深刻なんです!
「どうにかしてくださいっっ!!」 その日、顔を合わせた途端に倫の叫んだ一言に辰巳は面食らってしまった。 要人との会合という一仕事を終えて帰ってきた疲れが妙な具合に吹っ飛んだのを感じつつ辰巳は頭を掻いた。 「いきなりなんだ?」 「だから、どうにかして欲しいんです!もう・・・もう、辰巳さんに頼るしか・・・・」 「や、ちょ、ちょっと待て。」 何故か急に潤んだような目になってしまった倫に辰巳は慌てた。 その昔花柳館にいた頃ならいざ知らず、今の倫は立派な人妻である。 旦那である陸奥陽之介の秘書的役割も果たしている彼女と辰巳は同僚にもなるわけだが、こんな風に話しているのはどう考えてもまずい。 というか、うっかり誰かに見られて陽之介の耳にでも入った時が恐ろしすぎる。 「とりあえずこっちに来い。」 辰巳は半ば引っ張るように倫を連れて執務室に避難した。 そして執務室に入って一息ついて改めて倫に向き直る。 「で?何がどうかしてなんだよ。」 「よ・・・・」 「よ?」 「陽之介さんをです。」 「はあ?」 何故かとても言いにくそうに顔をしかめて自分の夫の名前を言った倫に、辰巳は眉を寄せた。 「陸奥をどうにかしろってのか?」 「そうです。」 こっくりと頷く倫の意図が読めずに辰巳は首を捻った。 「けど今あいつ、別に変な事はしてなかったよな?建白書送りつけたりとか、誰かに表立ってケンカ売ったりとかよ。」 そこいら辺の喧嘩のような言い方で政治的な事を言われて倫は苦笑した。 「辰巳さん、それじゃまるで陽之介さんが日常的に喧嘩してるみたいですよ。」 「違うのか?」 「いえ、まあ・・・・」 違わないと言い切れない物がある倫が言葉を濁す。 そのあたりに関しては倫も辰巳もいつも冷や冷やさせられているという同族意識から思わず二人の顔に同じような表情が浮かんだ。 しかししきり直すように倫が軽く首を振った。 「話がずれちゃったじゃないですか。違うんです、政治的な事じゃなくて」 「ああ、どうにかしろって話な。」 「ええ。私がいくら言っても聞いてくれないし、周りの人も見て見ぬふりなんですよ。こうなったらもう辰巳さんから意見してもらうしかないと思って。」 「俺が陸奥に意見ねえ。あいつがそんなの聞く玉かよ。」 「そんなこと言わずに!」 お願いします!と縋らんばかりの勢いで言われて辰巳は首を捻った。 倫は基本的には人に頼らない性格だ。 それに関しては旦那である陽之介自身が頼られがいがない、とぼやいているのを聞いたことがあるから間違いないのだろう。 それが、こんなに必死に頼むというのは・・・・。 「・・・・俺、今、嫌な予感がしたんだが。」 「ええ!?そ、そんなこと言わずにお願いします!」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 先刻同様、ちょっと潤んだ必死の目に見つめられて辰巳はうぐっと喉の奥で呻いた。 何だかんだ言っても倫は花柳館にいた頃からの妹分だ。 困っているなら手助けしてやりたいと思う気持ちはあるわけで。 「・・・・しょうがねえ、言ってみな。」 ものすごく嫌な予感はするものの、そういうと倫はぱっと顔を明るくした。 そしてぐっと決意するように両手を握って、一息に言った。 「陽之介さんが、いってらっしゃいの「きす」とおかえりの「きす」もするって言い出したんですっっ!!」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・は?」 「だ、だから、いってらっしゃいの「きす」とおかえりの「きす」ですってば!」 (「きす」って確か口付けの事だよな?) ―― 嫌な予感的中。 「・・・・なんだ、それは。未だ独り者の俺への当てつけか?」 脱力のあまり思わず恨み言めいた台詞を言うと倫はとんでもないというように目を丸くした。 「違いますよ!ば、バカな事を言ってるって事は私だってわかってます!」 