「あれ?近藤さん、また朝帰り?」

「ん?そーだよ。つい深雪のところに居座っちゃってさー。」

「へえ、よく行くね。おとといはごたごたしてて大変だったんでしょ?」

「まあね。でも、さ、惚れてる女(ひと)には少しでも触れていたいって思うもんでしょ。」

「そういうもの?」

「平助にも好きな女ができたらわかるよ・・・・」















衝動の理由















(あれ?あれは・・・・)

その日はとても気持ちのいい風の吹く初秋の陽気で。

黒谷まで使いに出ていた平助も、用事を終えた気楽さから軽い足取りで京の街を歩いていた。

巡察にあたっている夜までは時間もあるし、寄り道でもしようかと思いながら視線を巡らせていた平助は人の波の向こうに見知った姿を見つけた。

薄い色の髪に、腰に差した大小に、袴。

少し低めの身長と、明るい色の上衣だけが男装の中で彼女の性別を伝える。

京にいくら人が多いとはいえ、そんな異装の少女はそうそういない。

「鈴花さん!」

平助が声を上げると、小柄な少女は振り返った。

が、まだ人混みの中に平助が見つけられないのか、戸惑ったようにキョロキョロしている。

その姿がなんだか小動物を思わせて、平助は笑いをかみ殺しながら、彼女に再度声をかけた。

「鈴花さん、こっち。」

「あ、平助くん。」

やっと平助を見つけた彼女、桜庭鈴花が駆け寄ってくる。

そして目の前に鈴花が到着したところで

「こんな所で何してるのさ?」

「こんな所で何してるの?」

同時に同じ事を問いかけて、二人は顔を見合わせた。

そして一緒に吹き出す。

「俺は近藤さんのお使い。鈴花さんは?」

「私は土方さんのお使い。」

「ああ、そうだったんだ。なんだよ、二人とも。どっちか一人に言ってくれればいいのにね。」

「ほんと。でもまあ、いいかな。おかげで私は廊下掃除押しつけられたし。」

「押しつけたって、誰に?」

「永倉さんと原田さん。」

「ええ!?あの二人によく押しつけられたね。」

面倒くさいことはのらりくらりと交わしてしまう年上の悪友を思い出して、そう言った平助に鈴花は悪戯っぽく笑ってみせる。

「副長命令は絶対だから。」

「なるほど。」

「それで、平助君のお使いは終わったの?」

「うん。鈴花さんは?」

「終わった所。あ、ねえそれなら鴨川の方にちょっと寄り道して行かない?」

「いいけど。」

「じゃあいこ!美味しいお団子屋さんがあるって、山崎さんが教えてくれたの。」

嬉しそうに言う鈴花に平助は思わず笑ってしまった。

「相変わらず花より団子だよねえ、鈴花さんは。鴨川は風が気持ちよくて、東山の紅葉も綺麗だろうから、とかじゃないんだ。」

「むっ。失礼ね!それなら来なくたっていいよ。でもお団子はあげないからね!」

「あ!ごめん!嘘、嘘だってば〜!」

怒ったように背を向けてズンズン歩き出してしまった鈴花を、平助は笑いをかみ殺しながら慌てて追いかけた。

もっとも、すぐに機嫌は直るだろうと予想して。















半時ほど後、鴨川の畔を並んで歩く頃には、平助の予想は的中していた。

「買えて良かったね、平助くん。」

嬉しそうに団子の包みを抱えて歩く鈴花の横で、平助はなんとか笑いを押し込める。

人気がある団子屋なんだそうで、買えるかどうか心配していた鈴花は無事に団子を手に入れたのがよほど嬉しかったらしい。

ちょっと前までからかわれた、と怒った顔を平助に向けていたのに、今はあっさり満面の笑顔だ。

(ほんと、鈴花さんは表情がコロコロ変わるよね。)

怒ったり、笑ったり、拗ねたり・・・・。

(あ、でも・・・・)

ふと、平助は隣を歩く鈴花を盗み見た。

(泣いた所は見たことない。)

正確には、涙をこぼした所を見た頃がない。

新選組において、誰かが命を落とすことは少なくない。

そんな時、鈴花は唇を噛んでじっと堪えているのだ。

いつになく凛とした瞳で、反らすことなく真っ直ぐに仲間の死と向き合っている。

だから鈴花が泣く姿を平助は見たことがなかった。

「――・・・・」

「?平助君、どうかしたの?」

「え?な、何が?」

「なんだか・・・・変な顔してたから。」

「変な顔ってひどいなあ。」

ぎくっとして、慌てて茶化してみたのにこういう時に限って鈴花は真面目に困った顔をして。

「ああ、ごめん。そういう意味じゃなくて、なんだか寂しそうっていうか、悔しそうっていうか、そんな顔してたから。」

(なんでこういう時に限って勘がいいかなあ。)

