ゆびきり
「ゆーびきりげんまーん うーそつーいたら はーりせんぼん のーます!」 ―― 夕暮れ時の町の片隅で小さな歌声に倫はふっと足を止めた。 見れば辻の向こうで小さな子ども達が手を振って左右に分かれていく。 (明日の約束だったのかな。) そう思いながらなんとはなしに自分の小指に目を落とした。 暮れていく夕日と相まって一つの記憶が脳裏を掠めた。 ―― 『ゆびきりは、指切りだったんですって』 ―― そう言っていたのは桜庭鈴花だったと思う。 男所帯の新選組に剣を頼みに所属しているというから、男勝りな人だと思っていた倫の想像とは違い鈴花は意外と女性らしい面をしっかり持った人だった。 甘い物が好きで気が利いて、そして恋の話も好きだ。 そんな彼女が何の話からだったか忘れたがそう言っていたのを思い出した。 江戸の遊女がその昔、心を傾けたお客に心を許すのは貴方だけだと伝える証に自分の小指を切り落として贈ったのだと。 (確か「ちょっと迷惑ですね」って言ったら笑われたっけ。) 人の小指なんか贈られてきたらはっきり言って驚くし始末に困るだろうなあ、と思って言った言葉だったのに鈴花は予想外の事を言われたように笑った。 『はっきり言うわね。でも、まあ確かにそうだけど。』 声を上げて笑いながらそう言って、鈴花は自分の小指を見つめた。 そして目を細めて、自嘲気味に小さく呟いた。 『・・・・そんな風に想っても片恋だったら迷惑以外の何物でもないよね・・・・』 倫は自分の手を目線の高さに持ってきて眺めてみる。 (あの時、鈴花さんは何かを見てた。) 自分の小指に。 見たこともないような表情(かお)で。 (何を見てたんだろう・・・・) あの時はそれ以上追求もしなかったけれど、なんとなく今は引っかかった。 けれど眺めてみても、そこにあるのは当たり前だけれど見慣れた自分の指だけ。 ふうっと息を吐いて倫が手を下ろそうとした、ちょうどその時。 「あれ?何やってんの?」 背中から聞こえた声にビックリして倫は振り返った。 そしてそこに見慣れた男の姿を見つけて肩の力を抜く。 「なんだ、野村さん。」 「おう!って、なんだはないだろ、なんだは。」 「一言目は威勢良く答えたのに後から不満を言うんですか。」 「ついだって。」 そう言いながら近寄ってきた野村を倫は何となく見る。 野村は香久夜楼で無銭で飲み食いして乙乃に捕まって花柳館の食客になったという倫が知る中ではもっとも突飛な人間の一人だ。 某かの道具を背負っているあたりを見ると庵に何か仕事でも回された帰りなのかもしれない。 「野村さんは賃仕事の帰りですか?」 「ああ。小遣い稼ぎさ。倫ちゃんもだろ?」 「あ、はい。」 「そっか。庵さんも人使いが荒いよなあ。」 荒いという程働かされているのだろうか、という疑問が一瞬倫の脳裏を過ぎったが一応突っ込まないでおいていると野村が「ところでさ」と話を切り替えてきた。 「なんですか?」 「なにしてたの?」 「え?」 「だから、さっき自分の手見てただろ?」 そう言われて倫はぎくっとした。 別に見られてまずい場面だったわけでもないが、見られたい場面でもない。 「あの・・・えーっと・・・・な、なんのことです?」 「・・・・倫ちゃんさ。」 「は?」 「嘘、下手だよな。」 「・・・・・・・・」 にかっと邪気のない顔でそう言い切られて倫は沈黙した。 自分でもあまり嘘は上手くない自覚があるので余計に居たたまれない。 「・・・・別に大したことじゃないんです。」 結局しばしの沈黙の後、倫は口を開いた。 「ある人が前にゆびきりは江戸の遊女が小指を切って想いの証にしたって話をしていたのを思い出して。その時、その人が小指を見て何か考えていたような気がしたのが少し気になっただけです。」 そう、ただそれだけのこと。 なのに何となく答えがでない事が気になった。 それなのに。 「なんだ、そんなこと。」 けろっとそう言われて倫は驚いて野村を見た。 「そんなことって」 「え?だってそうだろ?その話の流れで小指を見てたってんなら考えてる事なんて決まってるんじゃねえの?」 「???」 