ゆびきり 〜小指の先に見えた未来〜
「ゆーびきりげんまーん うーそつーいたら はーりせんぼん のーます!」 「あ・・・・」 辻に楽しそうに響き渡る幼い声に倫は足を止めた。 夕暮れの辻の向こうで何人かの子ども達が楽しそうに笑い合って左右にわかれていくのが見える。 (明日の約束、ね。) 遠目にそれを見送って、倫はくすっと笑った。 笑ってしまう程の既視感を感じたから。 あの頃はまだ元号は明治ではなかったし、辻の空気もこんなに活気のあるものではなかった。 倫は情報屋として働くのに都合のいい男装に近い格好で、恋を知らなかった。 だから子ども達の他愛もない指切りに鈴花の恋を思い出したりしたものだ。 倫は夕のおかずにと買った野菜を抱え直してそっと自分の手を持ち上げてみた。 あの頃にはほとんど着なかった女ものの薄紅の着物の袖が緩く揺れて倫はなんとなくくすぐったい気分になる。 (あの時も鈴花さんの言葉を思い出して自分の手を見たんだっけ。) 『ゆびきりは、指切りだったんですって』 そう言いながら自分の恋を小指に見ていた鈴花。 今はその小指の先に見ていた人と江戸で暮らしているという文が先日届いたばかりだ。 (今思えばあの時の鈴花さんの言葉を思い出したのは、ちょっと憧れたのかもしれない。) 自覚はさっぱりなかったけれど、恋をするという事への淡い憧れがあったから子ども達のゆびきりで思い出したのだろう。 (あの時は本当にわかってなかったんだけど。) 倫は苦笑混じりに唇を緩めた。 思い出したはいいけれど、全然鈴花の言った意味がわからなくて首を捻っていて。 そこへ。 『あれ?何やってるの?』 「あれ?倫?」 ちょうど記憶の声と被るように聞こえた今の声に倫は危うく野菜を落としそうになってしまった。 「のむ・・・・え?り、利三郎さん?」 驚いて振り返った先には幻ではなく野村利三郎 ―― 倫の夫の姿があった。 「おう!って、なんでそんなに驚くんだよ?」 「・・・・そりゃあ、もう・・・・」 過去の記憶に浸っていたらちょうど良く今の相手が現れたのだから驚かないわけはない。 一瞬、過去に戻ってしまったかと思ったぐらいだ。 思わずあの当時のように名字で呼びかけてしまいそうになった。 けれど。 「・・・・利三郎さん、ですね。」 「へ?」 わけがわからないという風にきょとんっとしている利三郎を確かめるように見てしまう。 格好こそ袴姿だけれどあの時の賃仕事の道具は陸奥からもらった鞄に姿を変え、着物の下には白いシャツ。 それに最近お気に入りの帽子。 朝仕事に出て行った時と同じ、倫の旦那様の姿だ。 ・・・・そこまで確認して、本格的に可笑しくなって倫は口許を覆った。 「・・・ふふ」 「?何?俺、何か可笑しかった?」 「い、いえ・・・ふふ、利三郎さんだなあって思ったら少し嬉しくて。今、お帰りですか?」 「ああ、そう。やっと記事があがったからさー。たく、庵さん人使い荒いよな。」 「ふふっ」 またも偶然のように飛び出したあの時と同じ庵への文句に余計に倫は可笑しくなる。 そんな倫に利三郎は不思議そうに首を捻った。 「機嫌良いみたいだけど、何かあった?」 「いえ、ちょっと昔の事を思い出して。」 「昔?」 「ええ。利三郎さんは覚えていないかもしれませんけど、昔、まだ利三郎さんが花柳館にいた頃にやっぱりこんな風に道で会って指切りの話をしたことを思い出して。」 他愛もない会話だったからまさか利三郎の記憶にはないだろうと思ってそう言った倫だったが、予想に反して利三郎は「ああ」と得心したように頷いた。 「桜庭さんの恋の話で倫が小指を見てた時だろ?」 