『密偵として御陵衛士たちと共に行ってもらいたい』

・・・・土方さんからそう告げられた時、特に感慨もなく頷いた。

それが必要な事だと言われるなら、やるまでだと思った。

ただの仕事、ただそれだけ。

―― それを今更少し後悔した





























望月の美しい晩、斎藤一は一人縁側で杯を傾けていた。

名字を山口と変えただけという建前以外何物でもない方法で新選組に戻ってきてすでに数日。

最初は何事かと目をむいた隊士達も、語らずとも斎藤がどういう役目を負って御陵衛士たちと共に行動していたのか悟ったのか戻ってきた斎藤の存在を容認しつつある。

もっとも斎藤にしてみれば隊士達にどう思われようとさして関心もなかった。

恐れていたのは唯一人の反応であり、同時に他の気持に気を取られていた事もあった。

斎藤は音もなく杯を煽る。

強い酒が喉をやく感触も今は何とも感じない。

(・・・・月真院にいた頃、伊東さんと呑んだ事もあったな・・・・)

あの時の酒の味はどんなだっただろうと、ふと思い出す。
















何かの祝いだったか、御陵衛士が顔をそろえて呑んだ時、あの時も夜空にあったのは望月だった。

服部や藤堂は美味い肴で盛り上がり、他の者達も陽気に呑んだり笑っていた。

刀の話で思いの外斎藤と気があっていた篠原もあの日は酷く楽しげで、斎藤は相変わらず縁に近い場所で一人で呑んでいた。

御陵衛士として盛り上がるには自分の立場は複雑すぎて何となく混ざることが出来なかったのだ。

もっとも新選組にいた時分から騒ぎに混ざる方ではなかったから、それが幸いして誰も不審には思わなかったようだったが。

とにかく何となく端に寄って、大いに盛り上がっている男達を見ながら、ふと外に目をやれば煌々と輝く満月が映った。

闇の中にあってなお輝く月。

まぶしいのではなく、自然と目に染みこむようなその光りに会えなくなって久しい面影を重ねて斎藤は杯を傾けていた。

『会いたいですか?』

急に隣から問いかけられた声にはっとして振り返った先に、いつの間に来ていたのか伊東甲子太郎がいた。

『驚かせたら申し訳ない。ただ君が一人で呑んでいるのが見えたものだからね。』

とっさに何も答えられなかった斎藤にそう笑いかけて、伊東は身を乗り出すと夜空を仰いだ。

『ああ、美しい月だ。闇夜にのまれない、翳らない美しさ。強く、凛とした・・・・そう思いませんか?』

『・・・・・』

『私はこのような月を見ると、いつも思い出す人がいますよ。逆境でも劣勢でも前を見据えていて、それでいてどこか儚さや暖かさを秘めた、そんな人をね。』

『・・・・伊東さん。』

『斎藤君、人は光がないと生きてはいけないんです。』

月を見上げたままそう言う伊東の真意が分からず斎藤はただ黙って先を待った。

『そして光は人によって違う。私の光は『理想』です。山南さんに託され、私達が切望する『理想』。私には江戸に妻もいますが、彼女はその光を追っていく上で必要な人で光そのものではないのです。
そういう意味では私と近藤君はよく似ていましたね。』

そうかもしれない、と斎藤もまた思った。

近藤も伊東も日本という国の未来を左右する『理想』を追い求め続けている。

それは光に惹かれる虫のように。

そんな男達がこの動乱の日本にはおそらく数多いるのだろう。

『でも、君は違う。』

はっとして見上げれば伊東は静かな目で斎藤を見ていた。

『君の光は『理想』のような形のないものではないんですね。君の光はあの満月の気質を持つ・・・・』

『・・・・・・・・』

『斎藤君、人は光がないと生きてはいけない。だからこそ己の光を見つけたなら、けして手放してはいけません。』

『・・・・・・・・・』

なんと答えたらいいのか、今度はそれが分からず無言で伊東を見つめていると、ふとなにか思い出したように伊東はくすっと笑った。

『君の光は元気が良いから、きっと心配でしょう?・・・・手の中に護れる所へ、戻らなくてはいけませんね。』

『伊東さん・・・・!』

さすがに声に驚きが滲んだ。

それに気がついたのか、伊東は少し意外そうな顔で斎藤を見た後、ゆっくりと言った。

『新選組は大きな矛盾を抱えています。いずれそれは遠からず歪みを生み、飲み込まれていくでしょう。そしてきっと君と同じで義理堅い彼女はそこへ巻き込まれていく。だから君は手の中にその光を囲って消えないようにしてあげてください。
・・・・私も一生懸命に光っている彼女がとても好きでしたよ。』















