幸せの出発地点



宮古湾から一年。

徹底抗戦を叫んでいた旧幕府軍が箱館で最後を迎え、善し悪しはともかく世の中は一応の平安を得た。

新政府軍として戦っていた庵も役目は終わったと京へ戻り、新しい仕事を始めようとしている。

そんな庵につい倫と体を治した野村は京にもどり、そして・・・・
















「何というか・・・・閑散としたもんだよな。」

引っ越したばかりの家の居間で利三郎は思わず呟いた。

その呟きがあまりに気の抜けたものだったので、畳を拭いていた倫はくすくすと笑う。

「引っ越したばかりで物が沢山あったらおかしいですよ。」

「いや、まあ、そうなんだけど。」

頷きながら利三郎は行李を一つ居間の畳の上に降ろす。

この行李一つが倫と利三郎の持ってきた荷物だった。

「俺はともかく、倫は荷物少なすぎじゃない?おこうさんとかから何か持たされてただろ?」

明治政府軍に追われて半ば敗走するように北へ北へと向かった利三郎には大した荷物がないのは当たり前だが、倫は花柳館に生活の場をそのまま残していたはずだ。

それに花柳館の荷物をまとめている時におこうから何か持って行けと言われているのを聞いていた利三郎はそう聞いたのだが、その時の事を思い出したのか倫はちょっと苦笑した。

「おこうさん、これも持って行け、あれも、って自分の分まで全部着物とかお化粧品とか持たせようとするんですよ。だから着物を一枚とお化粧品を少しだけ頂いてきたんです。後は今度一緒に買いに言って下さいって言うことにしました。」

「おこうさん、張り切ってたからなあ。」

自分の子どもを嫁入りさせる母親並のやる気で倫の支度を手伝っていたおこうを思い出して利三郎も笑った。

それに「笑い事じゃないですよ」と返して倫は雑巾を絞る。

ちなみにこの雑巾と桶もご近所からの借り物だったりする。

「心配してくれているのはすごくありがたいんですけどね。あ、あとで咲彦くんと先代が布団とちゃぶ台を持ってきて下さるそうですよ。」

「ほんと?よかった〜。布団もなくって今夜どうしようかと思ってたんだよね。」

「本当ですね。」

頷いて倫も居間を見回した。

この家を探してくれたのは乙乃だった。

京に戻ってきた時、倫も利三郎も当分また香久夜楼に世話になるつもりだったのだが、「新婚なんざ目の毒だよ」といって乙乃が島原近くの空き家を借りてくれたのだ。

物心ついた頃から香久夜楼のようなところで暮らしていた倫には初めての小さな家だ。

「私、こういう家に住むのは初めてです。」

「え?ああ、そっか。ずっと島原なんだっけ?」

「ええ、物心ついてからは。野村さんは?」

「俺の家は一応武家の端くれだったからもうちょっと広かったぜ。」

「そうなんですか。」

答えて、倫はふいにちょっと不安になる。

以前に新選組に入ったばかりの頃、大きな風呂があるとかなんでも揃っているとはしゃいでいた利三郎の事を思い出したのだ。

「あの・・・・」

「甲斐性なしでごめんな。」

「え?」

先回られてそう言われ、倫はきょとんとした。

そんな倫の様子を見て利三郎は珍しくため息をつく。

「俺、生き残る事なんて考えてなかったからさ。こんな風に倫と暮らすことになるって分かってたら給金もちゃんとためといたんだけどなあ。」

「そんな・・・・」

事を気にしていたんですか?と言いかけて、倫は口ごもった。

利三郎が言った事は言っている内容は違うけれど、さっき自分が不安になった事と同じだと気が付いたから。

小さな家の何もない居間で、思っているのはお互いの事。

「ふふ」

「?」

急に笑い声を零した倫を利三郎が不思議そうな顔で見る。

その視線に笑顔を返して、倫は言った。

「確かに私たちは無一文に近くて、何にも持ってないですけど・・・・私はもっと小さな家でも、香久夜楼でもどこでも構わなかったんですよ?
私は、野村さんと暮らせるだけで幸せなんですから。」

その言葉に利三郎は一瞬きょとんっとして、それから参ったというように両手を上げた。

そしてその手を伸ばして倫を引き寄せる。

「あっ」

慌てて雑巾を手放す倫を腕の中に納めて、利三郎はその耳元に囁いた。

「俺もだぜ。倫にこうして触れられるだけですっげえ嬉しい。」

「野村さん・・・・」

抱きしめられているので赤くなった頬を隠すことも出来ずに倫が見上げてくる。

その視線を受け止めて、利三郎は不意に表情を引き締めた。

「?」

「で」

「??」

「俺はいつまで「野村さん」なわけ?」

「!」

痛い所をつかれたという感じで一気に焦りの表情を見せる倫に、利三郎は笑顔で追い打ちをかけた。

「今は君も「野村さん」だしさ。」

「〜〜〜〜〜〜〜」

反論出来ない言葉に倫は進退窮まった感じで顔を真っ赤にして視線を落としてしまった。

(照れてるだけってのはわかってるけどさ。)

その追いつめられた様子に利三郎はこっそり心の中で詫びた。

照れているだけ、とわかっていてもそろそろ呼んで欲しいわけで。

「倫?」

「り・・・・」

微妙につぶやいて倫が少し目線を上げる。

困ったような、けれど照れくさそうなその視線につられて鼓動が跳ねた利三郎の耳に。

「・・・・利三郎さん」

破顔一笑、とはこのことを言うのかも知れないと思わず倫は思った。

それほど利三郎は名前を呼ばれた途端、嬉しそうに笑ったのだ。

たかがそれだけで、と呆れてしまいそうなほど嬉しそうに。

「そ、そんなに嬉しいんですか?」

「ああ。すげえ嬉しい。」

ものすごく素直に頷かれてしまって返って倫の方が照れてしまった。

(こんなに喜んでくれたら、呼ばなくちゃって思うじゃないですか。)

倫が苦笑していると、利三郎は「それじゃ」と呟いて倫を腕の中から解放した。

「やる気も出たし、咲彦君たちがくる前に片付けちまおうか。」

「そうですね。それじゃ雑巾がけ手伝って下さい。」

「おう。まかせとけって。」

胸を張って雑巾を受け取った利三郎は玄関と廊下に雑巾がけをすべく居間を出て行く。

直後、「うおぉぉ!」とかけ声がして倫は慌てて叫んだ。

「の・・・利三郎さん!道場じゃないんですから!勢い込んで壁にぶつかったりしないで下さいよ!?」

「わかってるわかって・・・ぅおっ!?」

ドカッ!ゴスッ!

「野村さん!?」

わかってると言い終わらない内に聞こえた鈍い音に驚いて倫が廊下に出てみると案の定、利三郎がさほど長くもない廊下の突き当たりに転がっていた。

「大丈夫ですか?」

「ははは、勢いあまっちまった。」

「もう、せっかく借りられた家なんですから壊さないで下さいよ?」

倫は呆れたようにそう言い利三郎はバツが悪そうに首を竦めて・・・・。

「ところで、「野村さん」じゃなくて?」

「え?あ・・・・」

さっきの転がった状態でもちゃんと聞きとがめていた利三郎に指摘され、今度は倫がバツが悪そうな顔をした。

そして。

「怪我しないでくださいね。利三郎さん。」

「へへ・・・・俺、何もなくても倫だけいればいいや。」
















―― 小さくて何もない家で、この上なく幸せそうに二人は笑いあった


















                                                  〜 終 〜












― あとがき ―
新婚ですから(^^;)