当たり前のように言われて倫はますます首を捻った。 その様子に珍しく野村は苦笑しながら言った。 「それさ、きっと小指見ながら好きな奴のこと考えてたんだと思うぜ。」 「え」 思いがけないことを言われた気がした。 けれど、同時にすとんと収まる物があることも気が付いた。 (・・・・好きな人) あの時、あの話をしながら鈴花はその昔小指を切って想いを誓ったという遊女の気持ちと自分の恋を重ね合わせていたのだろうか。 あの小指の先には・・・・。 つられたように倫はまた目の高さまで自分の手をあげてみた。 目の前にあるのは自分の手。 稽古しているので少し他の女の人とは違うしっかりとした手。 その小指の先に鈴花は誰かの小指を見ていたのだろうか。 「・・・・そっか・・・・そうかもしれませんね。」 気が付けば自然と倫の口許には笑みが浮かんでいた。 すっきりした、というのもあるがそんな風に誰かを恋うている鈴花の気持ちがとても可愛らしく感じられたせいだ。 激しいほどの想いに心を重ね、それでいながらさらけ出すことに躊躇する。 (いつか、私もそんな風にこの手を見ることがあるのかな。) 今は誰も見えない小指の先に誰かを。 「よし、元気になったな。」 野村にそう言われて倫は目を瞬かせた。 「元気、なさそうに見えましたか?」 「ん〜、元気ないっていうか考え込んでたみたいだったからさ。でも解決しただろ?」 「はい。・・・・意外な事に野村さんの一言で。」 (そういえば野村さんの一言で解決しちゃった。) 口に出してみてその意外さに倫は自分でびっくりしてしまった。 (・・・・花柳館一突飛な人に解決・・・・) なんとなく微妙な気分に陥っていると花柳館一突飛な人が得意げに胸を張った。 「だろ?どんどん頼りにしてくれていいぜ。」 「それは遠慮します。」 反射的に言い返すと野村は「ええ〜」と不満そうな声を上げる。 が、急に何か思いついたようににっと笑った。 「倫ちゃん」 「?はい?」 「ちょっと小指だしてよ。」 「?」 なんなんだろうと思いつつ倫は言われるままに小指を出してみた。 それがゆびきりの形になったのは、さっきまで考えていたせいで深い意味はなかった。 今は誰も見えない小指。 その指に。 野村の小指が絡んだ。 (え・・・・) どきんっと鼓動が跳ねる。 他の女の人とは違うと思っていた自分の指も男で剣士でもある野村の指が絡めば細く見えた。 絡まった指から僅かな温かさが伝わってきて・・・・。 「解決賃って事で、今度昼飯奢ってくれよな!」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・は?」 「ゆーびきーりげーんまーんうーそつーいたーらはーりせーんぼーんのーますっ!!」 「ちょっ!!!野村さんっっっ!!!」 怒鳴った時には既に時遅し。 「ゆーびきーった!!」 「あーーー!!!!」 実に楽しげに小指を離した野村の声と倫の悲鳴が重なった。 (こ、こ、この人は〜〜〜) 「・・・・・・・見直した私が馬鹿でした。」 「へへ、油断大敵ってね。」 「油断とか言う問題ですか?そもそもこんな子どもみたいな事するなんて・・・・」 確かこの人は私より年上だったはず・・・・と呆れたようにため息をついた倫は見逃してしまった。 その横で野村が少しだけ肩を竦めて苦笑した事に。 「・・・・子どもはどっちだよ・・・・」 「え?何か言いました?」 野村の呟きが聞き取れなくて振り返った倫に、野村は首を振っていつもの顔で笑った。 「さあ帰ろうぜ。あんまり遅くなるとおこうさんに夕飯取り上げられる。」 そう言って先に立って歩き出す野村の背中を倫は慌てて追いかける。 いつの間にか夕暮れは薄闇に取って代わりつつあった。 「そんなに高いものはおごれませんからね?」 「えー?」 「えー、じゃありません!年下にたからないで下さい!」 子どもの影の消えた辻を、子どものような言い合いをしながら倫と野村は花柳館への帰路についたのだった。 ―― 自分の小指に絡んだ野村の指の残像が消えなくなっている事に 倫が気が付くのはこの後しばらくたってのことである・・・・・ 〜 終 〜 |