伊東甲子太郎という人物は頭の切れる人間だった。

けれど同時に甘すぎるとも思った。

新選組の密偵だとわかっていたなら利用の仕方などいくらでもあっただろうに、斎藤一という人物を見て彼は無条件で裏切りを容認した。

斎藤が彼の『光』に添えないことを知っていたから。

やはり甘いと思う。

でもだからこそ、斎藤は斎藤の『光』の元へ帰ってきても少し後悔が残る。

相変わらず味のしない酒を喉に流し込んで、斎藤はため息をついた。

(・・・・俺はあなたの事も嫌いじゃなかったですよ。できるなら力になりたいとも思った。)

けれど、彼の言うとおり ――

不意に感じた人の気配に振り返ってみれば、廊下の奥から見知った姿が歩み寄ってくるところだった。

巡察に出ていたのか、夜も更けているというのにその姿は袴姿で、短く切った髪を跳ねさせながらやってくる。

斎藤とは正反対に意志の強そうな大きな目に、鼓動が一つ高鳴った。

「斎藤さん?」

男所帯で唯一人しか持ち得ない柔らかい声に問いかけられて、斎藤は短く「ああ」と答える。

「月見酒ですか?」

「そんなものだ。」

「隣、いいですか?」

「かまわない。」

短いやりとりをして隣に鈴花がちょこんと座る。

体温を感じるほど近くではないが、手の届く距離に鈴花がいる事に斎藤は酷く安心した。

それは暗闇に小さな灯りを見つけた時に似ているような気がして、斎藤は口元に笑みを刻む。

「・・・・桜庭」

「はい?なんですか?」

「伊東さんがお前のことを月のようだと言っていた。」

「ええ!?」

驚いた声を上げる鈴花を横目に斎藤は月を浮かべた酒を口へ運ぶ。

やっぱり美味いとは思えなかった。

後悔はした。

他に適任が居ないと言われて、あの仕事を引き受けた事を。

何も言わずに姿を消した斎藤に、彼らはどんな思いを抱いただろうと。

何も知らずにただ同士として共に新選組を離脱したのだとと信じていた篠原や藤堂達は。

何かを悟っていた伊東は。

その時、ぽつっと鈴花が呟いた。

「斎藤さん。」

「なんだ?」

「・・・・寂しいですね。」

「え・・・・」

「伊東さんも、篠原さんも、服部さんも、平助君もいなくなっちゃって、寂しいです。」

(・・・・ああ)

やっぱり、そうなのだと思う。

伊東の言っていたとおり、鈴花は『光』だと。

御陵衛士の者達を裏切って戻ってきて、友を裏切った後ろめたさに苛まれていても、それでもやはり鈴花の近くに戻ってこられた事に喜びを感じている自分が確かにいるのだと。

湧き上がった感情のままに、斎藤は鈴花の腕を掴んで引いた。

「わぁっ!?」

均衡を崩して転がり込んでくる鈴花の小さな体を逃がさないとばかりに斎藤は抱きしめる。

「さ、さ、さ、斎藤さんっ!?」

上擦った声もジタバタする僅かな抵抗も、確かに鈴花が居る証。

腕の中に『光』が輝いている証。

(伊東さん。あんたの言うとおり、これから新選組は厳しい状況に置かれていくだろう。)

それでも確かに斎藤は見つけたのだ、己の『光』を。

「桜庭」

どうしたらいいのか分からないと言う感じで暴れていた鈴花をそっと呼べば、驚いたように顔を上げてきた。

抱きしめているために至近距離になったその瞳に、心の何処かが騒ぐのを取りあえず無視して斎藤は囁いた。

「ただいま。」

「!おかえりなさい・・・・お疲れ様でした。」

―― 友を裏切った罪悪感は消えない。

信じてくれた者達の瞳を忘れることは出来ない。

それでも、彼らがそうしたようにこの腕の中で微笑む『光』を全力で護り追い求めようと、斎藤は密かに誓った。



















                                         〜 終 〜













― あとがき ―
恋華の斎藤さんは結構御陵衛士のメンバーが好きだったんじゃないかと思います。
でもやっぱり、鈴花ちゃんの側にいたかったのではないかなあと。