風光る
『―― 拝啓 照姫様 私が新選組に入隊して一年が過ぎました。 京の都は今、桜が満開です。 昨年は照姫様のお計らいで入隊した直後だったので桜の花を愛でる余裕もありませんでした。 けれど今年改めてみると京の桜は会津とも江戸とも違う気が致します。 そして新選組の名を頂いて初めての桜だからでしょうか、他の隊士達にも違って映るようで 先日・・・・ 春独特の薄くけぶったような青い空に、ぬくもった風が柔らかく吹く。 地には芽吹いたばかりの空に焦がれるように背を伸ばし始めた若葉の緑。 その空と地の間には、淡くそれでいて凛としたたたずまいの桜が満開に咲き誇っていた。 春爛漫の心躍るような光景の中で桜庭鈴花は・・・・頭を抱えていた。 (・・・・花と空と地だけなら風流な春なのに・・・・!) 「桜庭あ!何してんだ?」 「そうだぜ。こんな良い日に不景気な面すんなって。」 「誰のせいですかーーーー!!!」 思わずお腹のそこから叫んで鈴花は目の前の、花と地の間・・・・正確には桜の木の根本に敷布を敷いて大宴会を繰り広げている新選組の面々を睨み付けた。 もっとも、日々殺気を漲らせた不逞浪士と斬り合っている男達に鈴花の恨みがましい視線など何の効果も生まなかったが。 ちなみに「誠」の一字が染め抜かれた旗が高々と掲げられているせいか、まわりに人気はなかった。 「この旗、持ってきたんですか?」 「おうよ。おめえが後から来るっつーから目印がわりにな。」 ・・・・唯の目印にしては威嚇効果がありすぎやしないだろうか、と一瞬思ったがそれは黙っておいた。 新選組と名を改めたものの、京の人間の向ける目は壬生浪士組だったころから対して変わってはいない。 「まあいいじゃねえか。おめえもさっさとこっち来て食えって。」 あきらかに適当に宥められて鈴花は永倉に敷布に引っ張りこまれてしまった。 既に相当酒臭い永倉に鈴花はため息をつく。 「ちょっと、永倉さん。お酒臭いですよ?」 「んあ?まだそんなに呑んじゃいねえよ。まだ左之も正気だろ?」 「あー?俺がなんだってえ?」 そう言いながらいきなり首に腕をかけるようにして絡まれて鈴花は妙に納得してしまった。 「正気ですね・・・・正気じゃないみたいだけど。」 後半ぽつりと付け足したのは、こぼれ落ちた本心だ。 この一年の付き合いで原田左之助という人は酔った方が真面目な知識人に見えるというとんでもない特性を持っていることを鈴花は身をもって知っている。 「・・・・相変わらず、酔ってない方が酔っぱらいみたい・・・・」 「んだとお!?」 「きゃあっ!何するんですかー!」 「ぐはっ!」 ぐりぐりと拳を頭に押しつけられて反撃に肘鉄を一撃。 さすがに緩んだ原田の腕をさっさと抜け出して鈴花は原田と永倉の反対方向へ逃走した。 ちらっと見れば永倉が爆笑していたから大丈夫だろう。 「左之さんに早々に絡まれるなんて鈴花さんもついてないね。」 「平助君」 逃げ出した先でこちらもけらけら笑ってそう言ったのは藤堂平助。 鈴花にとってはこの状況の元凶でもあった。 「ちょっと、これってどういう事?私は平助君と山南さんにお花見をしませんかって声かけただけだったはずけど?」 そう、確かに昨日、隊務の間にこの場所に咲いている桜を見つけてちょうど翌日は非番だった事もあって鈴花は二人に声をかけたのだ。 別にそこには特別な何かがあったわけではなかったが、ただ純粋にのんびりお花見が出来そうな人を選んだつもりだった。 永倉や原田を避けたわけではないが・・・・まあ、結果が目に見えていたので。 責めるように言えば杯を弄んだ平助がバツが悪そうに肩を竦めた。 「いやさ、その話をしてじゃあせっかくだから仕出しでも持ってって言ってたじゃん?