好奇心は子猫も惑わす
「ねえ、平助君。」 穏やかな午後のある日。 屯所として利用させてもらっている八木邸の縁側でお茶を楽しんでいた時、ふと鈴花は隣にいた平助に声をかけた。 近藤にもらったというお茶菓子の饅頭を頬張っていた平助はお茶で口の中の饅頭を飲み込んで「何?」と聞き返してくる。 「私、ちょっと疑問があるんだけど。」 「疑問?なにさ?」 「うん・・・・斎藤さんのコトなんだけどね。」 「一さん?色々疑問は有りそうだけど、どれ?」 「どれって」 平助の切り返しに鈴花は苦笑してしまった。 確かに、鈴花の上げた人物 ―― 斎藤一は謎が多い。 というか、本人は隠しているつもりはなくても、周囲にはわからないコトが大発生するのだ。 無口で多くのことを語らないわりには、色々過程をすっ飛ばして受け答えするものだから妙に的はずれなことを言ったりする。 剣の腕は新選組で1,2を争う程なのに、任務はきっちりこなすがそれ以外には至って無頓着。 なんというか、わかりにくい人なのだ。 「斎藤さんの言動がわからない、とかじゃないの。」 「へえ、てっきりまたわからないコトでも言われたのかと思ったよ。違うの?」 「うん。さすがに最近は私だってわかるようになってきたもん。斎藤さんってちょっとわかりずらいけど優しい人だし、よく見てれば何が言いたいのかも少しはわかるよね。」 「・・・・ふーん、なかなか鈴花さんもやるね。じゃあ、何が疑問なのさ?」 「・・・・前髪。」 「は?」 ほとんど反射的に聞き返した平助に対し、鈴花はごくごく真面目に首をひねった。 「だから、前髪。斎藤さんって前髪がすごく長くて左目にかかってるでしょ?」 「え、あ、うん。そうだけど。」 「平助君、あの左側の前髪が払われたのって見たことある?」 「ええ?ないわけ・・・・なくない。」 何馬鹿な事を、という勢いで否定しようとして、平助は思わず口ごもってしまった。 言われてみれば斎藤の左の前髪が払われた様を見たことがないような気がしたのだ。 それに力を得たのか、鈴花が「でしょ!」と一歩乗り出してくる。 「あそこまで隠してると、なんだか左側に何かあるような気がしちゃうのよね。」 「何かって、何を隠すんだよ?」 「何かって、何か。」 「だーかーらー」 「・・・・もしかして・・・・」 急に声を潜めた鈴花に、平助もなんとなく身を縮ませる。 午後の暖かい陽ざしが降り注いでいるはずなのに、なんとはなしにつめた〜い緊張感が漂って。 「・・・・もしかして、なかったりして・・・・」 「な、なかったりって・・・・」 ごくり、と雰囲気的につばを飲み込んでしまった平助を見つめて鈴花は息を詰め。 「だから・・・・あの前髪の下には何も・・・・」 「よお!昼間っから怪談話か!?」 「「ぎゃあああっっっ!!」」 ―― 呑気な午後に二つの間抜けな悲鳴が響いた。 (まあ、それは冗談としても。) 数日前のあほなやりとりを思い出しつつ、鈴花は洗濯物を抱えて屯所の庭を歩いていた。 今日も良いお天気で押しつけられた洗濯物も良く乾いている。 それを抱えててくてく歩いているうちに、また例の疑問が浮かんできたのだ。 すなわち、「斎藤一の左の前髪はどうして長いのか」。 (片目だけとはいえ、視界が悪くなりそうだよね。剣士なのに。) もっとも、斎藤ほどの腕だったなら視界のいっさい無い闇夜だろうと支障なく剣を振るえるだろう。 だから実質的な問題というのとは、ちょっと違う。 それは鈴花自身も意識していないようなどこかにある斎藤を知りたいという好奇心の結果なのだが、そこまで思考は至らず、疑問はへんてこな方向へふくらんでいく。 ―― と、その時。 先日平助とやりとりを繰り広げ、挙げ句の果てに原田に死ぬほど驚かされた縁側に、人影を見つけて鈴花は立ち止まった。 (あれは!) 細身の体躯に独特の着崩し方・・・・件の斉藤一、その人だった。 しかも。 なるべく足音を立てないように細心の注意を払いながら斎藤の前まで来た鈴花は、世にも珍しいモノを見るような目でしげしげと斎藤を見つめてしまった。 (うわあ・・・・斎藤さんが眠ってる。) そう、斉藤一は眠っていた。 柱に背を預けて目を閉じている形だから、遠目だとただ座っているだけにも見える。 しかし目は閉じられて、口からは穏やかな呼吸が漏れているのだ。 相変わらず、特に手入れなどしていなさそうなのに艶やかな黒い髪は顔の左半分にかかっている。 (斎藤さんって相変わらず、綺麗な顔立ちだなあ・・・・あ!) なんとなく斎藤を観察してしまった鈴花は思わず声を上げてしまいそうになって慌てて口をつぐんだ。 (これって、もしかしたら好機かも!) 自分の頭に浮かんだ思いつきに、少しどきどきしながらも鈴花はそっと洗濯物を横の縁側に降ろすと、斎藤を覗き込んだ。 斎藤はぴくりとも動かず、呼吸は穏やか。 それを確認して鈴花は慎重に慎重に、今も相変わらず顔にかかっている左の前髪へと手を伸ばして ―― 「―― 何をしてる」 「ひゃあっっ!!」 がしっと手を捕まれた鈴花は心臓が口から飛び出るかというほどの驚きと共に、思わず悲鳴を上げてしまった。 見れば眠っているとばかり思っていた斎藤はしっかり鈴花の事を見据えていて、左手は鈴花の右手の手首を捕まえている。 「さ、さ、さ、さ、斎藤さんっ」 「なんだ?」 「な、なんだじゃないですよ〜〜」 いまだにバクバクと鳴り響く心臓を抱えて、鈴花は脱力してしまった。 「起きてたんなら、もっと早く言って下さい!びっくりしたじゃないですか!」 「・・・・お前が何かたくらんでいそうだったから、見極めようとしたまでだ。」 「た、企んでなんか!」 慌てて否定するものの、そこは表情に出やすい鈴花のこと。 小さくため息をついて斎藤はきっぱり断言した。 「嘘だな。」 「ぐっ。」 言葉に詰まる鈴花を見て、斎藤は小さくため息をついた。 「俺の前髪の事か?」 「ええ!?何で知ってるんですか!?」 「・・・・藤堂に聞かれた。」 (平助君〜。何、本人にばらしてるの〜!) 心の中で文句を言いつつ、ふと、鈴花は斎藤を見た。 いつもとあまり変わらない無表情ながら、怒っている様子はない。 (・・・・怒ってないなら、もしかして) 「あの、斎藤さん。」 「なんだ?」 「その・・・・怒ってます?」 一応確認を取ってみると、斎藤の表情に怪訝な色が浮かぶ。 そんな事を聞かれるとは思っていなかった、という表情と判断するに十分なそれに力を得て鈴花は腹をくくった。 もとより、疑問を放っておくのは苦手な質の鈴花だ。 「あの、ですね。さしつかえなかったら、その・・・・左側の前髪、上げて欲しいなあ、なんて。」 「・・・・・・・・・・・・・」 「えーっと、斎藤さんってせっかく整った顔してるのに、隠しちゃっててもったいないなあ、ってずっと思っててだから見てみたかったんですけど・・・・」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 「ご、ごめんなさい!やっぱり嫌ですよね?」 「・・・・別に。」 「え?」 「別に隠しているわけじゃない。お前が期待するような事は何もないが。」 こともなげにそう言われて、鈴花はぶんぶんと頷いてしまった。 自分でも何故だかわからないけれど、見られるなら是非みたい。 