北風が吹いても、雪が降っても
お正月を過ぎれば、寒の入り。 冬将軍は本格的に猛威を振るい始める。 それは例え明治の時代だろうが、百四十年後の現代だろうが関係はないらしい。 というわけで。 「ぅわっ、さむっ。」 不意をつくように駆け抜けた北風に、『みよしの』の門前を掃除していた葵はひえっと箒を持ったまま肩をすくめた。 一膳飯屋である『みよしの』の本格営業は昼からなので、開店前の今は11時頃だからけして早すぎる時間というわけではない。 「は〜、でもやっぱり寒いなあ。」 もともとお寺の娘である葵は冬の掃き掃除なども同時代の普通の子達よりは慣れている自信はあるが、それでも慣れは慣れ、体感は体感。 しかも温暖化が進んだと言われる現代に比べれば、やはり明治の御代は季節も厳しい気がする。 「息も白いし。」 はあっと吹き出した息は七巳の近くでおなじみの紫煙にすら似ているほど真っ白だ。 せめてもの救いは、幾重にか着込んだ着物がわりと暖かい事だろうか。 寒さ対策がてら着せてもらった矢絣袴ではなく淡い橙の着物は思いの他防寒になっていた。 まあ、動きやすさの点では袴の方が格段に上ではあるのだが。 (でも・・・・これからこういう着物を着る機会も増えるかも、だし。) そう、この時代で生きていくなら。 心の中でそう付け足して、葵はふにゃっと笑みを浮かべた。 桜の頃に明治の時代に降り立った時には、そんな事を考えもしていなかったけれど、今は違う。 去年の暮れ、本当ならば双葉葵としての役目を終えた葵は現代に帰るはずだったが、この時代で出会ってしまった大切な人の元へ残ると決めたのだ。 もっとも、その『大切な人』は朝から愛犬の散歩と言い残して出かけたらしく、まだ葵の着物姿を見てはいないが。 (リン、早く帰ってこないかな。) リン、こと葵の『大切な人』荒銀淋は普段から辛口批評だ。 舞台衣装では着物姿も見せているけれど、普段は袴だからこの姿を見せるのは初めてで。 見せるのが嬉しいような、怖いような気がするのは乙女心と言う奴だろう。 一応、葵の名誉のために言っておくと、外出中の淋に早く会いたいから玄関掃除をしているわけではない・・・・たぶん。 そんな事を考えながら、葵は何となく周りを見回した。 寒いせいかいつもより人通りの少ない道を時折、北風が吹いて名残の木の葉を吹き上げる。 きんっと冷えた氷のような空気は突き抜けるような青空までつながっているようだが。 (さすがにそろそろゆきが降りそうかも。) 寒いとはいえ、関東平野はどちらかというと乾燥地帯のため冬は寒さばかりで雪は降りにくいが、睦月も中頃となれば雪が降ってくるらしい。 というのを聞いた時には、ちょっぴりテンションがあがったものだ。 (最初の雪ってなんだか楽しくなるんだよね。) ふふふっと忍び笑って葵は掃き掃除を再開する。 しゃっしゃっと地面を掃くリズミカルな音に耳を傾けていると、ふと頭の中に懐かしい曲が思い浮かんだ。 「ゆ〜きやこんこん、あられやこんこん♪降っても降ってもまだ降り止まぬ♪」 囁くように唇に乗せた歌は、雪が降るたび、弟妹達と歌っていたおなじみの童謡。 (うちの弟妹ってそういうところ似てたからなあ。) 葵の実家のあるところはそれほど雪がふらないわけでもないので、冬ともなれば何度か雪かきをするほど雪がふるのだが、やっぱり最初の雪には毎年はしゃいだ。 (で、宗助に「お前達ってその歌の通りだよな」って笑われたっけ。) 「い〜ぬは喜び庭駆け回り、ね〜こはこたつで丸くなる♪」 「わんっ!」 懐かしい顔を思い出しながら続きを歌ったところで、絶妙の合いの手が入って葵はぱっと顔を上げた。 