それを頼もうと思って島原に使いを出したら、ちょうどそこにいたあの二人が聞きつけちゃって。」 「それでなし崩しに大宴会に・・・・」 「そうなんだよ。花見に俺らを誘わねえとはどういう了見だーって。」 (準備を平助君に任せたのが敗因だったのね。) 午前中に用事を頼まれて出かけてしまった事が悔やまれるがもう後の祭り。 まあ、楽しくていいんじゃない?と気軽に言った平助に鈴花は諦め半分のため息をついた。 「のんびりとはかけ離れた事になったけどね。」 「うーん・・・・まあ、俺としてもちょっと不本意なんだけど。」 「?楽しくていいんじゃないの?」 「まあ、そうなんだけど・・・・敵が1人から7人に増えたっていうか。」 「??」 平助の呟きの意味が分からず首を傾げた鈴花の目の前にずいっといきなり皿が現れた。 「え?」 驚いて皿の先を目で追えばそこには斎藤と沖田が座っていた。 ちなみに皿を差し出しているのは斎藤だ。 「?あの・・・・」 「食え」 「は?」 端的な斎藤の言葉に目を白黒させる鈴花に、沖田と平助は笑い声を上げた。 「斎藤さん、それじゃ鈴花さんがびっくりするって。」 「そうですよ。美味しいから食べたら、とか言わないと。」 「・・・・そうか。」 両側からそう言われて斎藤はこくんっと頷いた。 が、その変わらない表情が少しだけ「しまった」という顔をしているような気がしたのは鈴花の気のせいだろうか。 なんだか毒気を抜かれて鈴花は皿を受け取った。 「美味しいんですか?」 「ああ。」 頷いただけの斎藤は相変わらず無表情でさっぱり美味しい物を進めている人には見えない。 けれど、一年前は怖いと思った斎藤の無表情にも慣れてきている事を自覚して鈴花は自然と微笑んだ。 花が咲いたような、と形容されるに然るべき笑顔に一瞬周りにいた男達が息を飲んだことにも気が付かず鈴花は渡された皿の上の押し寿司を口に運ぶ。 「美味しい!」 たちまちあがる歓声に平助も沖田も、そして斎藤も釣られたように笑った。 「そりゃそうだよ、島原で一番美味いとこに頼んだし。」 「せっかくですから、思い切り食べたらどうですか?花を愛でるより美味しいお料理に目を輝かせている方が桜庭さんにあってますよ。」 「・・・・それって、私が花より団子だって言いたいんですか?」 むうっと頬を膨らませると反対側から永倉と原田の笑い声が上がった。 「まさにそうじゃねえの?」 「永倉さん達には言われたくありません!!」 「確かに。」 「だよね。俺も左之さん達には言われたくない。」 「あ、てめら!何言ってやがんだ。お前らだって花より団子のくせによ。」 その言い回しに平助と斎藤が一瞬ぎくっとした顔をする。 もっとも、永倉が言った花より団子の『団子』はわけがわからない、という顔できょとんとしているだけだったけれど。 「あー、もういいから食べなよ、鈴花さん。」 「うー、わかったわよ。もう食べられるだけ食べてやるー!」 がしっと箸と皿を掴んだ鈴花は猛然と仕出しの重箱に向かう。 その姿に、やっぱり豪快な笑い声があがるのだった。 ―― しばし後、見事に重箱は空になった。 もちろん鈴花一人で食べたわけではないが、結構な量が彼女のお腹に収まった事は明白である。 何しろ永倉と原田は主は酒で料理はつまむ程度だったし、平助と斎藤も酒を呑んでいたから。 もっぱら箸を動かしていのは鈴花と沖田で、鈴花は一杯になったお腹をさすって満足げに息を吐いた。 「美味しかった〜。」 「あはは、本気で鈴花さん食べまくったね。」 「おお、男らしい食べっぷりだったぜ。」 「・・・・ぜんっっぜん褒めてないでしょう、永倉さん。」 「いいえ、たくさん食べるというのは大変感心な事だと思います。