「覚えていたんですか?」 意外、というように倫が目を丸くすると利三郎は小さく肩を竦めた。 「初めて前途多難だって思った時だからさ。」 「前途多難?」 「そ。あの時の倫って「恋って美味しいんですか?」とか言い出しそうな感じだったじゃん。」 「ええ!?そんな!・・・・・・ことは、多分、ないと・・・・・」 さすがに利三郎が言うほどは酷くなかったと思うものの、恋というものをまったく意識していなかった自覚はある為語尾が気弱になる。 それを聞いて利三郎はけらけらと笑った。 「ちょ!笑いすぎです!」 「あははっ。だって倫、おかしいって。ははは」 「ひ、酷い。」 むうっと倫が睨み付けても生憎利三郎には効果はなく。 一頻り笑って収まるまでに倫は怒るべきか呆れるべきか考え込んでしまったほどだ。 「あー、面白かった。」 「それはよかったですね。」 とりあえず、つんっと答えてみると利三郎は悪びれもせずにかっと笑って言った。 「うん。さりげなく恥ずかしい告白は倫が流してくれたからさ。」 「え?」 (恥ずかしい告白?) 利三郎の言葉に一瞬首を捻る。 (何か言われたっけ?「恋って美味しいんですか」って言い出しそう?前途多難・・・・・・?初めて前途多難だって思った?) 初めて、と口の中で呟いて・・・・それから倫ははっとした。 (初めてそう思ったって事は、そのころから・・・・) まだ倫が恋に淡い憧れを抱いていた位だったころから、ずっと利三郎は倫を見ていたという事なのだと。 理解した途端、かあっと頬に血の上る感覚に戸惑って倫が利三郎を見ると、利三郎は微妙にそっぽを向いていた。 その顔があまりにもバツが悪そうで、自然と微笑んでしまう。 「利三郎さん。」 「ん?」 「小指、貸して下さい。」 「?」 倫の言葉に利三郎は首を傾げながら鞄を左手に持ち替えて右手を出した。 その指が自然と指切りの形になったのは、たぶん無意識だったのだろうけれど。 今は刀を置いてペンを取るその手は、それでもいつかのように倫の手よりずっとがっちりしている。 その小指に、いつかのように倫は小指を絡めた。 途端に利三郎がぎくっとしたような顔をして倫は笑った。 「大丈夫です。私は利三郎さんみたいに無理矢理約束とかしませんから。」 「うっ。根に持ってるなあ。」 「当たり前ですよ。あの時は小遣いも少なかったのにうどんとか奢らされて・・・・」 「あー、ごめんなさい。」 「ふふ、でもいいんです。今約束したい事はきっと利三郎さんはかなえてくれるってわかってますから。だから。」 そう言って倫は小指を絡めたまま手を元の位置に降ろした。 「このまま帰ってもいいですか?」 気が付けばもう陽が暮れていて薄闇に包まれ始めた辻では夕食の支度をする音が聞こえてくる。 「・・・・これで素だもんなあ・・・・」 「?」 珍しく利三郎がため息を付いたので驚いて倫が見上げると、薄闇でちょっと見えにくかったけれどその顔は。 「どうせなら、こうしようぜ。」 そう言って利三郎は小指だけだったつながりを包み込むように手をつないだ。 その柔らかな温度は小指だけで感じていたものより、ずっとずっと確かなもので。 「ふふ。」 くすぐったくて倫が笑い声を零すと利三郎も笑う ―― 少し赤くなった顔で。 「帰ろっか。」 「はい。」 あの時とは違い二人で並んで、家路を歩きながら倫はこっそりつながれた指に目を落とした。 利三郎の手につながれていると小さく見える自分の手。 その小指の先に。 ―― あの時から利三郎さんの指が見えるんですっていうのはもう少し内緒にしておこう、と思いながら。 〜 終 〜 |