神器に関する素朴で深刻で危険な疑問
それは水戸葵が明治へやってきて双葉葵として神器を使い慣れてきたある日のお話し ―― 「・・・・・・う〜〜〜〜ん・・・・・・・」 稽古を終えて横浜の宿へ帰ってきた葵は、酷く思案顔で廊下を歩いていた。 その様子たるや、いつもの元気で妙に思い切りの良い葵とはかけ離れて完全に思考の迷宮にとらわれていると言った風情で、ここまでの道すがら、通り過ぎる人が思わず彼女を避けていったほどだ。 もちろん、己の考えに没頭していた葵はそんなことに気が付いていなかったが。 そんなわけで、周りも見えなくなるほど考え事をしながらも無事に宿に帰ってこられたわけだが、それだけ考えても一向に結論が出ず、葵の悩みは深くなるばかりであった。 と、そこへ。 「・・・さん、姫さん!」 「わっ!」 考え事にどっぷり浸かっていた葵は、急にそこへ割り入ってきた声に思わず声を上げてしまった。 そして見れば。 「あれ、ハッチとリン?」 目の前には心配そうな顔で自分を覗き込んでいるハッチこと蜂須賀陽太と、どこか呆れ顔のリンこと荒銀淋がいて、葵は目をぱちくりさせる。 「いつの間に・・・・」 「いつの間にじゃない。お前がぼーっとこっちへ歩いてくるからハチが声を掛けただけで、俺達はずっとここにいたんだ。」 「へ?」 「うん。おれっち達、あっちから歩いてきてずーっと姫さん!って声かけてたんだぜ?」 あっち、と陽太が指さしたのは葵がこれから向かって行こうとしていた廊下の先の方だ。 つまり前から来ていた陽太達の声もさっぱり気が付いていなかったということか。 「全然気が付かなかった。」 むしろそのことに驚いた、という顔をする葵に淋はため息をついて言った。 「ぼーっとしすぎだろ。」 「違うよ!ちょっと考え事してただけ!」 馬鹿にしたような物言いに葵がむっとして言い返すと、陽太がちょこっと首をかしげる。 「考え事?姫さん、何か悩み事でもあんの?」 陽太の心配するような視線に、葵は「あー、」と曖昧に視線を彷徨わせた。 「悩み事っていうか・・・・気になったら止まらなかったっていうか・・・・。」 「気になったら?」 「どうせくだらないことだろ。」 またもふん、と可愛くない事を言う淋に葵はかちんと来たように反論する。 「くだらなくなんかないよ!・・・・たぶん。」 「は?多分ってなんだよ。やっぱりくだらないんだろ。」 「違うよ!今、ちょっと弱気になっちゃったけど、でも私からしたら、なんでリン達が気にしないのか不思議でしょうがないんだから!」 「え?」 「おれっち達?」 葵の悩み事が自分たちと関係しているという言葉を突きつけられて、淋と陽太はきょとんとした。 「俺達に何か関係あることで悩んでるのか?」 淋にそう聞かれて葵は大きく頷く。 その反応に陽太は「なんだ」と笑った。 「おれっち達で気になる事があったんなら言ってくれればいいじゃん。教えられることなら教えるし。」 「おい、ハチ。」 「なんだよ、別にいーだろ?姫さんはおれっち達の仲間なんだし、わかんねえことはケンスケに聞けばいいし。」 「まあ、そうだけど・・・・」 なんとなく簡単になんでも教えると言ってもいいものか、と悩む素振りを見せた淋の横で、予想外に葵は眉間に皺を寄せた難しい顔で言った。 「うーん・・・・でもハッチ達でもわかるかどうか・・・・」 「は?」 この呟きがぴくっと負けず嫌いな淋の琴線に引っかかった。 「なんだよ、そんなに難しいこと考えてんのか?」 「別にそういうわけでもないんだけど・・・・」 「ったく、歯切れが悪いな。わかったよ。教えてやるからとにかく言ってみろ。」 図らずも淋からも情報を聞き出す態勢を整えてしまった葵は、少し考えた後、意を決したように口を開いた。 「あのね」 微妙に漂う緊張感に、淋と陽太は知らずに僅か息を詰めた。 その二人をじっと見据えて、葵はとうとうここまで自分を悩ませている疑問を口にした。 「ナナミの矢って何なのかな?」 「「・・・・・・・・え?」」 淋と陽太が揃って眉を寄せてしまったのは無理もない事だろう。 というかむしろ葵の言っている意味が理解出来ない。 それを二人の表情からくみ取ったのだろう。 慌てて葵が補足するようにしゃべり出した。 「や、本当にちょっと気になっただけなんだけど、神器ってみんな自身が神器になってるわけでしょ?」 「・・・・まあ、そうだな。」 この場で自身が神器に変化する事の出来る淋が、訝しげにしながらも頷いた。 「ってことは、みんなの身体が神器になってるわけだよね。そこまではわかったから神器を使う時は丁寧にしなくちゃいけないなーって、考えてた時にふと思っちゃったんだ。」 そう、考え事の発端は確かそんなことをとりとめもなく思った時だった。 ふっと神器に変化する人の中で他のみんなと同じ様で、違う武器に変化する人が頭によぎったのだ。 「ナナミの神器って、弓矢だよね?」 「弓矢だな。」 くり返した淋に陽太も頷く。 ナナミこと、諏訪七巳の神器は確かに一張の弓だ。 「で、成敗する時って矢を打つよね?」 「弓だからな。」 「その矢って裏紋に刺さると消えちゃうでしょ?