おそらくさっきの言葉をいうのが相当恥ずかしかったのだろう。 赤くなった顔でそう言う倫の顔は確かに必死だった。 「二人だけの時に、というのならまだ・・・・は、恥ずかしいですけど、まだいいんです。でも陽之介さん、他に人がいるところでもお構いなしだから・・・・」 「あー・・・・」 過去の陽之介の所行を思い出して辰巳は思わず同情的な声を出してしまった。 確かに倫と想いを通わせてから陽之介は周囲の人間に新たな認識を植え付けた。 すなわち「素直じゃない=照れ屋」ではないという認識。 倫自身、恋仲になる前の陽之介の様子と不格好な求愛の言葉のせいで物語のように甘い恋ではないだろうと思っていたのに、蓋を開けてみたら甘い恋どころの話ではなかった。 愛しいと語る言葉、見つめる視線、思いついたらすぐに振ってくる口付け・・・・甘いどころか熱いぐらいに。 しかし大問題なのは、それが人がいようといまいと陽之介が気にしない所なのだ。 一度街中で口付けられた時には恥ずかしさで死ぬかと思った。 「しかも陽之介さん、拒むとへそを曲げちゃうし。」 「あーー・・・・」 機嫌を直すのが本当に大変なんですと語る倫に、辰巳は心の底から同情した。 確かにへそを曲げた陽之介ほど扱いにくいものはないに違いない。 「それがいってらっしゃいの「きす」とおかえりの「きす」ですよ!?たぶん、才谷さんの所で仕入れてきたんでしょうけど、例え誰がその場にいようとも絶対にするって言い出すんです!」 あああ、と頭を抱える倫の肩を辰巳はぽんっと叩いた。 「辰巳さん?」 そっと顔を上げた倫に、辰巳はにこっと笑ってみせる。 そして一言。 「ん、頑張れ。」 「!?」 一瞬固まった倫の肩を無意味にポスポス叩いて辰巳は続ける。 「仕事に行く夫を励まし、帰ってきた夫を労る。妻の役目としては最適だな、うん。」 「嘘!絶対、辰巳さん、陽之介さんを説得するのが面倒くさいから言ってるでしょ!?」 「面倒ってか、無理だろ。そりゃ。」 辰巳は肩を竦めた。 陽之介がどれだけ倫に夢中か知っているだけに、倫には悪いが確実に無理だと言い切れる。 むしろ政治的な事の方が可能性があるぐらいだ。 「いーじゃねえか。他が目にはいらねえぐらいお前に惚れてる旦那なんだ。ちっとぐらい我慢してやんな。」 「っ!」 からかうようににっと笑って言われて倫はぱっと赤くなる。 きっと彼女にもそんな事はわかっているに違いない。 だからこんな事を辰巳に訴えられるわけで。 (あー、やっぱこれってよぉ・・・・) 「で、でも・・・・」 なおも倫が口を開こうとした時、玄関の方で「帰ったぜ!」という声が聞こえた。 途端に、ぱっと今までの会話などわすれたかのように顔を輝かせる倫に辰巳は苦笑した。 「ほら、行ってやれ。」 「え・・・・っと」 「おかえりの「きす」ってやつは玄関でするもんなんだろ?しねえとあいついつまでたっても玄関にいやがるぜ?」 「・・・・そうですね。」 そう困ったように笑って倫はパタパタと執務室を出て行った。 困っていたような顔のわりには、軽い足取りで。 その背中を見送って、一人執務室に残された辰巳は肩を竦めて笑ったのだった。 「ごちそうさまってか。」 〜 終 〜 〜 おまけ 〜 「おかえりなさい!」 「おう、帰ったぜ!」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・おい、倫」 「は、はい!?」 「俺をいつまで玄関に立たせとく気だよ?」 「は、えーっと、あの・・・その・・・・」 「おかえりなさいの「き」 「わ、わかってますってば!た、ただ、恥ずかしくて・・・・(///)」 「たく、しょーがねえな。倫。」 「え」 ちゅっ 「!?」 「今回は許してやるから、明日はお前からな?」 「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜(///)」 |