未来への鎮魂歌



秋風にまばらに生えた雑草と、かつて田であった場所に残る稲穂の残骸が少し寂しげに揺れる。

何軒か残る家と散らばった農具がかつてここに人の営みがあったこと感じさせた。

しかしそれらの僅かばかり残った家屋もそれと機能することはもうないだろう。

屋根や漆喰の壁は焼け落ちた煤で汚れ、黒くなった柱が露出した骨のように風雨にさらされているのだから。

そんな小さな村の残骸の外れの小さなお堂の前に二つの人影があった。

一人は小柄で短い髪を一見少年のように切ってしまっているが女性で手には小降りな花束を抱えている。

もう一人は片目を覆うほどの長さの漆黒の髪の男。

逢い引きには奇異なこの場所に連れ立って来たこの二人の顔を知らぬ者は会津にはいないだろう。

―― そう、会津藩が落ちるまでこの如来堂で死闘を繰り広げた新撰組の生き残り、斎藤一と桜庭鈴花の事を。

「ひどい有様ですね。」

秋の風に乗せるようにぽつり、と鈴花が呟く。

会津が落ちて刀を持つ必要が薄れて来た時から鈴花はそれまでの男装を本来のものへと変えていた。

それ故なのか、以前よりも少しだけ繊細に見える鈴花の横顔をちらりと見て斎藤は言った。

「亡骸が葬られただけましだ。」

「・・・・そうですね。」

少し間があって鈴花は頷く。

確かに風に揺られサワリサワリと音を立てる草原は静かで僅かばかり前にここで起きた惨状を覆い隠していた。

戊辰戦争直後、このあたりの有様はまるで地獄のようだった。

燻る火の間に無数に野ざらしにされた遺体が転がり、乱戦に燻った空気はむせかえるほどの死臭と火薬の臭いに満ちて。

「・・・・っ」

確かに自分が見た光景を思い出して鈴花はきつく唇をかむ。

それを横で見ていた斎藤はぽつりと言った。

「やめるか?」

「いいえ。」

「そう言うだろうと思った。」

きっぱりと首を振った鈴花を見て斎藤は口元に僅かに笑みを浮かべる。

その笑みに、鈴花は顔をしかめて「意地が悪いです」と呟く。

「どっちにしたって今日を逃せばもうここへは来られないじゃないですか。明日には斗南に出発でしょ。」

「ああ。」

斗南とは戊辰戦争に敗れた会津藩に領地替えとして言い渡された土地だ。

会津より遙かに北の土地でこれから開拓しなくてはならないような厳しい場所への配置替えは明らか新政府の見せしめだった。

だが最後の最後まで会津藩と共に戦い抜いた斎藤と鈴花は戦後、会津藩がたどる道を共に歩くことを決め明日、新たな土地へ旅立つ事を決めている。

だからその前に。

この場所をもう一度見ておきたかった。

「・・・・ここで戦ったんですよね、私たち。」

ぽつっと呟いた鈴花の言葉が静かに落ちる。

激戦だった。

敵も味方も死にもの狂いで相手に食らいついていく獣のように、銃弾が飛び交い剣戟の音が悲鳴のようにとどろき渡る。

鈴花は自分の中の感情を落ち着かせるように小さく息を吐くと、お堂の前に持ってきた小さな花束を置いた。

この場所はたくさんの仲間が死んだ場所だ。

あの激戦の中で助けることもできずにその命を見送った。

「忘れないでいたいんです。いつか斎藤さんが言ったように。」

触れられるほど近くに斎藤が立った気配を感じつつ鈴花はそう言った。

「・・・・それが生き残った者の役目だからな。」

予想通りの答えが斎藤から返ってきたことに鈴花は振り向かずに微笑んだ。

会津の城下には未だ生き残ってしまった事を恥じる者も多い。

そんな中で生きて、けれどけして死んだ者達の事も忘れない斎藤の強さがひどく鈴花を安心させた。

そのまま鈴花は静かに手を合わせる。

背中で同じように斎藤が動いたのも気配で分かった。

・・・さわ・・・・さわ・・・・・・

二人の声がなくなれば揺れる草の音が耳をかすめる。

長いような短い時間手を合わせふっと我に返ったように鈴花は自分の手に目を落とした。

その仕草に気配で気づいたのか、同じように合掌を解いて斎藤が問いかけてくる。

「どうかしたか?」

「いえ・・・・その、生きてるんだなあって思って。」

我ながら口に出すと間抜けな感じのする言葉に苦笑していると、斎藤が距離を詰め鈴花の前に立った。

そして思わぬ接近にきょとんっとする鈴花の頬を両手で包んだ。

「!さ、斎藤さん?」

急に頬に感じた手の感触に赤くなる鈴花を見て斎藤は目を細める。

それは笑っているようにも、安堵しているようにも見えて。

「・・・・ああ、生きてるな。」

確かめるような囁きは鈴花の胸にすとんっと落ちて、熱と切なさで鈴花の心を締め付ける。

けれどそれはけして悲しいものではないから、鈴花は自分に触れている斎藤の手に自分の手をかぶせて言った。

「私、斎藤さんがいなければきっとここまで生き残れませんでした。」

