難儀で短気な贈り物
「お前には似合わねーんだよ!」 言葉を投げつけてしまった瞬間、しまったと思った。 けれど思った所で言ってしまった言葉が戻るわけでもなく、見る見る表情を強ばらせた倫は何か言いたそうに僅かに唇を動かし・・・・そのままふいっと顔を背けて道場を出て行った。 「陽之介さん、今のはちょっと酷いよ?」 道場にいた咲彦が責めるようにそう言ってくるのを忌々しい気持ちで聞いた。 わかってる。 酷かったことぐらい、自分が一番。 ・・・・傷つけた事ぐらい、わかってる。 自分でも収まりのつけられない苛立ちと罪悪感に、陸奥陽之介は懐に手をやって小さく舌打ちをした。 事の起こりは一刻ほど前の事だった。 その日、特に用事もなかった陽之介は馴染みの書店を覗きに出かけた。 天気の良い日で暖かさも申し分なく、目当ての本は見つからなかったが陽之介はわりと上機嫌だった。 (さて、どうすっかな。) 本は見つからなかったがこのまま宿へ帰るのも味気ない。 書店の近くの市を歩きながらそう考えていた矢先、ふっと陽之介の鼻を甘い香りが掠めた。 「?」 市の真ん中は食べ物やら何やらの匂いで溢れてはいるが、それとは明らかに別種の香りにせっかちの陽之介にしては珍しく足を止めて視線を巡らす。 その正体は思ったよりすぐに見つかった。 すぐ近くで店を開いていた小さな小間物屋の店先に並んだ色とりどりの小さな小袋だ。 「香袋か。」 本格的な香はとてもじゃないが庶民に手の届く物ではない。 けれど、香を小さくして袋に入れたそれは比較的安価で庶民の娘の間で人気が在ることぐらいは陽之介でも知っていた。 ―― と、いつもであればここで終わりだった。 徹底的合理主義の陽之介は自分に用がない物に時間を割くようなことは基本的にしない。 まして香袋など実用性もないただの装飾品だ。 香りの元を突き止めたところで興味はお終い、で立ち去っているのが常だった。 が、今日は違った。 陽之介は小間物屋の店先にあった香袋に近寄るとその一つを取り上げる。 途端にふわっと薫る控えめで清涼感のある香り。 そして香りと一緒に一人の少女の姿が脳裏に浮かんだ。 (・・・・あいつ、に合いそうだな。) 姉がわりのおこうと違って化粧の一つもしない、武道一本の無愛想な少女・・・・志月倫。 最初は小生意気な事ばかり言う女としてはかなり下の格付けに倫をおいていた陽之介だが、最近少し見えてきたものがある。 たぶん御陵衛士や辰巳達に熱弁を振るったのを笑われて飛び出した時、一番最初に自分を見つけたのが倫だった、あの頃から。 無愛想だと思っていたのは少しだけ感情表現が苦手なんだという事とか、小生意気だと思っていた物言いは率直に相手を思って思った事を言っているのだとか。 そんなことに気が付くたび少しずつ倫の事を思い出す時間が多くなっている気がしている今日この頃だ。 (あいつはもうちょっと女っぽい物を持てばいいんだよ。いきなり化粧とか着物変えたりとかすると焦るからこのぐらいから始めれば。) そう思って、直後に「あれ?」と違和感に気づく。 (『誰が』焦るんだ?) 陽之介が首を捻った時、ちょうど小間物屋の主人が出てきてその疑問はあっけなく棚上げされる。 「いらっしゃいませ。贈り物ですか?」 「へ?あ、ああ。まあ、俺は使わねえから。」 「失礼ですが、お武家さんの想い人に贈られるんでしたらその香袋は少し幼すぎやしませんか?」 「想っ!?」 さらっと言われた事に陽之介はぎょっと目を見開いた。 そして同時にそれもそうだと思う。 男が小間物屋で香袋なんか見ていれば恋人への贈り物だと見るのが自然だ。 そう認識した途端じわじわ頬に熱が上がってきて陽之介は慌てて首をふった。 「ち、違う!別にこれは・・・その、知り合いにやろうと思っただけだ!」 「あー・・・・」 微妙な表情で店主が頷いたのが何故か更に恥ずかしさを加速させた。 (べ、べ、別に俺が倫をどうこうとか想ってねえからな!!これは・・・・そうだ!こないだの礼だっ!!) ものすごい勢いで心の中で折り合いをつけた陽之介は「店主!」と怒鳴りつける勢いで香袋を突きつけた。 「は、はい?」 「これをくれ!」 「は・・・はあ。」 「そのままでいいから早くしろ!」 「はいはい。ありがとうございます。」 最終的にはニコニコ笑って香袋を渡してくれた店主に軽く礼を言って陽之介は逃げるように小間物屋の軒先を抜け出した。 外は相変わらずの良い天気。 懐にしまった剥き出しの香袋が、倫を思わせる薄紅色なのは単なる偶然だと自分で決めつけて。 それでも迷うことなく足は島原・・・・花柳館へと向かっていた。 ―― ここまではよかったのだ。 あとは何か理由をつけて倫に香袋を渡せばよかった。 それが拗れたのは、花柳館についた陽之介を倫が迎えた時だった。 