一人の少女の全ての始まり



―― 時は文久三年、卯月

異国船が現れて以来、不安定な情勢が続いているとはいえ春になれば咲き誇る桜花は今年も変わりなく咲き乱れる。

そんな京の都の片隅で、一人の娘が途方に暮れていた。

髪を短く切りそろえ、袴姿をしているせいで一見すると少年のようだが、何処か幼さを残す目鼻立ちは確かに少女のもの。

ただ、大きめの瞳には困惑の色が濃く、小さな唇から零れるのはため息に近い呟きではあるが。

「・・・・おかしいよね、なんでこんな所に出るの?」

こんなとこ、と少女に称されたのは神社の境内。

ざっと見回してみるに人影が見えないのは夕暮れに近い時刻のせいというよりも、大分寂れてしまっているせいと思われる。

「〜〜〜〜困ったなあ。なんとか今日中には壬生につかなくちゃいけないのに・・・・」

歩き疲れて境内の大きめの石に座っていた少女は、近くにあった荷物から一枚の紙を取り出した。

そこには簡素な地図らしき図が書かれている。

(・・・・この地図がそもそもの曲者なのよね。大体、三条大橋がどこかも描いてないなんて不親切すぎるじゃない!)

今更ながら八つ当たりのように地図を睨み付けて文句を付けてみるが、その不親切さの一端は自分のせいであると自覚もある。

なぜならこの地図をもらった時、少女は大変興奮していた。

それ故、詳しい説明も耳の右から左に抜けていた。

(だって・・・・しょうがないじゃない。長年の夢が叶うかも知れないっていう時に地図の説明なんて聞いていられないもの。)

そう、長年の夢。

絶対叶わないに近いと思っていた夢が叶う可能性があるのだ ―― この地図の場所にたどり着きさえすれば。

「たどり着かなきゃ何にもならないんだってばーーー!」

思わず少女 ―― 桜庭鈴花は叫んでしまったのだった。
















―― 『京でお前の夢が叶うかも知れませんよ』 ――

鈴花が江戸で仕えていた主、会津藩藩主の義姉、照姫にそう言われたのは三月ほど前の事だ。

「どういう事ですか?」

その時はまだ腰元の装束に身を包んで髪を結い上げていた鈴花がきょとんとして聞き返すと、美しい主はくすりと笑った。

「どういう事でございましょうか、と答えるのが正しいわね。」

「!も、申し訳ありません!」

「構いません。そなたは腰元仕えなどより剣を振るう方によほど才能があることはよく分かっていますよ。」

そういう照姫が本気で言っている事がわかるだけに、鈴花は困って平伏した。

「行儀作法をせっかく教えて頂いているのに、少しも身に付かなくて・・・・」

「ふふ、良いのですよ。それにこれからは行儀作法など構っていられなくなるでしょう。」

清廉とした美しい面に珍しく悪戯っぽい笑みを浮かべる主人に、鈴花は戸惑った。

「?どういうこ・・・・もしかして私の夢が叶うという事と繋がるんですか?」

「その通りです。桜庭鈴花。」

「!はい!」

急に改まった形で名前を呼ばれて、鈴花はさっと頭を垂れた。

その上に涼やかな声が告げる。

「そなた、壬生浪士組に入隊しなさい。」

「は・・・・え?」

耳にした言葉の内容に驚いて顔を上げた鈴花の目に、優しく微笑む照姫の姿が映る。

「壬生浪士組、と言いますと、先頃殿の預かりになったという・・・・?」

「そうです。元々は清川八郎について上京した浪士達の一部だったようですが、今では容保様の配下になっている、あの浪士組です。
そこでなら鈴花の夢が叶えられるかも知れないでしょう?」

鈴花の夢、それは・・・・剣で身を立てる事。

しかし女性の主な仕事は家庭を守り、夫に尽くすことであるこの時代においてその夢はあまりにも現実味がなくて、当の本人が大真面目でも誰も取り合ってくれなかった。

唯一人、目の前の主を除いては。

「・・・・照姫様・・・・」

「私も見てみたいのですよ。貴方がどこまでやれるのか。だから、必ず手紙を書いて。そして悔いのないように思い切り働いて見せてちょうだいね?」

「はいっ!!」

・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(・・・・ていって出てきたはずなのに)

京に入った途端、いきなり迷子。

「・・・はあああ」

深いため息と共に鈴花が地図を畳んだ、ちょうどその時

「どうしたのさ?」

かなり予想外に近くでした声に、鈴花はびくりと身体を跳ね上げた。

その弾みで手から地図が滑り落ちる。

「あ」

「あ、ごめん。」

地図を追った鈴花の視界に手が割り込んできた。

女性とは明らかに作りの違うしっかりとした手。

そして手に出来た固そうなタコには覚えがある。

剣を使う者の手だ。

思わずその手を追うように顔を上げた鈴花と、地図を拾い上げた手の持ち主と、ちょうど目があった。

(うわ、大きな目。)

