甘くて苦いもの
いつの間にかすっかり通い慣れてしまった新選組の屯所へ向かう道を、才谷梅太郎は軽い足取りで歩いていた。 この道をたどる時はいつだって足取りの軽い才谷だが、今日は一際それに磨きがかかっている。 何故なら、懐に後生大事に持ったモノが確実にこの先の自分の幸せを約束してくれているからだ。 (いてくれるとええんじゃが。) いとも簡単に思い出せる面影を胸に、屯所がある西本願寺の境内に入った才谷は面影にピッタリ重なる人影を見つけて顔を輝かせた。 新選組という荒くれの男達の中にあって、一際小柄な体躯。 短く切ってしまってはいるが、柔らかそうな髪。 「鈴花さーーん!」 ぶんぶん手を振ってことさら大きな声で叫べば、ぎょっとしたように呼ばれた本人が振り返った。 新選組の紅一点、桜庭鈴花 ―― 才谷の想い人。 驚いた表情が才谷を認めてみるみる笑顔に崩れる様子に、才谷の鼓動がひとつ跳ねる。 小走りに走り寄ってきた鈴花は、才谷の前に到着するとにっこり笑って言った。 「こんにちわ、梅さん。」 (かー!いい笑顔ちや。) 鈴花は普段、凛とした表情をしているせいか笑顔になると雰囲気が一気に柔らかくなって、可愛い。 可愛すぎて、ここ数日あった嫌なことも疲れることもみんな吹っ飛んでしまいそうだ・・・・と言ったら親友の石川に「惚気るな!」と殴られたが。 (あいつはこん可愛さを知りゃあせんきね。) もっとも、わざわざ会わせてやる気なんかさらさらない才谷である。 ただでさえ新選組内部に山ほど恋敵がいるというのに、これ以上増やすわけにはいかないのだ。 などと考えているとは露も感じさせない態度で、才谷は鈴花に人なつっこい笑顔を向けた。 「おお、元気にしちゅうか?」 お約束の挨拶の後、こそっと袂に手を引っ込めて大事な包みを確認すると才谷は悪戯っぽく言った。 「ちっくと口を開けとおせ。」 「えー?何ですか?」 才谷の言い方が気になったのか、鈴花は首をかしげる。 「当ててみいや。」 そう言われて負けず嫌いな所のある鈴花は才谷の顔をじいっと見たまま何か考え出す。 どうやら色々考えている思考が全部顔に出ている鈴花の表情に危うく吹き出しそうになるのを我慢しながら待っていると、少し自信なさげに鈴花が言った。 「甘いモノですか?」 「あたり〜。ほれ、口をあけやー。」 大げさな動作で正解を祝福してやると、鈴花は満面の笑みを浮かべて嬉しそうに「はーい。」と答える。 (これじゃ、これじゃ。こん笑顔が見たかったぜよ。) その嬉しさを隠そうとしない笑みに、またひとつ鼓動が高くなる。 そんな事を才谷の心の内を知りもしない鈴花は、嬉しそうな笑顔のまま、才谷に言われたとおりに甘いモノを待つべく、ぱかっと口を開けた。 きっと、たぶん、なんとなく目を瞑って。 途端に才谷の心臓がさっきとは比べモノにならないぐらい大きく鳴った。 (こ、この態勢はっ) 鈴花は才谷より、頭一つ分背が低い。 と言うことは当然、少し才谷を見上げる形になる。 下から見上げて、少し口を開けて、目を瞑って・・・・これではまるで、口づけを待っているかのように見える。 (な、何を考えとるがじゃ!) 正直に言えば、かなりしたい。 口づけして、小さな鈴花の体を抱きしめて、本気で好きだと鈴花が飽きるほど繰り返したい。 そこまで考えて、才谷は密やかにため息をついた。 諸々の事情が才谷と鈴花の距離をこれ以上縮める事を許さない。 (・・・・好きなんじゃがのお。) きっと今まで知り合った誰よりも、好きで好きで。 でも口づけられる距離にいても、鈴花と才谷の間にははっきりと境界線がある。 切ないほどに遠い距離があるから。 才谷は口元だけ笑みを浮かべて、ちゃんと大人しく口を開けて待っている鈴花を見つめる。 ―― もし鈴花が目を開けていたなら、驚いて目を見張るほどに切なそうな瞳で。 (おまんが好きじゃよ、鈴花さん。) けれど、同時に気がついてもいる・・・・きっと自分の歩む先に彼女の姿がない事にも。 だから、だからせめて今だけは。 才谷は自分の懐から大事に持っていた包みを出して、中に入っている小さな茶色の固まりを取り出した。 小さなお菓子を鈴花の口に入れる時、一瞬指先が鈴花の唇に触れて少し震えた。 思わずその指を手のひらに握りこんでいると、ゆっくりと咀嚼した鈴花が少し考えるようにした後、幸せそうに表情を崩した。 「美味しい・・・・これ何ですか?」 「ちょくらあと、じゃ。」 「変わったお菓子ですね。でも甘くて美味しいな。」 「わしも人にもろーたから、くわしい事はよお知らんが気に入ってくれてよかったやか。」 実は鈴花のために無理を言って余計にもらった、とは言わぬが花。 図々しくないか、と石川に怒られたのもしったことか。 だって、ほら。 「はい、すごく美味しかったです。」 そう言ってすごく嬉しそうに鈴花が笑うから。 どきどきと煩い鼓動を誤魔化すようについつい巫山戯てしまうのは悪い癖。 「なら、ほれ。ここにちゅっと・・・・」 「そんなコト言ってると、もう遊んであげませんよ?」 呆れたように言う彼女の切り返しが言葉ほどの冷たさの欠片も感じさせないから、ますます調子に乗ってしまう。 「なんと!わしとのコトはすべて遊びだったちゅうんなが!?」 「いいんですか?ホントにもう相手しませんよ?」 「はっはっは。冗談じゃ、冗談じゃ。 おお、忘れちょった!今日は人に会う約束があったぜよ。じゃ、また来るき!」 あんまり気の進まない会合だったが、鈴花の笑顔が見られたからなんとかなりそうな気がしてきて、才谷は「しょうがないなあ」と顔に書いてあるような鈴花に大きく手を振った。 それに対して手を振り返してくれる鈴花はやっぱり微笑んでいて。 背を向けるだけで締め付けられるような寂しさを振り切るように足早に屯所を出る。 そして ―― ふと立ち止まった才谷は握りっぱなしだった手をそっと広げる。 さっき鈴花の唇に触れた指。 それに目を落とし、才谷はそっと自分の唇を寄せた。 しかし、固くてがっしりした自分の手ではあの一瞬触れた柔らかさを微塵も感じさせてくれることはなく才谷は苦笑する。 そして軽く目を瞑り・・・・ 歩き出した男は、才谷梅太郎ではなく ―― 坂本龍馬だった。 〜 終 〜 |