「Helloー!!」 市から真っ直ぐ島原に向かった陽之介は花柳館の戸口に付くなり威勢良く声をかけた。 といっても花柳館はだいたい襖の類は開けっ放しが基本だ。 思っていたより大きな声が出たのは緊張していたせいじゃない、と陽之介が自分に言い訳していると一拍あけて、すぐに道場の入り口からひょこっと倫が顔を出した。 「いらっしゃいませ、陸奥さん。」 「おう。相変わらず時代遅れに鍛錬なんかつんでやがんな。」 剣の腕を磨くことを「時代遅れ」といって憚らない陽之介のいつもの言葉に倫は少しだけ困ったように笑った。 「陸奥さんは今日もお元気そうですね。」 「・・・・今、何を基準に判断しやがった?」 「?憎まれ口ですけど。」 当たり前のように返されて陽之介の口許が軽く引きつる。 (確かに俺は憎まれ口ばっかり言ってるが・・・・) 自業自得とはいえ、少しばかりへこんだ陽之介を不思議そうに倫が覗き込んだ。 「陸奥さん、どうしたんですか?」 「な、なんでもねえ!」 「?ならいいですけど。上がらないんですか?」 そう言われて初めて自分が上がりがまちに突っ立ったままだったのに気が付いて陽之介は下駄を脱いで上がった。 その様子を見て倫は道場の方へ戻ろうとくるりと背を向ける。 ・・・・その瞬間 ふわっと甘い匂いがした。 「?」 一瞬、自分の懐から香ったのかと思ったが、陽之介が買ってきた香袋の香りはこれほど甘いものではなかったし、何か基本的に香りの質が違う。 「?おい」 「はい?なんですか?」 倫が振り返って・・・・また、ふわり。 「・・・・お前、何かつけてんのか?」 今まで化粧っけもなかった倫がそんなはずはない、と中ば疑い気味で口にした言葉に、倫は珍しくさっと顔を赤くした。 「わかりますか?」 「わかりますって、じゃあホントに何かつけてんのかよ?」 「はい。香水を少し。」 「香水!?」 目を丸くした陽之介に、倫は少しムッとしたように陽之介を睨み付けてきた。 「変ですか?」 「変つーか、どうせまたおこうさんにでも言われたんだろ?」 自主的に倫が化粧に類するような事をするとも思えずに聞いたのだが、思いがけず倫は少し恥ずかしそうに笑った。 恥ずかしそうに・・・・まるで普通の年頃の少女のように。 「いえ、中村さんがくださいました。身だしなみは大事だって言われて。」 (半次郎が?) ちくっと何かが胸に刺さったような気がした。 「ふ。ふーん。半次郎がお前にねえ。」 辛うじて普通ととれなくもない言葉でそう切り返した陽之介に、倫は気づくことなく頷く。 「はい。情報屋の仕事をする時は駄目ですけど、今日は稽古だけだったし・・・・」 そう言いながら確かめるように倫は自分の手を鼻に近づけている。 ちくちく、と胸の痛みが増した。 (・・・・やめろ・・・・) そんな風にあいつからもらった匂いに染まるな。 嬉しそうな顔をするな。 胸の痛みが増すごとに心の底に不快感が広がる。 幸か不幸かそれには気が付かなかった倫が、ふっと目を上げて陽之介に問うた。 「似合いませんか?」 ―― たぶん、それが引き金。 (似合うなんて、言うと思ってんのか?) 他の男が選んだ匂いを。 頭が真っ白に・・・・否、真っ黒になった。 カッとなる癖があるのは自分でも分かってるつもりだったが、制御出来なかった。 そして口を開いた結果が。 「お前には似合わねーんだよ!」 「・・・・くそっ!」 もう何度目かになる悪態を付きながら陽之介は町を走っていた。 あんなに天気の良かった空は、もうその青色を茜色に変えていてそれだけ時間がたった事を陽之介につきつける。 あれから咲彦に責められ、かといってすぐに追いかけるのも出来ず玄関先に立っていたら辰巳にどつかれた。 『悪いと思ってんなら謝ってこいや』 いつもだったら憎まれ口の一つや二つ切り返すような辰巳の言葉が今回はありがたかった。 謝らないと。 そう思って飛び出したものの倫がその場で待っていてくれるはずもなく。 探し回ってもうしばらくたつ。 「どこいきやがった、あいつ。」 島原の周辺は探し回ったし、花柳館にも戻っていない。 御陵衛士の屯所や思いつくかぎり倫が行きそうな場所は探し回った陽之介は途方に暮れた。 (もう一度花柳館へもどってみるか。) 早足で町並を抜けながら陽之介は小さく舌打ちをする 日が暮れるまでもうそんなに間がない。 夜になれば倫も花柳館に帰るだろう。 けれど、それがタイム・リミットのような気がした。 ここで見つけられなければきっと謝る事もできないような、そんな気がして陽之介は焦っていた。 (他にあいつが行くとこ・・・・あー、くそ!思いつかねえ。) 夕方になって夜の艶めかしさを漂わせ始めた島原の大門を潜りつつ、頭をかきむしりたくなるようないらだたしさに陽之介は空を仰いだ。 仰いで・・・・呻いた。