一瞬そんな感想が頭を過ぎって、次の瞬間それは相当失礼な感想であることに気付く。

何故なら目の前にいたのは歴とした青年だったから。

もっともどことなし好奇心に彩られているような目は男性にしては大きいものだと言えるけれど。

ざんばらの髪に面白そうな表情を乗っけた青年は、にこっと笑って鈴花に拾った地図を差し出した。

「はい。驚かせてごめんね。」

「あ、どうも・・・・」

「いや、なんかあんまりにも大きなため息ついてる子がいるからさあ。」

そう言われて、鈴花は再び当初の悩みを思い出す。

「ちょっと・・・・その、道に迷ってしまって・・・・」

小さい子どもみたいだ、と言いずらそうに鈴花が言うと、青年は笑った。

その笑い声が、バカにしているようではなく心地よく耳に響いて鈴花は驚く。

「なんだ、迷子だったの。俺、てっきりものすごく深刻な事で悩んでるのかと思っちゃったよ。」

その言われ方にむっとして鈴花は青年を睨み付けた。

「なっ!し、深刻よ!どうしても日没までに着かなくちゃ、私の夢がなくなっちゃうかもしれないんだから!」

「へえ、夢?」

すっと細められた瞳に、鈴花はドキッとした。

何故か試されている様な気がしたのだ。

けれど、そんな事は気のせいだと思い直して言い返す。

「そう!この機会を逃したら一生叶わないかも知れないんだから。」

「そりゃ深刻だ。どんな夢なのさ?」

「私は剣で身を立てたいの。」

あまりにさりげなく聞かれて、あっさりと答えてしまった鈴花は、言った後にはっとした。

これまで散々馬鹿にされてきた夢だ。

腰元やら、女中やらの剣と関係のない人間にまで鼻で笑われるような理想を、実際に剣を履いている者に言ってしまった。

(ば、馬鹿にされる・・・・?)

びくびくしながら青年を見返した鈴花は、驚いてしまった。

青年は大きな目をキラキラと輝かせていたから。

「そんな夢を持ってるって事は、あんた強いの?」

「え?ええっと、それなりには。」

「実戦は?」

「まだないよ。」

「なーんだ。残念。それじゃまだ本当に強いとは言えないね。」

頭の後ろで腕を組んで青年が言った言葉に鈴花はムッとした。

「何よ。確かに実戦はまだしたことないけど、覚悟だけは人一倍もってるつもりなんだから。馬鹿にするなら相手になるわよ。」

挑戦的に鈴花が言った言葉に、青年は驚いたようにくりっと目を剥いた。

「あんたが?俺の相手に?本気で言ってんの?」

「なっ!」

あんまりな言い方に鈴花が言い返そうとした瞬間

「あはははっ!!」

弾けるように青年が笑い出した。

一瞬、今更ながら馬鹿にされたのかと思ったが、青年の笑い方はあまりに爽快で、鈴花は戸惑ってしまう。

そんな鈴花を横目に青年はひとしきり笑うと、鈴花に向き直ってにっこり笑った。

「あんた、面白いよ。」

「え?」

「面白い。実戦もしたことないのに、覚悟だけで俺に挑んでくる奴なんて初めて見た。」

「それは・・・・!」

言いかけた鈴花の言葉は途中で止まってしまった。

それまで明るい顔しかしなかった青年が、不意に真っ直ぐに鈴花の顔を見据えたから。

「あんたがこれから行くところは、良いことばかりの夢の国じゃないよ?」

まるで鈴花が向かう先を知っているかのような口ぶりに戸惑いながらも鈴花は頷いた。

「わかってる。」

「歓迎されないかも知れない。酷い扱いを受けるかも知れない。なにより、人を殺すことになるかもしれない。」

「承知の上よ。」

「それでも、行くんだね?」

鈴花は頷いた ―― 青年の瞳を真っ直ぐに見て。

僅かに二人の間に沈黙が流れる。

そして・・・・青年はにっと笑った。

「やっぱりあんた、面白いよ。桜庭鈴花さん。」

「え?」

名乗った覚えはないのにすんなりと自分の名前を呼ばれて、鈴花は驚いた。

しかし、その驚きも予想していたように青年は笑うとくるりと鈴花に背を向ける。

そして無造作に歩き出した。

「え?ちょっと・・・・」

置いて行かれるのかと慌てて声をかける鈴花に青年は肩越しに振り返ると、さも当たり前のように言った。

「なにしてんのさ。行くよ。」

「??」

「ああ、俺、名乗ってなかったっけ。」

鈴花がきょとんっとしているのを見て、青年はわざとらしくそう言った。

そして悪戯っぽく口の端を持ち上げて言った。
















「俺は壬生浪士組の藤堂平助。これからよろしく、鈴花さん。」
















「み・・・・ええーーーーーーー!!!??」

一瞬ぽかんっとして、継いで自分を指さして絶叫する鈴花に青年 ―― 平助はまた声を上げて笑ったのだった。

















―― 時は文久三年、卯月。

           桜の舞い散る京の町で鈴花の激動の時代が始まる・・・・





















                                            〜 終 〜











― あとがき ―
この話、超難産でした(- -;)
ただ鈴花と平助の出会いを捏造したかっただけなのに、私の鈴花に対する思い入れが強すぎたようです・・・。