「お願いします!」 勢い込んでそう言う鈴花に、斎藤は一瞬驚いたように少し目を開いて、それから僅かに微笑んだ。 滅多に見られない、斎藤の柔らかい表情に目を奪われた鈴花の前で、斎藤はごくあっさりと左の前髪に指を差し込む。 そしていとも簡単にさらっと前髪を掻き上げて・・・・ ―― 目があった 「・・・・・・・・・・・・・・・・斎藤さん」 時間にして、ほんの一瞬。 掻き上げただけで前髪を降ろした斎藤は、いつの間にか俯いた鈴花の声に首をひねった。 「どうかしたか?」 「・・・・ごめんなさい。前言撤回します。」 「何がだ?」 「・・・・前髪、降ろしておいて下さい。」 「?」 首をひねって答えを返し損なった斎藤に、鈴花はぱっと顔を上げると、その胸ぐらを掴まんばかりの勢いで斎藤にずいっと迫って言った。 「絶対、絶対!前髪、降ろしておいて下さいね!?街に出る時とか、絶対ですよ!?」 「あ、ああ・・・・」 「絶対ですからねっ!!」 ほとんど捨て台詞のように叫びながら、鈴花は迫力に押されて呆然としている斎藤を残して走り去ってしまった。 ―― 後に残されたのは、何が何だかわからない斎藤と、山積みの洗濯物。 「・・・・なんなんだ?」 ぽつっと斎藤が呟いた所へ、鈴花が走り去った方からひょっこり見知った顔が現れた。 「お、ハジメじゃねえか。」 「永倉さん。」 「おめえがここにいるっつーことは、おめえが原因か?」 「何の事です?」 「そこで桜庭とすれ違ったんだがな、あいつ、えらい真っ赤な顔してすごい勢いで走っていったからよ。」 「真っ赤な顔・・・・」 「ああ。おめえ、手ぇ出したのか?」 「いえ・・・・まだ」 「まだって、手ぇ出す予定かよ。」 「・・・・・・・・・・・・」 呆れたような永倉の声を聞きながら、斎藤は無言で鈴花の走り去った方を見つめていた。 「はあ・・・はあ・・・はあ・・・・・ぅぅ〜〜〜〜〜」 斎藤の前から駆けだした鈴花は全力疾走で壬生寺の境内まで駆け込んだところで、やっと立ち止まった。 途中、驚いた隊士の声が何人かしていたような気がするが、もう覚えていない。 とにかく、鈴花の脳裏を支配していたのはひとつだけ。 「〜〜〜〜〜〜〜なんでぇ」 走ったせいだけではない、別の所でドキドキと響く鼓動を抱えて鈴花は顔を覆ってしまった。 (絶対、今、顔真っ赤だよ〜) あの時・・・・斎藤の両の瞳と視線を合わせた時、鈴花は息をするのを一瞬忘れた。 真っ直ぐに向けられた斎藤の瞳は鈴花が想像していたよりずっと、優しく、それでいながら何処かに熱さを秘めているような力強いものだった。 片目だけの時はそんな風に見られると嬉しくなった鈴花だったが、両目で見られた時は射抜かれた気がした。 真っ直ぐに、心の何処かを。 (あ、あんな視線を隠してたなんて!) 期待しているようなものはない、どころの話じゃない。 あんな視線を惜しげもなくさらして街でも歩かれた日には、目があった先から女性を虜にしてしまう。 (そんなの絶対嫌!) その思いに突き動かされて、思わず斎藤に詰め寄ってしまった。 どうしてそう思ったかもよくわからず、でも斎藤のあんな顔を自分以外の人が見るのがどうしても嫌で。 ・・・・人はそれを「嫉妬」と呼ぶが、今の鈴花にはどうでもいい事だった。 とにかく今は乱れた息が整っても、ちっとも落ち着く気配を見せない鼓動と、脳裏にしっかり焼き付いてしまった斎藤の視線をどうやって消したらいいのか、頭を抱えてしまった鈴花だった。 ―― けれど、まだ彼女は知らない。 斎藤がそんな視線で見つめるのは、この世でたった一人・・・・鈴花だけだと言うことを 〜 終 〜 |