真夏の日差しよりあつい話



真夏の日差しがぎらっと感じるのは、何も現代だけの話しではないんだ、と今まさに葵は実感していた。

地球温暖化やヒートアイランド現象が叫ばれていた現代と比べれば、今、葵のいる明治の世は過ごしやすいのかもしれないが、根本的に夏は夏。

「暑い〜・・・・。」

避暑がてらも含めて、今年も守杜村へやってきた葵は涼を求めてさまよい出た近くの川の畔の日陰でくてっと木の幹に背中を預けて呻いた。

(あ、でもさすがに水辺にくれば少しましかも。)

守杜村にいる間は興行をするわけでもないので、他のみんなも思い思いに過ごしている中、今日の葵は読み書きの練習をしていた。

もちろん読み書きができないわけではないが、去年唐突に明治に来る事になるまで筆記用具といえばシャープペン、読むのは印刷された活字だった身に毛筆はもはや別の言語のようだった。

そんなわけで去年は台本も誰かに音読してもらったりして凌いできたが、さすがにこの時代に残ると決めてからはそのままではまずい、と暇を見つけては毛筆の勉強に取り組んでいるのだ。

しかし、いくら向上心があるとはいえ、この暑さである。

木陰を作っている梢を見上げて、その向こうでぎらっと輝く太陽を恨めしげに葵は見上げた。

(当たり前だけどクーラーなんてないもんね。)

現代に比べて、木造で風通しもよく作ってある守杜村の宿だが、それでも文明の利器がもたらした一部屋異空間の涼しさの再現とはさすがにいかない。

「ここじゃ薄着するわけにもいかないし。」

この真夏にもきっちり着込んだ矢絣袴を見下ろして、葵ははあ、とため息をついた。

何もキャミソールとはいわない。

せめてTシャツにショートパンツになれるなら、かなり快適には違いないのに・・・・。

(・・・・でもそんな格好したらカクさんが倒れそうだよね。)