自分でも不可解な感情をさらっと見抜かれてしまった平助は内心苦笑する。

確かに鈴花の言うとおり、泣き顔を見たことないと思った時、心を掠めたのは寂しいような悔しいような感情だった。

とはいえ、平助自身、その感情をうまく説明できるとは思えなかったし、まさか本人に向かって「泣き顔がみたい」とも言えないわけで、結局平助はちょっと視線をそらして「なんでもないよ。」とだけ答えておいた。

「ふうん?いいけど・・・・何か悩んでるなら、よかったら話してね?」

「鈴花さんが相談にのってくれるの?」

言葉に意外そうな響きがにじみ出てしまったのか、鈴花はむうっと眉を寄せて平助を睨んだ。

「あのね、確かに頼りにはならないかもしれないけど、少しぐらいは気が楽になるかも知れないでしょ?」

「ごめん、そうだね。ありがと、鈴花さん。」

くすっと笑って平助が素直にそう言うと、鈴花は一瞬驚いたように瞠目し、すぐにうっすら頬を染めた。

(あ・・・・)

この表情(かお)は見たことがない。

―― トクンッ

平助が見つめる視線から逃れるように、鈴花は平助に背を向けて、照れ隠しのように小走りに数歩離れてしまう。

「ちょ、ちょっと待ってよ、鈴花さん!」

慌てて追いかけると、肩越しに鈴花が振り返った。

相変わらずほんの少し赤い顔で、ちょっと悪戯っぽく微笑んで。

「平助君がからかうのが悪いんだよ?―― 真面目に心配してるのに」

鴨川を駆ける川風が運んできた囁きは、いつもより甘く平助の耳に響いて消える。

そして再び前を向いてしまう小さな背中。

ふと、風に鈴花の髪があおられる。

軽やかに揺られる栗毛に、まるで見えない糸で引かれるように
















―― 触れたい・・・・――

霞のかかったような、淡い思考に支配されるように平助は手を伸ばす。

―― あと・・・・――

あと僅か。

伸ばした指先を、鈴花の髪をくすぐった風が掠める。

―― あと・・・・少し ――

指が柔らかく弾む髪を掠め・・・・














「平助君?」

名を呼ばれて、はっとした。

鈴花が振り返るまでの僅かの間に、手を思いっきり後ろに引けた反射神経に一瞬平助は感謝した。

心臓がどくどくと音を立てる。

「どうかしたの?」

その様子を不審に思ったのか近づいてきて覗き込む鈴花に、平助は心の中で悲鳴を上げた。

(頼むから!今、そんな無防備な態度で俺に近寄らないでよっ!)

後ろにまわした手をぎゅっと握りしめて、衝動を抑え込んで平助は引きつった笑いを浮かべた。

「べ、別に何でもないよ。・・・・ほら、鈴花さん!早く帰ろう。お団子が固くなるといけないし!」

何とか鈴花の気を反らせようと必死で口にした言葉だったが、ありがたいことは効果があったようで、鈴花は不思議そうにしながらも「そうだね。」と答えて前に視線を戻してくれた。

なんとか、鈴花の視線からは逃れて平助はホッとして握りしめていた手を元に戻す。

そして信じられないような気分で、その手を見下ろした。

(俺・・・・今、何しようとした?)

―― 触れたい、と願った。

鈴花の髪に・・・・否

(鈴花さんに・・・・)

―― 触れたい、と。

どきっと鼓動が跳ね上がる音と、一気に顔に熱が集まるような感覚に平助は、とにかく鈴花が振り返らないことを祈った。

鴨川に映る自分の姿を見なくても分かる。

間違いなく、今は真っ赤な顔をしてる。

(―― 俺)

『惚れてる女(ひと)には少しでも触れていたいって思うもんでしょ。』

耳の中に近藤の言葉が蘇って、ますます平助は途方に暮れた。

わかってしまった。

近藤の言っていた意味が。

そしてさっき、泣き顔を見ていないと思った時に感じた感情の意味さえも。

―― 触れたい

それは物理的な意味でも、感情的な意味でもあるのだと。

鈴花のどんな感情にも触れていたい。

鈴花自身に触れていたい。

それはとても単純で、素直で、凶暴な感情。

(・・・・俺って鈍かったのかも。)

平助はため息をついて、前を行く鈴花の背中を見た。

自分より一回り小さい背中が楽しそうに揺れるたび。

(こんなに触れたいって思ってるのに、気がつかなかったなんてさ。)

『平助にも好きな女ができたらわかるよ・・・・』

再び近藤の言葉が聞こえた気がして、平助は深く深くため息をついたのだった。















                                       〜 終 〜















― あとがき ―
恋愛アドバイザー近藤出動の平助自覚編(笑)