見ればちょうど道の向こうから見慣れた二つの人・・・・と犬影がやってきたところで。 「リン!モニちゃん!」 「わふっ!」 「・・・・」 元気よく葵が呼んだ名前に返ってきたのは、何故か茂丹の返事だけだった。 「?リン?」 茂丹はいつものように葵の足下へ元気よくじゃれてきたというのに、数歩手前で無言で立ち止まってしまった淋に葵は首をかしげた。 「何?どうかしたの?」 「え・・・・あ、いや。」 何事も物事くっきりきっぱりの淋が言葉を濁した事に、葵はにわかに不安を覚えた。 「えっと、その・・・・」 「・・・・・」 「・・・・・」 「くうん?」 北風が吹き抜けるように通り抜けた無言に、茂丹のいぶかしげな声が響いた。 「その・・・・似合わない?」 これで頷かれたらしばらくへこむなあ、と思いつつ、今日は結っていない髪をちょっと触りながら葵は呟いた。 とてもじゃないが真っ正面から顔を見て問えない、と少し探るように見上げた淋の次の瞬間の反応は、それは見事だった。 「は?そんなわけあるか!いや、その!あー・・・・」 最初は意気込むように否定しておいて、何故か口ごもって、それから困ったようにくしゃっと前髪を掴むとそっぽを向いてしまった。 (えーっと、これって・・・・照れてる?) 「わんっ!」 そうですよ!と言わんばかりの茂丹の声に力を得て、葵はそっと淋をのぞき込んだ。 「似合ってなくは、ない?」 「・・・・ああ。」 今度ははっきりとした否定が返ってきて葵はほっと胸をなで下ろす。 「良かった!あ、お帰りなさい、リン。」 「〜〜〜〜〜、だから、お前はっっ!」 ああ、もう!とばかりに叫ばれて、葵はきょとんとしてしまった。 「え?何?だめ?」 「だめとかじゃなくて・・・・はあ。」 今度はため息をつかれた。 「???」 なんだかよくわからず首をかしげている葵に、口元を手で覆った淋はちらっと視線を向けて。 「・・・・お前が」 「・・・・」 「・・・・そういう恰好してる事が、思った以上に嬉しかっただけだ。こっちに残ってくれたんだなって、さ。」 「リン・・・・」 今度は葵が言葉を失う番だった。 嬉しかったという言葉以上に嬉しそうな声音にくすぐられるように、葵の鼓動がとくとくと早さを増す。 それがわかっているのかいないのか、淋は目を細めて葵を見つめると言った。 「大丈夫だ。ちゃんと似合ってる。・・・・「おかえり」って言われてどうかなりそうなぐらい、な。」 「うっ・・・・わぁ〜〜〜」 (これはちょっとずるい。) 真面目に心臓を直撃した、と葵は思わずすがるように箒を抱きしめてしまった。 普段は相変わらず辛口の淋だが、恋人と呼べるような関係になってからの淋はこんな風に時々、ものすごく心臓に悪い言葉をくれるようになった。 葵はまだそれに慣れずにドキドキしてしまうというのに、最近の淋ときたら、だいたいこういう事を言った後は酷く満足そうなのだ。 今だって。 「ああ、そういえば言ってなかった。ただいま、アオイ。」 「わふっ!」 「お、おかえりなさい・・・・」 妙にその一言を意識してしまう葵にやけに嬉しそうに淋が口角を上げるから、なんとなく負けたような気持ちになって、しゃっと箒を動かしてみた。 もちろん、何の意味もなかった上に、茂丹にじゃれつかれてしまったが。 「わふん。」 「あ、モニちゃん。汚れちゃうよ?」 「わんわんっ!」 大丈夫です!と言わんばかりに吠えて器用にじゃれついてくる茂丹を見ている内に、ふと、さっき歌っていた歌の歌詞が頭をよぎった。 「い〜ぬは喜び庭駆け回り♪」 「?なんだ?その歌。」 「え?