絵に描いたような葵座の堅物筆頭を思い出して、葵は苦笑した。

ミニスカートだったとはいえ、長袖の制服の時でさえ目のやり場に困るような事をいわれたのだから、Tシャツのショートパンツはどう考えても実現不可能だろう。

「はああ〜・・・・」

非常に残念だがしかたない。

それに・・・・。

「・・・・リンがそんな格好みたら、何言われるかわからないもんね。」

ぽん、と思い浮かんだ所作に厳しい人気女形である恋人を思い浮かべて葵が苦笑した、その時。

「どんな格好を言ってるのか知らないが、今の格好もどうかと思うけどな。」

「っ!?リン!?」

背中からかけられた声に、葵は飛び上がった。

その大袈裟な反応に、葵が寄りかかっていた木の陰から顔を出した淋が呆れた様な顔で見下ろす。

「また気づいてなかったのかよ。」

「き、気づかないよ!いつからいたの!?」

忍びでもある淋は常人より遙かに気配を消す事に長けている。

合気道で人並以上の腕を持っている葵ではあるが、さすがに子どもの頃から仕込まれている忍びの気配を悟れと言う方が無理だろう。

と、そんな事を目で訴えてくる葵に淋は軽く肩をすくめて言った。

「ついさっきだな。お前がまただらしない格好してるから、叱ってやろうと思ってさ。」

「ええ!?」

好きな人にだらしないと言われて、があんっと衝撃を受ける葵に、淋は小さく笑って。

「冗談だ。」

「は?冗談って、ひどい!」

ちょっと焦ったのに!と睨み付けると、淋はふんっと鼻であしらって葵の隣に座りながら言った。

「あまり行儀が良くないのは確かだからな。こんな誰でも通るようなところで足を投げ出してたりするなよ。」

「うう〜、だって暑かったから・・・・。」

言い訳にはあまりならない言い訳を言いながら葵は頭上に目をやる。

キラキラと零れ落ちてくる光は綺麗だけれど、その向こうに力強すぎる太陽があるかと思うと少しうんざりした。

「まあ、ここしばらく余計に暑いからな。」

つられたように上を見てた淋が呟いた言葉に、葵は大きく頷いた。

「そうでしょ!?だから部屋の中にいられなくて。」

「それでここで涼んでたってわけか。」

自分の言葉を引き取った淋に、葵は大きく頷いた。

「ここならまだ水辺だからマシかなって。」

「ああ、そうだな。風も少しは吹くし。」

淋の言葉に応えるように、ちょうど川面を渡った涼しい風がそよいだ。

水の匂いを含んだ柔らかな風は、汗の滲んだ頬に気持ち良い。

「うわ〜、しあわせ〜。」

思わずそう呟いて猫のように目を細める葵に、淋はやや呆れた様に「単純な奴」と呟いた。

「単純だっていいよーだ。う〜ん、気持ち良い。」

肌を撫でる風に身を任せていると、気持ちよくて眠気を誘いそうだ。

さっきまで暑さに呻いていただけに、この気持ちよさをもっと堪能したくてゆるゆるとその感覚に身をゆだねると自然と体が傾いた。

「あ、おい?」

近くで淋が呟いたのもお構いなしに、隣に座って丁度良い位置にあった淋の肩へぽすんっと頭をのせる。

「・・・・たく、しょうがない奴。」

言葉だけは呆れた様に言っているものの、声は柔らかくて、少しくすぐったくなる。

恋人同士になってから、時折聞けるこの声が葵は大好きだ。

普段は凜としている声が甘く優しく響く時は一際心臓の音が大きくなる。

ドキドキして落ち着かないのに、もっともっととその声をねだってみたくなる。

こっそりとそんな事を思いながら、葵は頬を淋の肩へすり寄せて。

(・・・・あれ?)

ふと、疑問を抱いて顔を上げた。

「?どうかしたか?」

「うん、ちょっと・・・・」

淋に問われて、葵は生返事を返しながら首を捻った。

そのやけに不思議そうな様子に、淋も眉を寄せる。

「何か変な事でもあったか?」

「変っていうか・・・・」

そう言いながら、葵はもう一度ぽすんっと淋の肩に頭を乗せて。

それから「やっぱり」と笑いながら、淋を見上げて言った。
















「こんなに暑いのに、リンとくっついてるのは暑く感じないなって思って不思議だっただけ。」
















「・・・・・・・・・・・アオイ。」

「ん?わっ!」

低い声で名前を呼ばれたと思ったら、ぐいっと引っぱられて、気が付けば淋の腕の中に転がり込んでいた。

(あ、でもやっぱり暑くない。)

そりゃもちろん、ぎゅーっと抱きしめられている状態では物理的には温度は上がるのだけれど、そういう事ではなくて、暑いとか離れたいとか思わないのだ。

そんな感覚がなんだか新鮮で、ちょこっと淋の肩に頬をすり寄せた時、静かな声が耳をくすぐった。

「アオイ、お前さっき薄着できないとか言ってたよな?」

「え?あ、うん。」

そう言えば淋が来る前にそんな事をぼやいていたな、と思い出していると続けて淋が言った。

「今ならさせてやる・・・・薄着。」

「え?っっ!?」

どういう意味、と問いかけた言葉は飲み込んだ息と共に喉の奥へ引っ込んだ。

というのも、囁いた淋の唇が、首筋に妖しく触れたから。

「ちょ、ちょ、ちょっと、リン!?」

「うん?」

「うん、って何平然と・・・、っ、なんで袴の紐に手をかけてるの!?」

「うるさい。」

明確な意志をもった淋の手にぎょっとして叫んだ葵の唇を、淋のそれが問答無用とばかりに塞いだ。

「っ!・・・・・・ん、・・」

触れてしまえば、川風などでは冷やせないほどの熱に翻弄される。

は、っと短い息を吐き出して唇が離れた時には、明確に暑さのせいではない赤に、葵の頬は完全に染まっていて。

そんな葵に、満足そうに目を細めて淋は最後通告を送った。

「可愛いことを言ったお前が悪い。脱いでも涼しくならないかもしれないけど、な。」

「〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっ!!」

そんなの絶対に涼しくなるわけがない、と心の中で叫んだ葵の頬を、川風が最後の涼を運ぶかのように、一撫でして通り過ぎていった。















                                              〜 終 〜















― あとがき ―
ところで、淋、そこ外っっっ!!!(笑)