闇の中の太陽
シュワルツェは魔族の国に共通するように酷く薄暗い。 夜はもちろん、昼でも日の光に恵まれることはなくうっすらと零れる光だけが昼と夜の境を辛うじて残している。 そんな風景を窓から眺めるともなく、シャルは見ていた。 というより、他に見るものもなく、やることもなかったから窓枠に座ってみたという方が正しいかもしれない。 このシュワルツェの王子でありながら、今シャルは軟禁状態にあるからだ。 もちろんそんなことが出来る人物は限られているし、魔族の中でも潜在能力の飛び抜けて高いシャルを意のままに操ろうとする人物など一人だけだ。 シャルの母親でもあるイザベル・シュワルツェ。 彼女がシャルを閉じこめているのは息子のことを心配しているからでは決してない。 ただ次の侵攻が近いから最大の戦力となる息子を押さえておきたいだけだ。 (・・・・わかってる。) 窓枠から伝わってくる冷たさにシャルは身を震わせる。 日の光に照らされることがないこの城のように、シャルの周りには暖かいものなど何もなかった。 闇の中で凍り付くような冷たさに生きているのかさえわからなくなるほどに。 だから時々城を抜け出して人間の国へ行った。 人間の国は太陽がそれは眩しくて、色とりどりの花が咲いていてつかの間、シャルを暖めたから。 けれどそれは僅かに一時のことで、何処へ行っても母親の目を逃れることはできずに、連れ戻されては血を流した。 狂わされ、人魚の命を屠る時は悪夢のように染みついて、指先からシャルを殺そうとするかのように冷たく凍らせていく。 一時の日の光も、花の色も凍らされた闇には敵わなかった。 でも ―― ふとシャルは自分の手に目を落とした。 透き通るように白い自分の手。 そこに ―― 一瞬、絡んだ金色の髪が見えた。 お日様の光を紡いで出来ているように柔らかい金色の髪が。 「・・・・ルイ」 『なあに?シャル。』 誰も居ない部屋で名前を呟けば、柔らかい声が耳に蘇った。 声だけではない。 金色の髪の一筋、マリンブルーの瞳に映る表情、慌てると真っ赤になる柔らかい頬、小さな耳に、明るい言葉が飛び出してくる唇・・・・何もかも、ルイという少女のことなら思い出すことができた。 (ルイ・・・・俺、助けてくれた、人。) 嵐の海で意識を失って助けられた時、その人の匂いを朧気ながらシャルは憶えていた。 海とは違う潮の匂いと何か甘い香りを持つ少女を数日後に見つけた時には自分でも驚くほど嬉しくて、思わず抱きついてしまったぐらいだ。 ルイは驚いたと言ったけれど、それでもシャルに笑いかけてくれた。 その時から、シャルの心の中に何かが息づいた。 トクン、トクン、と音を立てて。 「ルイ」 まるでそれしか言葉を知らない幼子のように繰り返して、シャルは暗い窓に目を向ける。 そしてそこに映った自分の顔を見て、少し驚いたように目を見開いた。 冷たい窓硝子に映った自分の顔が微笑んでいたから。 なぜだか酷く幸せそうに。 (ルイのこと、考えてた、から?) トクンっと、また一つ鼓動が聞こえてシャルは開いていた両手を大切なものでも抱くようにそっと握った。 この城に連れ戻されて閉じこめられて辛かったけれど、それは今までの辛さと違うと朧気ながらシャルは気が付いていた。 以前のように冷たくなることに怯えることはなくなった。 なぜならルイを思い出すたびに、息づく鼓動に自分が暖かなものを抱いていることを思い出せるようになったから。 暗い風景にあの花畑とその真ん中で笑うルイを思い出すこともできた。 その姿を思い描いていれば恐ろしいものなど何もなかった。 ―― ただ、別の意味で辛くはなったけれど。 ルイを思い出して幸せな気分になると、必ずきまって直ぐ後に思うようになったからだ。 「会い、たい・・・・」 と。 (会いたい。ルイ、会いたい。) お日様の光の下でルイは今日も笑っているのだろうか。 それを思うほど、シャルの胸がちりちりと痛む。 笑う声が聞きたいと思ったり、抱きしめてビックリするのを見たいと思ったりする。 ふっとため息をついてシャルは硝子窓に指を這わせた。 この窓の向こうにはイザベルの施した結界がある。 ここから出るのは不可能ではないが、相当の痛手を覚悟する必要があるだろう。 それでもなお、ルイに一目会うためにそれをしてしまいそうな自分にシャルは少し戸惑ってもいた。 これほどに何かに惹かれたのは初めてで、こんなに切なくて暖かい想いも初めてで。 「ルイ。」 たった一人の部屋で呼んでも身を焦がすだけとわかっていても何度も口にしてしまうほどに、シャルの心に刻み付いた名前。 それを口にするたびに、脳裏に刻まれたルイは振り返って笑う。 『シャル?』 自分の名とは思えないほど甘く響くそれにゆるく笑って、シャルは囁いた。 「はやく、会いに行く、から・・・・待ってて。」 ここから出される時はイザベルに操られ戦に出た後だとわかってる。 けれどそれでも早く会いたいと望む心はシャルの心を灼き尽くす程に強くて。 いつの間にか、自分も狂い始めているのかもしれないと縋るようにシャルは手を握りしめて額に押しつけ目を閉じた。 ―― 漆黒の瞳の闇の中で、太陽色の少女は変わることなく微笑んでいた・・・・ 〜 Fin 〜 |