知らないの?」 口ずさんだ歌詞に首をかしげられて葵は目を丸くする。 「ゆ〜きやこんこん、あられやこんこん♪って歌。」 「いや、知らない。」 「そうなんだ。まだできてない歌なのかな。」 ご名答。童謡というものが一般的になるのは、明治も後半に入ってからである。 「お前の時代の歌か?」 「ん〜、正確には大分昔から歌われてた子どもの歌って感じだけど。雪の歌なんだよ。」 そう言って葵は箒を動かしながら、もう一度歌ってみせた。 「ゆ〜きやこんこん、あられやこんこん、降っても降ってもまだ降り止まぬ♪い〜ぬは喜び庭駆け回り、ね〜こはこたつで丸くなる♪」 「なるほど。」 歌い終わって、ね?と笑いかければ淋も小さく笑って頷いた。 「確かにそんな感じだな。モニも雪は好きだぞ。」 「あ、やっぱりそうなんだ。雪降るの楽しみだね!モニちゃん。」 「わんっ!」 「お前は犬と一緒か。」 茂丹と楽しそうに笑いあう葵に、淋はやや呆れたようにそう言って、「・・・・でも、まあ」と言葉を継いだ。 「それなら、これは役に立ちそうだな。」 「え?」 何のことだろうと振り返った葵の視界を、あっという間に白が埋めた。 「!?」 一瞬何が起こったのかわからなかったが、すぐにその白いものはくるっと葵の首回りに巻き付けられて。 「これって・・・・ショール?」 首から肩にかけて纏わされたそれは、葵の知識の中では一番それに近かった。 白くて柔らかい毛織物は、さっきまで衣紋に吹き込んでいた寒風を見事に防いでくれて、それだけでふわふわと暖かい。 ぎゅっと襟元であわされたそのショールを握って淋を見上げると、微妙に困ったような顔をして視線をそらした。 「名前はよく知らないけど、最近、町の女達の間で流行ってるらしい。暖かいって聞いたから・・・・どうせお前は冬だから大人しくしてろって言っても無理だろうし。」 「え?じゃ、これを買いに行ってたの?」 朝から茂丹の散歩にしては長い外出だとは思っていたけれど、まさか自分のための買い物だとは思っていなかった葵は目を丸くする。 その視線に居心地悪そうに笑って、淋は「まあな」と頷いた。 「お前はさっきの歌で言うなら犬の方だろ。どうせ風邪引くとか俺が心配したって雪の中飛び出していくだろうしさ。」 「リン、ありがとう!」 (わ、どうしよう。嬉しい!) 淋がこんな風に心配してくれるのも、贈り物をくれるのも初めてで、嬉しくて嬉しくて葵はきゅーっともらったばかりのショールに頬を埋める。 「すごくあったかい!」 「ああ・・・・」 思わぬ贈り物に夢中になっていた葵は気がつかなかった。 嬉しそうな葵を見つめる淋の目が、ほんのちょっとだけ不満そうに揺らいだことを。 そして。 「これなら寒くないから、一杯遊ぼうね、モニちゃん!」 「わんわん!」 嬉しそうに茂丹に葵が話しかけたその途端、ぐいっと片手が引っ張られた。 「へ?」 不意を突かれてぐらっと揺らいだ葵の体はそのまま、ぽすんっと淋の腕の中へ。 「!?」 急に感じた熱に驚く葵の肩にショールにかぶせるように腕を回して。 「喜んでくれたのはいいけど ―― 本当は俺がこうして暖めたいから、遊ぶのはほどほどにして帰ってこいよ。」 ほんの少し拗ねたような声。 くるりと肩を包まれた暖かい熱。 頬をくすぐる吐息。 寒さに澄んだ冬の空気の中で、そんな感覚すべてが際だって感じられて。 ―― 抵抗する術などあるわけもなく。 「〜〜〜〜〜はい。」 さっきまで寒さを感じていたはずの頬を真っ赤にして頷く葵に、淋は満足そうに笑ったのだった。 「わふ・・・・」 不満そうに茂丹が鼻を鳴らしたのはご愛敬。 〜 終 〜 |