一人じゃなくて二人の意味
物珍しい光景というのはある日、不意に目の前に転がっているものなのかもしれない。 例えば、今、葵の目の前にある光景のように。 「うわ・・・・。」 まるで感心したようなため息をもらした葵の視線の先にあるのは、壁に背をもたせかけて眠る神鳴剣助の姿だった。 (スケさんが眠ってるのなんて初めて見たかも。) そんな事を考えながら、葵は一呼吸すると息を殺して座敷へ足を踏み入れた。 「スケさん・・・・?」 「すー・・・・・」 念のためそっと呼びかけてみた葵への答えは、安らかな寝息。 それがさらに意外なような、ちょっと嬉しいような気分になって葵は剣助の側まで寄ると膝を抱えるようにしてしゃがみ込んだ。 目の高さを合わせれば、より剣助の寝顔がよくわかる。 (さて、どうしようかな?) そもそも葵は剣助に用があって探していたのだ。 昨年末、福澤の起こしていた裏紋騒動に終止符を打った後も明治の世に残った葵は、以前と変わらず葵座の女優としてすごしていた。 今も葵座の本拠地である『みよしの』を離れ旅の巡業の最中である。 そんなわけで、次回の舞台について鬼格と話をしていて、より細かい部分を詰めるために座長である剣助を呼びに来たのだが。 「・・・・なんか起こしちゃうのもったいないかも。」 ぽつり、と呟いた自分の言葉に葵は口元がゆるむのを感じた。 昨年の騒動ですったもんだのあげく、無事恋人同士になった剣助と葵だが、今まで培った性格のせいか、剣助はあまり葵に無防備な姿をさらすようなことはない。 もちろん剣助のほうが年上・・・・それも相当の年上なので、年下の葵にそんなところは見せたくないのかな、と思うものもあるが、それでも好きな人の無防備な姿を見られるというのは、ちょっと嬉しい気分になる。 (スケさんっていつもカッコイイもんね。) 惚れた欲目を引いてみても、剣助は確かに男前だ。 それも舞台映えするほどだから相当なのだが、今、目の前で寝ている寝顔はそんな男前の顔とはまた違って、葵の心を優しく揺さぶる。 あの切れ長の瞳が瞼の下に隠れているせいか、どこか柔らかい印象の剣助。 甘い言葉で葵を翻弄する唇から漏れるのは小さな寝息で、いつも余裕たっぷりの笑みを浮かべている顔がどこか幼く見えた。 (なんか、可愛い。) くすっと小さく葵の唇から笑いがこぼれる。 そして同時に少しだけ悔しいような気がして、葵は戯れに呟いた。 「ずるいなあ。」 (カッコイイのに、可愛いなんてずるいよ。) 葵が明治に残ると決めてからこちら、何か吹っ切れたように剣助は葵を溺愛するようになった。 おかげで剣助の甘い言葉と読めない笑みに翻弄されっぱなしの毎日を送っているというのに、眠っている時までこんな表情で葵の心を魅了するのだ。 「私ばっかり好きになっちゃう。」 はあ、とため息をつくように呟いたら、ほんの少し剣助の寝顔が笑ったような気がした。 さっきから寝息は安定したままだからそれは葵の気のせいなのだろうけれど、余計に悔しい気がして葵は唇をとがらせる。 無理矢理起こしてしまおうかと手を伸ばしかけて、結局やめた。 (もしかしたら巡業で疲れているのかもしれないしね。) 無理している顔や疲れている顔はあまり見せない剣助だが、それでも神器だからといって疲れがないわけではないのだ。 彼らしくもなく、こんなところでうたた寝しているのはもしかしたら疲れが溜まっていたからかもしれない。 そう思い至ったら、悔しさよりも心配が先に立って葵はそっと剣助の頬へ手を添わせた。 「・・・ん・・・・」 触れられた違和感からか、小さく身じろぎした剣助だったが、起きることはなかった。 それが剣助の疲れを知らせているようで、葵の胸が心配と切なさで緩く締め付けられる。 「スケさん・・・・剣助。」 普段はあまり口に乗せない名を呼んで、葵はふっとため息をつく。 ずっとずっと長い間、一人で葵座を支えてきた座長。 どんなに辛い時でも座員達を支える立場だった剣助に、いまさらいろんな事を分けろといっても難しいのかもしれない。 (でも、私はスケさんの支えになりたい。) いつもいつも余裕の顔を見せて笑っているけれど、本当は胸の奥底に寂しさを抱いていた事を知っているから。 「だからね」 いきなり誰かに重荷を分けるのは無理でも。 「―― 私がいるって、忘れないでね。」 淡く淡く夢の中に紛れ込ませるように呟いて、葵はそっと体を伸ばすと、眠る剣助の額に前髪の上から口付けをした。 ―― 刹那 「え」 くりん、と視界が大きく回って。 「・・・・ずるいのはお前だって。」 「!?」 一瞬にして視界を占拠した黒 ―― 剣助の服の色と、耳元でため息をつくようにささやかれた声に、葵は目をまん丸くして顔を上げた。 「ス、ス、ス、スケさん!?」 「はーい。おはよう、アオイ。」 「お、お、おはようって!?」 さっきまでの無防備な寝顔はどこへやら、いつもとかわらぬ猫のような笑みを浮かべた剣助にそう言われて葵は目を白黒させる。 (ちょ!?何!?私、何した!?) 眠っていると思っていたから、あんな大胆な事ができたのに、今目の前にある剣助の顔は残念ながらどう見ても寝起きには見えない。 さらにその上。 「お、起きてたの!?」 「いやあ?寝てたぜ。」 「寝て、って、わああっ!」 悪びれもせずそう言いながら額に口付けてくる剣助に思わず葵は悲鳴を上げた。 (嘘!寝てたって絶対嘘!!) 「狸寝入りなんて酷いよ!」 「や、だってなあ。」 どんどん赤くなっていく頬を自覚しながら抗議した葵に、剣助はそこで初めてそれまで浮かべていた笑みを、くしゃりと崩した。 といっても、笑っているのにはかわりはない。 ただ。 「・・・・なんで、そんなに嬉しそうなの。」 思わずそんな風に葵が抗議してしまいたくなるほど、嬉しそうに剣助は微笑んでいた。 「そりゃ嬉しいだろ。いや、ちょっと違うか。」 「え?」 「嬉しいだけじゃすまない。」 そう言って、剣助は葵を抱きしめた腕に柔らかに力を込めた。 ぎゅっと抱きしめられて、自分の鼓動の早さが伝わってしまうんじゃないかと余計に赤くなる葵の、今度は頬へ剣助は唇を寄せる。 「嬉しい、可愛い、ずるい、愛しい・・・・言葉ってのは不便だよな。どれにも収まらないのに、どれもあてはまるんだ。」 「ス、スケさん。」 言いながら、額へ瞼へと口付けられて、葵の心臓はどこまでも跳ね上がる。 「葵」 「あ・・・・」 甘い声で名前を呼ばれて唇をふさがれる。 「・・・・俺をあんな風に気遣う奴はいなかった。」 「え?」 確かめるように何度か軽く口付けた後、ぽつりと呟かれた言葉に目線を上げれば、剣助が淡く笑っていた。 「いや、本当は気遣ってくれた奴もいたんだろうけど、俺が本当の自分を偽っている以上、必要以上に頼れなかったんだ。」 「そっか・・・・」 葵座座長として頼られながらも、大きな秘密を座員達に隠して過ごしてきた剣助。 故に、今の言葉は葵の胸に切なく響く。 けれど、ハの字に下がった葵の眉に、剣助は少し笑ってコツンと額を合わせる。 「でも、これからはお前がいるんだな。」 「!うん!もちろんだよ!」 「俺を甘やかしたら大変かもしれないぜ?」 「望むところ!」 「ぷ、はははっ!」 甘い意味合いを込めて言った言葉に挑むように返されて、思わず剣助は吹きだした。 「ちょっ!なんで笑うの!?」 「はは、いや、悪い。」 そう言いながらもちっとも反省した様子のない剣助に、葵は「もう・・・・」と呟いて、けれどこっそり笑った。 「・・・・スケさんが甘えてくれるならいくらだってがんばるんだから。」 「ん?」 「なんでもない!」 にっこり笑ってそう返すと愛しげに目を細めた剣助が頬を傾けてくる。 再び唇を重ねる直前、ちらっと何かが頭の端を掠めたような気がしたが、それはわずかに一瞬の事。 葵はそっと目を閉じて、剣助の体温に身をゆだねたのだった。 ―― 剣助を呼びに行った葵が遅いので探しに来た鬼格が、この光景に叫び声を上げるのは、このすぐ後のことである。 〜 終 〜 |