君のおかげで僕の時が動き出していく 鮮やかに ・・・・・・残酷に 境界線の花 残暑も厳しい静月のある日、五家宝麟はぶらぶらと彩都のメインストリートを歩いていた。 一見目的なさそうな足取り。 実際、庵を出た時は何となく散歩の行くつもりで麒伯にもそんなような事を伝えてきた。 しかしいつの間にか足は彩都の中心部へと向い、このメインストリートに入ったあたりで自分がどこを目的地としているかもはっきりわかった。 目指しているのは一軒の甘味処 ―― 今年の桜月から一時的に店の名と主人を変えて仮オープンしている浪漫茶房だ。 (やれやれ、勝手に足が向くなんて、ね。) 心中自分に呆れつつ麟は方向を変えるわけでもなく進む。 ここで無理矢理に浪漫茶房から遠ざかる事はかえって自分の中の感情を煽りかねないと判断したからだ。 (何となく会いたいと思ったのに会いにいかないなんて変だしね。) それがなんとも思っていない『友人』なら。 顔を見に行くのに何をためらうことがあるだろう。 何故会いたいと思うのか、それを追求してはいけないのだ。 麟にとって『人』は『友人』でなくてはならない・・・・それ以上はいらない。 だから気づいてはいけない。 これから行こうとしている店の女主人、天海千歳に対して抱いている気持ちなど。 ちょうどその時、かわいらしいたたずまいの甘味屋、浪漫茶房が見えてきた。 最近、彩都でも話題になりつつあるというその店構えは老舗の吹月堂とは比べるまでもなくちんまりとしたものだったが、それが店の主を映しているようで麟は無意識にくすっと笑った。 暖簾を潜ればきっとお愛想とは無縁な彼女がくりっとした目を向けてくるだろう。 その瞬間を想像しながら麟が暖簾を潜ろうとした時だった。 「からかうのもいい加減にしてくれ!」 半ば悲鳴の様な声にびくっとして麟は動きを止めた。 「またまた〜、そんなに過剰な反応されちゃったらお兄さんははりきっちゃうよん♪」 楽しげな声は戸口にいる麟に気がついた気配もない。 なんとなく戸口の脇に体を隠して麟はそっと中をのぞき込んだ。 (道明寺暁尚と・・・・葛生瑣巳、だっけ。) 浪漫茶房の店内でなにやらもめている?知った顔の名前を麟はなんとかひねり出した。 二人とも浪漫茶房の常連客で何度か顔を合わせた覚えもある。 その二人がカウンターの近くでなにやら言い合っている・・・・というか、一方的に暁尚がからかわれているようだ。 「坊ってばホント普段は表情乏しいくせにからかう時は百面相だよなあ。」 「だから坊はやめろと言っている!」 「あ、武芸者のくせに一般人相手に剣抜くのはまずいんじゃない〜?」 「っく!天海!お前も黙ってないでなんとか言ってくれ!」 進退窮まったという感じの暁尚が口にした名前に、麟の胸がどきっと跳ねる。 そっと体の位置をずらしてカウンターの方を伺ってみれば仕事着姿の千歳が何故かうつむいていて・・・・。 「あ、天海?」 「ん〜?お嬢?どうかした?」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ぶっ」 「「ぶ?」」 「あははははははははははっっ!!!」 答えきれなくなったような大爆笑が店内に響き渡る。 それはもう、何もかも爽快に吹き飛ばしてしまいそうな大爆笑。 それにつられたのか、店内の二人もあきれ顔から徐々に苦笑へ、そして互いに顔を見合わせて笑い出すまでさほどの時間はかからなかった。 文字通り笑い声のあふれる店内。 そんな穏やかで楽しそうな光景を前に ―― 麟の胸が暗く痛みを訴える。 彼女は、千歳はなんと笑い声の似合う娘なのだろう。 なんて光の似合う・・・・。 きりっと麟は唇を噛みしめた。 ふいに彼女の側で笑う青年達が酷く妬ましくなった。 光の似合う彼女の側で笑うことが出来る彼ら。 共に生き、笑い・・・・恋い慕う資格をもつ彼らが。 あの二人が千歳を好いている事ぐらい麟には手に取るようにわかった。 そして彼らなら千歳をどんな形であれ幸せにできるということもわかっている。 (・・・・そう・・・・) ―― ボクナンカトハチガッテ ―― 黙って麟は戸口に背を向ける。 (僕の・・・・世界じゃない。) 