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・unbelivable」 (なんであんなとこにいんだよ。) あんなところ、もとい花柳館の屋根の上に小さな人影があった。 それは間違いなく、散々探し回っていた倫に間違いなく。 見つけたことを喜ぶべきか、なんでそんな所に居るんだと怒るべきか、複雑な思いにかられながらとにかく陽之介は花柳館に駆け込んだ。 ―― 屋根の上に上がるのは身の軽い彼女と違って四苦八苦だったものの、なんとか無事にたどり着くことが出来た陽之介は屋根の上で膝を抱えるようにして座っている倫を見つけて一瞬戸惑った。 ここまでは必死に探していたけれど、まだ何を言うか全然考えていなかった事に気が付いたのだ。 (あ・・・・謝る、んだよ。) それは分かっているのだが、何と言っていいかわからない。 「似合わない」という言葉が彼女を傷つけたんだとしたら謝って改めて「似合う」と訂正してやるべきなのだろうが、それだけはやっぱりどうしてもできそうになかった。 何と言うべきか、陽之介がグルグル悩んでいると、不意に倫が言った。 「・・・・ごめんなさい。」 「へ?」 (なんでお前が謝るんだよ?酷いことを言ったのは俺だぞ?) 戸惑う陽之介を気にした様子もなく倫は言った。 「何も言わずにいなくなるなんて失礼な態度でした。すみません。」 「倫・・・・」 「・・・・やっぱり、私は女っぽいものは似合いませんね。普段から綺麗にしておかないと、こういう時どうしても浮いてしまって。」 冗談に聞こえるようになのか、倫は軽くそう言った。 明るさを装ったまま、陽之介の方を振り返りもせずに。 茜空の中でその背中が小さく見えるのはきっと陽之介の錯覚ではない。 その背中に向かって、陽之介は叫んでいた。 「違う!そうじゃねえんだって!」 「!?」 びくっと震えた背中がやたらと悲しくて、駆け寄って抱きしめたくなる衝動を陽之介はなんとか押さえ込んだ。 かわりに少し乱暴に屋根を歩いて倫の隣にドカッと座る。 「む、陸奥さん・・・・?」 「お前がっ・・・・!」 意気込んで口を開きかけた陽之介は途端に言葉を失った。 (何を言う気だ?) 『お前が』? 半次郎にもらった香水を嬉しそうにつけるから? いきなり女っぽい格好なんかしたら焦るから? 化粧なんかして・・・・綺麗になりすぎたら困るから? (〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜) 咄嗟に頭に浮かんだ言葉の全てがどう考えても口に出したらまずいような気がして陽之介は顔に血が上る感覚に頭を抱えそうになった。 『お前が』に続く一番の言葉はきっと。 ―― 『お前が、好きだから嫉妬して酷いことを言った』 (言えるかっっっ!) 自分で自分に悲鳴を上げて行き詰まる陽之介に、倫が横からそっと覗き込んできた。 「あの、陸奥さん?大丈夫ですか?」 「〜〜〜〜〜〜〜倫!!」 「は、はい!?」 「てめえには、その香水は大人っぽすぎる!」 「え・・・・」 陽之介の言葉にさっと倫の表情が曇る。 また傷つける前に慌てて陽之介は懐に手を突っ込んでずっとしまいっぱなしだった香袋を倫に押しつけて言った。 「お前にはこのぐらいがちょうどいいんだよっ!」 「え・・・・これ・・・・私に、ですか?」 きょとんっという効果音が付きそうなほど意外そうに見られて、陽之介は居心地悪さにそっぽを向いた。 「他に誰がいるってんだ!」 「・・・・・・・・・・・・・・」 言葉を失ったような沈黙が少しあって ―― それからくすっと小さな声が耳に入った。 振り返ってみると倫が香袋をそっと嗅いでいて。 「・・・・いい匂いですね。」 「あ、ああ。」 頷いた陽之介を見て倫はほどけるように笑った。 「ありがとうございます。大事にします。」 そう言う倫は夕焼けに縁取られてとても・・・・綺麗で。 「 」 「え?何か言いました?」 小さすぎる声を拾えなかったのか首を傾げる倫から陽之介は慌てたように視線をそらしてぶっきらぼうに言った。 「酷いこと言って悪かったって言ったんだ。」 「?そうですか?」 「そうなんだっ!!」 噛み付くように言われて倫は少し訝しげにしたものの、納得することにしてくれたらしい。 小さな香袋を手の中で嬉しそうに転がしている倫を横目で見ながら、陽之介は今が夕暮れで在ることに密かに感謝した。 ―― そうでなければ、きっと真っ赤になっているのがわかってしまうから。 はあ、とため息をついて陽之介は呟いた。 「・・・・お前には少し幼いぐらいでちょうどいいぜ・・・・」 ―― 『お前は十分・・・・女っぽくて綺麗だよ』 倫の耳には届かなかった言葉は夕焼けと小さな香袋だけが知っている。 〜 終 〜 |