でもそれってナナミの身体の一部が消えちゃってるのかなって思ったら気になっちゃって・・・・。」 「「・・・・・」」 気が付けば止まらなくなっていた、という葵の言葉に対して淋と陽太は無言で顔を見合わせた。 確かに葵の言うとおり、七巳は成敗の時、弓を射るという形で裏紋を鎮める。 淋や陽太にしてみれば、それは七巳の神器の特性であり、あまり深く考えたことはなかったのだが・・・・。 「・・・・確かに、すっげー気になる。」 七巳を親分と慕う陽太が神妙にそう言うのを見て、でしょ!と葵は一歩乗り出した。 「気になるでしょ!?」 「ふん、やっぱり下らないだろ。別に矢を放って諏訪さんが毎回どうかなってるわけじゃないんだし。」 意気投合する陽太と葵を前に、淋が冷たく水を差す。 が、返ってその発言に葵が食い付いた。 「違うよ、リン!どうかなってないから、気になるんだってば。」 「どういう意味だよ?」 「そりゃ私だってあの矢がナナミの腕とか足とかじゃないっていうのはわかるよ。」 もしそうだったらロケットパンチみたいで格好いいとかちらっと考えていた事は、さすがに自分でも下らないと思ったので隠しつつ、葵は続ける。 「でもね、ナナミって神器から戻っても何も変わらないじゃない?」 「うん。」 「ってことは、目には見えにくいところがもしかして矢になってるんじゃないかって思ったの。例えば・・・・髪、とか。」 「「髪?」」 これまた意外な目の付け所に淋と陽太は目を丸くする。 その反応に葵は深々と頷いた。 「うん、髪なら一本ぐらい抜けたって気が付かないでしょ?だから矢が髪ならわかるなって。・・・・でも髪ってことは、だよ?」 最後の言葉を言うのに葵は声をひそめた。 自然、淋と陽太は葵に近づく形になり、円を作るように三人は顔を付き合わせる。 そして。 「成敗のたびに髪を使ってて・・・・ナナミ、大丈夫なのかな。」 「大丈夫って・・・・」 「だから、その・・・・」 さすがに言いにくくて言葉を濁した葵の横で、はっとしたように陽太が目を剥いて。 「まさか、親分、はげちまうんじゃ!?」 「「!」」 陽太の叫びに、淋と葵はぎょっとする。 「ちょっ、ハッチ!声が大きい!」 「で、でもよ、姫さんたちもそう思ったんだろ?」 「いや・・・・まあ」 曖昧に頷きつつも同意を示すように目を逸らした淋に、陽太が「ほら!」と悲壮な顔をする。 「どうしよう、姫さん!親分がはげちまったら。」 「落ち着いて、ハッチ。私も確かに心配したけどまだそれほど沢山は使ってないはずだから大丈夫だよ。」 「でも親分って結構若い頃から葵座にいたんだぜ?」 「それは・・・・」 否定できないという顔で言葉を濁す淋に、葵は焦ったように言った。 「や、でもこれから私が無題にしないようにすればいいってことだよね!?ナナミがはげないように!」 動揺のあまり言いにくいと思っていた事すらきっぱりと葵が言ってしまった ―― 刹那。 「・・・・ふぅ〜・・・・菩薩殿は相変わらず面白いねえ。」 びくううっっ!! 輪の外から聞こえた第三者の声に、文字通り三人は跳び上がった。 そして同時にばっと見た先で、ちょうど話していた廊下に面した襖がすーっと開いて。 「やれやれ・・・・噂話をするのに本人の部屋の前っていうのは不向きだと思うがね。」 「「「!!」」」 いつもの気怠げな様子で煙管を加えたままそう言って現れたのは、まさに今の話の中心人物、諏訪七巳その人で。 確かにここは宿の中でも七巳が使っていた部屋の前だったと気が付くが、今さら後の祭りだ。 「えーっと、あのー、そのー」 あわあわと意味もなく手を上下させながら言い訳を考えようとする葵に、七巳は煙管を加えた口角を上げた。 「菩薩殿。」 「はいぃ!?」 「俺の心配をしてくれたとは、嬉しいねえ。・・・・だから、特別に確かめさせてやるよ。」 「へ?」 七巳の言葉の意味が分からず驚く葵の手を、七巳はがしっと掴んだ。 そしてそのまま部屋の中へと引っぱる。 「え!?あの、ちょっと、ナナミ!?や、その、別に私、ナナミが実ははげ隠しにフワッとした髪型してるとか思ってないからね!?」 ずるずると引っぱられて、何やら身の危険を感じた葵が焦りのあまりまくし立ててしまった言葉に、七巳はにこにこと笑っている。 もちろん、手を離す気配は皆無だ。 「だから、その、良い育毛剤買わなくちゃとか思ってないからーーーー!」 ずるずるずる・・・・・ぱしん。 何やらものすごく失礼な言葉の余韻を残したまま、葵の姿が部屋の中へ消えて。 ・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「・・・・おい、行くぞ。」 「へ?え、でも姫さん・・・・」 「大丈夫だ。諏訪さんも大人だ。無体なことはしないだろう・・・・多分。」 自信なさそうな最後の一言が付いたところで、部屋の中から「ぎゃあっ」という色気もそっけもない悲鳴が聞こえた気がしたが、淋は綺麗さっぱり聞かなかった事にして、まだ目を白黒させている陽太に向かって言った。 「触らぬ髪・・・・じゃねえ、神に祟り無し、だ。」 ―― お後がよろしいようで。 〜 終 〜 |