そもそも食というものは・・・・・」 「あれ、原田さん、いつの間にか酔っぱらいに。」 「僕は酔ってなどおりません。」 きっぱりと言い切る原田の目には知性の光。 「・・・・酔っぱらいですね。」 「あははっ!相変わらず原田さんは面白いですねえ。」 「沖田君、僕は面白くなどありません。君は日頃から・・・・」 まだまだ続きそうな酔っぱらい原田節に鈴花が苦笑していると、目の前に湯飲みが差し出された。 「?永倉さん?」 差し出したその人を見れば、永倉はにやっと笑って言った。 「おめえもちったあ、付き合え。」 「え・・・・まさか、これお酒ですか!?」 思いっきり顔をしかめた鈴花の横から平助が湯飲みを覗き込む。 「鈴花さん、これ白酒だよ。」 「え?白酒ってお節句に飲む?」 「そうだよね?新八さん、こんなの用意してたんだ。」 平助にそう言われて珍しく永倉は照れくさそうに頭を掻いた。 「まあ、桜庭も一応女の端くれだからな。男所帯じゃ節句もなにもねえだろ。」 気分だけでもな、と言う永倉の言葉は鈴花の心をふわりと温かくする。 (もう、永倉さんって普段メチャクチャなわりに変な所でお父さんみたいなんだから。) 『お父さん』という所に関しては永倉が聞いたら複雑な顔をするだろうが、そんな事はつゆとも知らない鈴花はそっと永倉の手から湯飲みを受け取った。 「そういうことなら、少しだけお相伴にあずかります。」 「おう、そうしろや。」 口に運んだ白酒は甘い味ではなかったけれど、どこか優しい感じがした。 ・・・・ちなみに、この日の鈴花の記憶はこのあたりから曖昧になった。 というのも ―― 「・・・・信じらんねえ」 「ああ」 「いるんだね、ほんとに。」 「あははっ、桜庭さん、最高!」 半ば呆れ、半ば感心気味の3人ともっぱら大笑いをしている沖田の視線の先には。 「桜庭さん、女子というものはですね・・・・」 「あははははははっ、はらださん、おかしー!」 何やら説教に入っている酔っぱらい原田と、同じく明らかに酔っぱらっている鈴花の姿があった。 「まさか、白酒でも酔っぱらうたあ思わなかったぜ。」 「しかも笑い上戸だし。」 「お、おかし・・・桜庭さん、面白いですよ。」 「沖田さん、あんたは笑いすぎだ。」 「ええー。」 お腹を押さえて抗議する沖田に、またも鈴花の爆笑。 「あー、もう、おめえはこっちにこい。」 「えー、おうぼうですよー。」 むう、と拗ねた顔をする鈴花に永倉以下正気の面々は頭を抱えたくなった。 (((・・・・やたらと可愛いんだよ・・・・!))) 心のうちで呻いた言葉が聞こえたわけではないだろうが、永倉と平助、斎藤は顔を見合わせて苦笑う。 「いーから、こっち来て水でも飲め。」 「はーい。」 つまらなさそうに返事をした鈴花が移動しようと立ち上がる。 ちょうどその時。 ザアァァァ 『!』 急に吹いた悪戯な春風に、一斉に桜の木が揺れた。 舞った桜の花弁はくるくると踊るように風にのり、青い空へ吹き上げられていく。 高く掲げられた「誠」の旗と戯れながら、遠くへ、遠くへ・・・・ 「・・・・きれいですねえ・・・・」 ほにゃっと緊張感のない声で言って鈴花は空へと手を伸ばした。 「私もあの桜の花弁みたいになりたいです。 風にのって、色んな花弁とふれ合って、高く、高く飛びたいです。」 幼子のような仕草をしながら鈴花の目は舞い上がる花弁を見つめていた。 その表情がもう、幼子のそれではないと皆知っている。 伸ばした腕が求めようとしているのは、彼女自身の夢か未来か。 それが決して楽には手に入らない事を知っていて、なおも足掻いて足掻いてここまで来た事をこの一年で皆知っていた。 それは同時に夢を、希望を、志を求めて京に上ってきた自分たちと重なって。 ふと、全員が顔を見合わせてくすりと笑った。 