「俺が?」

「斎藤さんがあの夜に生き残れって言ってくれたから、何がなんでも生き残らなくちゃって思えたから。」

最後に一花咲かせられれば死んでも構わないと、そう言った鈴花に斎藤が言った言葉は何よりも鈴花の心を動かすものだった。

武士として潔く散ると言いながらどこかで生きることを諦めかけていた事に気づかされたのはあの時だったから。

「だから、今ここにこうしていられるのは斎藤さんのおかげですね。」

そう言って微笑む鈴花を見つめてから、斎藤はぽつりと言った。

「俺も同じだ。」

「え?」

「あの夜、お前を草の上に引き倒した事を覚えているか?」

その言葉に少し懐かしいような気恥ずかしさを覚えて鈴花は頷いた。

「あ・・・・はい。驚きましたもん。覚えてますよ。」

何分、その前にいきなり「したかったから」という理由で気持ちの確認もなく口づけてきた事のある斎藤だったから、あの時は大いに焦った。

(結局あれは勘違いだったんだよね。)

そんな事を思い出して頬が熱くなる想いをしていると、斎藤は相変わらずまっすぐな視線で鈴花を射貫いたまま顔色一つ変えずに言った。

「あの時、倒れこんできたお前を抱きとめて・・・・そのまま抱いてしまおうかと思った。」

「そうだったんですか・・・・って、えええ!?」

神妙な面持ちのまま斎藤の言葉を受け入れそうになって、一瞬後、鈴花は目をむいた。

今、何か聞き捨てならない事を聞いてしまった。

「だ、抱くって・・・・」

「?そのままの意味だ。契ってしまお・・・」

「あーーー!わ、わかりました!!」

丁寧に説明をはじめそうになった斎藤の口をふさぐように慌てて鈴花は叫ぶ。

(何言い出すのよ〜)

顔に一気に血が集まったような錯覚を覚えるほど熱い、と思っていると斎藤がふっと口元をゆるめた。

昔はまれにしか見せてくれなかった斎藤の微笑みに一瞬目を奪われる鈴花の頬を、斎藤は確かめるようになぞる。

「惚れた女が無防備に隣にいたら触れたいと思うのは当然だろう?ましてあの時は明日お前を失うかもしれない様な状況だったのだから。生き抜く事を諦めたりする気はなかったが、万が一という事もある。
そうなる前にお前に触れておきたい、と・・・・。
だが思いとどまった。」

「どう、してですか?」

「決まっているだろう?」

不思議そうに首をかしげる鈴花の耳元に内緒話でもするように斎藤は唇を寄せた。

そして彼にしては珍しくいたずらっぽく囁いた。

「これきりもう抱けない、などという気持ちでお前に触れたくなかった。」

「!」

熱いものにでも触れてしまったかのように思わずばっとのけぞった鈴花を見て、斎藤は小さく吹き出す。

「なっ!か、からかってます!?」

「いや、本気だ。」

そう言って怒ってじたばたする鈴花をしっかり捕まえる。

「桜庭の口からあの時の答えを聞いて、お前を抱きたい。この先幾度でもお前に触れられるという約束と未来を得てから。そんな未練があったから意地でも生き抜く事ができたんだろう。」

「斎藤さん・・・・」

「触れてもいいのだろう?」

確かめるように言いながら、斎藤が鈴花の額に自分のそれを合わせるようにのぞきこむ。

(・・・・ああ、もう・・・・)

いい加減斎藤の言動に驚かされるのは慣れたと思っていたはずなのに、またこれだ、と鈴花は苦笑する。

―― お前に触れるために生き抜いた、そんな事を言われて否と答える娘がいるだろうか。

けれどなんだか素直に応と答えるのも悔しい気がして、鈴花は斎藤の腕から抜け出した。

「?」

途端に少しだけ揺れる漆黒の瞳。

ああ、もう本当に他のことにはあんなに冷静な人なのに、とくすぐったくなりながら鈴花は今まで自分を抱きしめていた斎藤の手を取って自分の手を絡めた。

「桜庭?」

「・・・・斗南は寒い土地らしいですよ。」

ぽつり、と鈴花の言った言葉に斎藤は視線だけで「それがどうした」と問うてくる。

その視線を受け止めて、ちょっとだけ繋いだ手に力を入れて・・・・。

「だから」















「今よりは少しだけ斎藤さんにくっつきたくなるかもしれませんね。」















―― さわり、さわり、と風が吹く。

    かつて幾多の魂が逝った古戦場は夕日を浴びて金色に輝き

    二つ寄り添った影は静かに未来へと歩き出した。




















                                               〜 終 〜

















― あとがき ―
会津旅行で日暮れ間近に必死こいて如来堂まで行った時、ずーっと考えていたお話でした。
書き始めでわかるように最初はどシリアスの予定だったのに・・・・