なんでもないただの日常
利三郎さんと暮らすようになってわかったこと ―― 意外とくっつくのが好きなこと。 「倫〜!」 「はーい!」 お勝手で夕食の片づけをしていると居間の方から利三郎さんの声がした。 毎回思うけれど、どうしてこう、片づけがちょうど終わった所で声をかけてくるんだろう? そんな疑問を心の隅におきながら、最後の器を水から上げる。 と、その拍子に溜めていた水に映った自分の顔が見えた。 あまり表情が豊かとは言えない、ちょっと無愛想な顔が今日は余計にそう見える。 その表情に今日あったあまり良いとは言えない出来事を思い出してため息をつきそうになる。 ・・・・いけない。大したことじゃないんだから、利三郎さんに心配かけないようにしないと。 私は気持ちを切り替えるように手ぬぐいで濡れた手を拭って、居間へ向かった。 といってもそんなに大きな家じゃないので、お台所から土間をあがってすぐが居間なんだけれど。 「なんですか?」 顔を出せばちゃぶ台に向かっていた利三郎さんが顔を上げる。 そして私を見つけてにかっと笑う。 ・・・・いつもいつも思うけど、この笑顔に弱いなあ、私。 気が付けば微笑んでいるのがわかるから。 最初は利三郎さんがあんまり屈託なく笑うからつられているんだと思っていたけれど、最近では違うんだって気が付いた。 利三郎さんが笑うのが好きだから、だから笑ってくれると笑顔になるんだって。 ・・・・そう言ったらおこうさんと鈴花さんに「ごちそうさま」って言われちゃったけど。 そんな事を考えていると、利三郎さんがちゃぶ台の上に筆を置いて私に向かって手招きをした。 見慣れた仕草に、少しだけ顔が赤くなるのがわかる。 見慣れた仕草 ―― 見慣れた合図。 「今日は仕事、忙しかったんですか?」 「うん、まあ、そんなとこ。」 「そんなとこって、また微妙な言い回しを・・・・」 「いやあ、今日も校正に盛大に引っかかってさあ。お陰で小一時間庵さんから説教くらっちゃったよ。」 「・・・・わりといつもの事じゃないですか。」 はあ、とつくため息はさっきお勝手で零したのとは全然違って自分でも少し可笑しくなった。 ため息に種類がある、なんて知ったのも利三郎さんと出会ってから。 そんなやりとりをしているうちに、狭い居間の中ではすぐに利三郎さんの所へたどり着いてしまって。 「いつもの事でも疲れる時ってのがあるんだぜ。というわけで、倫。」 にっこり笑って腕を広げる利三郎さん。 その腕の中にちょっとだけ苦笑して、でも真っ直ぐに私は飛び込む。 途端に利三郎さんの匂いとぎゅっと抱きしめられる感覚がした。 「ん〜〜」 「ちょっ!くすぐったいですってば!」 額と頭の天辺に口付けされて私は首を竦める。 ・・・・くすぐったいっていうより、恥ずかしい、だけど。 「あ〜、疲れがとれるなあ。」 「・・・・私は温泉かなにかですか。」 利三郎さんの呟きに抗議してみるけれど、実際にはあんまり嫌がってないなんてすぐわかってしまうに違いない。 だって・・・・癒されてるのは私の方だから。 利三郎さんの腕の中にいると、早い鼓動に溶けるように心がほどけていく。 嫌なことも何もかも溶けて幸せな気持ちに変わっていくから。 ・・・・だから、今日はちょっとだけ素直になってみようと思ったりして。 「・・・利三郎さん」 「ん?」 「こうしてるの、私も・・・・好きみたいです。」 ―― そう言ってぎゅっと抱きついてみたら珍しく利三郎さんが固まったのがちょっと可笑しかった。 |
| 倫と暮らすようになってわかったこと ―― 甘え下手でそのくせ天然なこと。 今日も仕事から帰ってきた時、倫の顔をみてすぐわかった。 何か落ち込むようなことがあったんだそうなってさ。 本人は自分はあまり表情が豊かじゃないと思ってるみたいだけど、そんなことない。 ちゃんと見てれば倫の表情がいつもより暗いことぐらいすぐわかる。 だから俺は今日も。 「倫〜!」 「はーい!」 そろそろ片づけも終わる頃かなとあたりをつけて呼んでみるとすぐに倫が台所から顔を出した。 「なんですか?」 ちょこっと首を傾げた倫が奥様然としていて自然と頬が緩む。 だって俺の奥さんだぜ? 毎日見てたって慣れねえし嬉しいんだよな〜・・・・って咲彦に言ったらものすごく冷たい目で見られたけどさ。 手招きをすると倫がぱたぱたと近づいてくる。 いつもの仕草 ―― いつもの合図。 「今日は仕事、忙しかったんですか?」 「うん、まあ、そんなとこ。」 「そんなとこって、また微妙な言い回しを・・・・」 ・・・・口数が多いのは照れてるからだな。 「いやあ、今日も校正に盛大に引っかかってさあ。お陰で小一時間庵さんから説教くらっちゃったよ。」 「・・・・わりといつもの事じゃないですか。」 理由はなんでもいいんだ。 ただ・・・・倫を甘やかせる口実なんだから。 まあ、説教食らったのも嘘じゃないけどさ。 「いつもの事でも疲れる時ってのがあるんだぜ。というわけで、倫。」 そう言って腕を広げるとちょっと躊躇った後、小さな体が飛び込んできた。 やっぱりちょっと無理してたんだな。 恥ずかしそうにするより先に飛び込んでくる時は大体、甘えたい時なんだって気が付いたのは最近の事なんだけどさ。 そうやって我慢してしまうのは俺に心配かけないようにって気を遣ってるってわかってるから。 ・・・・なんつーか、余計に可愛くてしょうがねえんだけど。 ぎゅっと抱きしめればもっともっと触れたくなる。 「ん〜〜」 「ちょっ!くすぐったいですってば!」 ジタバタする倫の額と頭の天辺に口付けをする。 ふわっと香る倫の匂いになんだか嬉しくてしょうがなくなった。 色々あったけど、今俺の腕の中にいる大事な大事な人。 「あ〜、疲れがとれるなあ。」 「・・・・私は温泉かなにかですか。」 拗ねたように言うわりには笑ってるんだよね、声。 きっと倫は気が付いていないけど、こういう時の倫の声は少しだけ幼くてすごく自然に幸せそうだ。 だから俺は何かあるたび口実を作ってはこうして倫を甘やかそうとするんだけど。 ・・・・実は油断禁物なんだよな。 だってこの甘え下手な俺の大事な人は。 「・・・利三郎さん」 「ん?」 「こうしてるの、私も・・・・好きみたいです。」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・やられた。 わかってない・・・・絶対にわかってないけど、こうやって俺の理性を盛大に揺さぶってくれるような事を言ってのけたりするから。 ―― 俺はひびの入った理性と幸せそうな顔をした倫の間で、さてどうしようと悩む羽目になるんだ。 〜 終 〜 |