袴ではなく着物姿の葵が立っていた。 「なんだ、甲姫たちに捕まってたんじゃなかったのか?」 「捕まってって、リンが助けてくれなかったんじゃない!」 わざとからかうように言うと、むうっと葵が頬をふくらます。 確かに年忘れの宴にかこつけて、未来の世へ帰るはずだった葵を淋が引き留めた顛末をかしましいくのいち姉妹に根掘り葉掘り聞かれていたのを見て見ぬふりをしていたのは淋だ。 「い、いろいろ聞かれて大変だったんだからね!」 そう言いながら少し頬を赤くするあたりを見ると、本当に根掘り葉掘り聞かれたのだろうとわかって、淋は苦笑した。 「俺が口を挟んだら余計に手がつけられないことになっただろ?」 「それは・・・・まあ・・・・」 最初は否定の言葉を口にしようとしたものの、葵はうなずいてしまった。 それに我が意を得たりと淋は口の端を上げた。 「ほらな。」 「う〜〜〜、そんなこと言うリンにはこれあげない!」 悔しそうに呻いた葵はそんな憎まれ口を叩きながら、淋の隣に座って持っていたお盆を淋と逆側へ置いてしまった。 「なんだ、それ?」 「甘酒。旦那がリンに持ってってやれって渡してくれたの。」 その言葉でさっきまで女同士で盛り上がっていた葵が現れた理由を淋は察した。 淋が席を立った時点で宴席は完全に酒の席になっていたので、葵が騒ぎに巻き込まれないように密が適当な理由を作ってくれたのだろう。 (・・・・もしかしたら気もつかったのかもな。) 淋にとっては兄のような密を思って少しくすぐったく思いながら、目線のそろった葵を見て思わず眉間にしわを寄せた。 「お前、その恰好で出てきたのか?」 「え?」 きょとんっとする葵は座敷と同じ着物姿だ。 繰り返すようだが、今は師走も三十一日、吐息も凍える大晦日の夜。 「風邪ひくだろ!」 「え、だってリンはそのまんまじゃない。」 「あのなあ、俺とお前じゃ鍛え方が違うんだよ!」 心配のせいで少し苛立った口調になりながら、淋は自分の羽織を脱ぐと葵の肩をくるみこんだ。 「わっ!?」 急に肩を引き寄せられるような形になって驚いたのは葵の方だ。 近くなった淋の顔を彼の体温を引き継いでいる羽織に、いやがおうにも頬に血が上ってしまう。 「で、でもこれ借りちゃったらリンが寒いよ!?」 「鍛え方が違うって言ってる。ああ、それとアオイがそれをくれれば十分だ。」 そう言って淋が指し示したのは、さっき葵が遠ざけた甘酒だった。 指された指に引っ張られるようにそれを見た葵は思わずぽかん、として、それからぷっと吹き出した。 「わかった。意地悪してごめんね。」 そう言って渡された大ぶりの湯飲みは冷えた手には少し熱すぎるぐらいで、白い湯気をたてていた。 火傷しないように少し警戒しながら湯飲みから一口甘酒をすすって、淋はわずかに目を開いた。 「これ・・・・」 「わ、熱い。」 淋が何か言うより早く葵も甘酒を飲んで歓声を上げた。 その相変わらずな様子に淋は小さくため息をついた。 (・・・・まあ、こんなものなら大丈夫か。) どうも葵のこととなると余計なことまで気にかかってしまう自分に苦笑しながら、淋ももう一口甘酒を飲んだ。 ゴオ〜〜ン・・・・ゴオ〜ン・・・・。 甘酒の温かさと同じように、遠くからの除夜の鐘の音体にしみこんでいく。 その静けさに淋はなんとなく葵の肩へ手を伸ばす。 そして自分の羽織をかけてやった肩を引き寄せれば、葵が驚いたようにこちらを見上げてくる。 「リン?」 「少し寒い・・・・って事にしろ。」 「事にする、んだ?」 おかしそうに笑う葵に淋は知らんふり。 けれど、ふれあった部分から感じる暖かさがなんだか嬉しい。 ゴオ〜〜〜ン・・・・。 不思議と深い音色に包まれて年が過ぎていく。 「・・・・今年はいろいろあったな。」 「いろいろありすぎてびっくりだよ。」 淋がぽつり、と呟いた言葉に葵も深々とうなずいた。 「ほんとだな。双葉葵の事とか、裏紋とか。」 「生まれて初めて舞台やったり、諭吉さんと交渉したり。」 「何より」 「リンに「アオイに会えた」」 重なった声に淋と葵は顔を見合わせて、どちらからともなく笑った。 「それが一番でかいな。」 「だね。」 一年前の最後の日には出会う事なんてこれっぽっちも知らなかった、今は一番大切な人。 ゴオ〜〜〜ン・・・・ゴオ〜〜〜〜〜ン・・・・。 静かな音色が二人の間を通り過ぎる。 言葉を出すのがなんだか無粋な気がしてただ互いの瞳を見つめていると。 ゴオ〜〜〜ン・・・・・・・・・。 「「あ」」 次の鐘の音がこなかった。 ということは、つまり。 「年、明けたな。」 「そうだね。」 お互いに何となく独り言のように呟いて、顔を見合わせて。 「明けましておめでとう。」 「今年もよろしくね、リン。」 ふんわりと赤く染まった頬で葵が微笑む。 いつもは元気いっぱいという感じの瞳が柔らかく細められているのが月明かりに照らされてとても綺麗に見えて、淋の鼓動がとくんっと高鳴った。 「アオイ。」 引力に引かれるように淋は手を伸ばして葵の頬へ触れる。 「・・・・ん。リン・・・・」 珍しく鼻にかかったような甘くにじんだ声に淋は寄ったように、そっと頬を傾けて、葵が目を閉じる。 そして互いの唇が触れあおうとした・・・・刹那。 「・・・・・・」 ぴたっと、淋が動きを止めた。 「・・・・・・・・・・・・・・・」 ――――― ややあって。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・すーーーー。」 「やっぱりかっっ!!」 目を閉じたままかくっと首を傾けた葵から聞こえてきた気持ちよさそうな寝息に思わず淋は呻いた。 (なんとなく嫌な予感はしてたけどなっ!) 心の中で八つ当たり気味に叫んで睨み付けたのは、さっき葵が持ってきてくれた甘酒の湯飲み。 さっき一口飲んだ時からちょっと嫌な予感はしたのだが。 「・・・・まさか、酒粕で酔うか。」 しかもこの場面で寝落ち。 (年が明けた瞬間からこれか。) すうすうと自分の腕の中で気持ちよさそうな寝息を立てる葵を見ながら、淋は深く深く溜息をついて。 ―― それから、にわかに挑戦的に口の端を上げた。 「上等だ。俺だって振り回されてばかりじゃないからな。」 今年はまだ始まったばかり。 初めて葵が隣にいて始まる最初の年は。 だから ―― 「今年もよろしく、な。アオイ。」 すっかり夢の中へ旅立ってしまった愛しい恋人にささやいて、淋はそっとその額へ唇を寄せたのだった。 〜 終 〜 (酒粕の甘酒もおいしいんですが、結構酒っぽいのでこんなオチになりました。笑) |