その声に鈴花は口をへの字に曲げる。 「あー、ばかにしてますね!?」 「違うって。馬鹿になんかしてないよ。たださ」 平助の視線を受けて、永倉がその後を引き継ぐ。 「おめえも良い男になったじゃねえかって思っただけよ。」 平時であれば「私は女です!」とでも噛み付いてきそうな台詞だったが、その言葉に秘められた意味に気が付いたのか、鈴花は微妙な表情で首を傾げた。 「う・・・・嬉しい、のか嬉しくないのか、複雑。」 「褒めているんですから、素直に受け取っておいたら如何です?それより、桜庭さん、あんまり上を見ていると眩暈がしませんか?」 「ふえ?・・・あ、れれれれ」 沖田に指摘された途端、足下がおぼつかなくなり傾く鈴花に、永倉と平助はぎょっとする。 が、素早く動いたのは斎藤だった。 よろけた鈴花の背を腕で支えるようにして抱き留めた。 「・・・・危ないぞ。」 「ありがと、ござい・・・ま・・・・・・・・・・すー・・・・」 「おい」 「くーーー・・・・・」 「寝ちゃってますねえ。」 またも笑いを堪えるように沖田言って、残る正気の面々は深くため息をついた。 まったく、どうにも彼女には振り回されているような気がしてならない、とは誰の心の声だったか。 「しょーがねえなあ。俺が屯所まで背負っていってやるよ。おい、一。貸してみな。」 「いえ・・・・俺が連れて行きます。」 「ええっ!?それなら俺が連れて行くよ!」 「平助じゃ背負えねえだろうが。」 「ちょっ!新八さん、それ聞き捨てならない!」 「・・・・沖田さん、何をしている。」 ぎゃーぎゃーと言い合いを始めようとしていた平助と永倉は、冷たい斎藤の声に慌ててそちらを向く。 と、斎藤の腕から零れた鈴花の手をしっかり握っている沖田がいて。 「えーっと、斎藤さんってばがっちり抱きしめすぎですよ。」 「あ、てめえ!抜け駆けしようとしやがったな!?」 「なんですか、永倉さんはしょうがないから背負っていくんでしょ?僕は是非、桜庭さんを屯所まで連れて帰りたいです。」 「なっ!?」 「それなら俺も!俺も!」 「・・・・・・」 「一!てめ、勝手に行こうとすんなっ!!」 「・・・・まったく、皆さん、騒がしいですね。しかたありません、ここは一番素面に近い僕が桜庭さんを連れて帰るのが理に適っています。」 「「「「原田(さん)が一番ダメだ!!」」」」 風が吹く。 春のうららかな陽に乗って賑やかな声と、暖かな風が。 ふわりふわりと舞った桜の花弁を手で掬うようにして、遠くからこの光景を見ていた山南と近藤は微笑み、土方は眉間に皺を一本刻んだ。 「あははっ、賑やかで楽しそうだなあ。なあ、トシ?」 「うるせえだけだろ。ったく、桜庭がいると思って油断したぜ。」 「いいじゃないか、土方君。みんな桜に酔っているだけだよ。」 「おっ、さすが山南さん。良いこというねえ。 それに、こういう方が良い句ができそうなんじゃねえか?なあ、豊玉宗匠?」 「ふん」 素っ気なく近藤の揶揄をいなしながら、それでも自然と口許に浮かんだ土方の笑みの横を桜の花弁が通り抜けていく。 『――・・・・というような事がありまして、後日偶然副長の発句帳を見る機会がございました。 相変わらずあまり上手とは申せませんような句が多かったのですが、一番新しい句だけは私 の心に残りました。 もし、この先、どんな事があっても新選組という場所にこんな日が在ったことをきっとこの句は 伝えてくれる事と思います。 照姫様にもそれが伝われば良いのですが。』 そう結ばれていた手紙の最後に書かれている句を読んで、照姫は微笑んだ。 ふわり、と淡い桜の花の香りがしたような気がした。 『 風光る 誠の旗に 花ごろも 豊玉宗匠 』 〜 終 〜 |