背を向けた途端に世界が色あせたような気がした。 それは穏やかな『人』の世界に背を向けたせいか・・・・それとも千歳が、彼女が視界からはずれたせいか。 (気づかなければいいだけだ。) 彼らが妬ましい理由に。 長い間生きてもうとっくに距離の取り方を覚えたはずの『人』の世界を羨む訳に。 (気づかなければいいんだ・・・・) もう飽きるほど繰り返した四季が急に色鮮やかに見えるようになった原因に。 ・・・・お菓子を口実に、自分が何をしにここへ来ているかに。 まだ、まだ戻れる。 一人だけ隔離された世界に戻ることが出来る。 息を殺すほどの寒さに支配された真冬のように色のない、しかし傷つくこともない、あの慣れ親しんだ世界に。 一歩。 麟は足を踏み出す。 気がつかないために、傷つかないために。 二歩。 暖簾を潜るまであと一歩。 そこは暖かくはないが平坦な一人ぼっちの生。 三・・・・ 「あれ?麟くん?」 びくっとして振り返った麟は真っ直ぐにこっちを見てた琥珀色の瞳とまともにぶつかった。 きょとんとして、何もわかっていなくて・・・・でも真っ直ぐに見つめる千歳の視線に。 その瞬間、あふれ出したのは。 (ああ・・・・) そんなことは所詮無駄だったのだ、と麟は知る。 この300年もの間鍵がかかって壊れたようになっていた心にたった数ヶ月の間に目一杯育っていた気持ちを気づかなかった事にするなんて。 無理だったのだ。 だってこんなにも。 (・・・・君が、好きだよ・・・・) 一生懸命な君が。 見ず知らずだった僕にも本気で怒ってくれる君が。 凍っていたはずの僕の時を残酷なまでに劇的に動かしてしまった君が。 何も言わずに立ちつくしている麟を不審に思ったのか、千歳がカウンターを出てこちらへやってくる。 来てはいけないと思う反面、光の世界からこちら側へ千歳が来てくれるような錯覚を覚え動けない。 一歩、二歩、三歩。 「どうしたの?大丈夫?」 いともあっさり距離を縮めてのぞき込んでくる彼女。 一瞬、麟は泣きわめきたくなった。 千歳の何倍も長い時間を生きていながらのぞき込むのは彼女で、自分は見上げなければ千歳と目を合わせることが出来ない。 自分ではどうすることも出来ない距離がどうしようもなく悔しかった。 千歳の周りに当たり前のように存在できる『人』が羨ましかった。 ―― 心の何処かで警鐘がなっている。 ―― 体を引き裂かれそうな願いが心を軋ませる。 ―― 願ってはいけないと、わかっているのに・・・・ (僕は・・・・) 「麟くん?」 (・・・・君と生きたい。) どくんっ、と耳元で音がした。 「麟くん?本当にどうしたの?具合でも悪いの?」 困ったようにのぞき込んでくる千歳に麟はゆっくりと微笑んだ。 こういうとき年の功というものは便利だ。 どんなに激しい感情でも覆い隠すのに難はない。 「なんでもないよ、おねーさん。」 いつもの意地悪ぶった表情も忘れない。 自分は気づいてしまった・・・・でも、君は気づかないで良い。 いつでも光の中で笑っている君で良い。 誰か隣に君と共に生きて、老いて、死ぬ事の出来る人を選んで・・・・それで良い。 「ちょっと喉が渇いてただけ。」 「?だったら店の中に入ってくればよかったのに。」 「ん〜?だってなんだか盛り上がってるみたいだったし。入りづらくって。」 「り、麟くんが遠慮したの?」 「・・・・僕が遠慮するのがそんなに変なわけ?」 「や、なんていうか、その〜・・・・ほんとに大丈夫?」 「いやだなあ、おねーさん。僕はいたって常識人だよ?開店中の甘味屋の店内で喧嘩しているお客さん達とちがってね。」 意味深に千歳の肩越しに視線を投げれば瑣巳と暁尚がぐっと言葉に詰まったのが見えた。 「?まあ、ともかく入ってよ。今、お茶入れるからね。」 そう言って麟を招いたその仕草はとても自然で、暖かい物だったから。 (もう少しだけ、側にいさせてよね。) 君が気づかないように、もう少しだけ。 そう思いながら麟は一歩、二歩、三歩、四歩。 千歳の笑顔が一際鮮やかに花開く店内に足を踏み入れたのだった。 君のおかげで僕の時が動き出していく 鮮やかに ・・・・・・残酷に 〜 終 〜 |