Epilogue
・・・・夢を見ていた。 何もないがらんとした部屋で、一人の女の子が泣いている。 見えるのは背中だけで。 けれど、酷く悲しんでいることが痛いほど伝わってきて。 その背中を見つめてやっぱり動けないまま野村は唇を噛んだ。 (・・・・死んでも結局この夢かよ。) この夢なら何度も見た。 結局何一つ言えぬままに、倫の背中だけ見つめているしかできないもどかしくて苦しい夢だ。 (でもどうせ逝くんなら・・・・) 野村はぐっと拳を握った。 現の彼女のためにできることはしたつもりだ。 だから、夢の中の倫にも最期には泣きやんで欲しかった。 『倫さん』 野村の声が繰り返されていた夢の空間にひびを入れる。 『もうすぐ戦も終わるから。そしたら君はきっと幸せになれるよ。・・・・相馬は良い奴だから、きっと倫さんを幸せにしてくれるさ。』 本当は、自分が幸せにしたかった・・・・という言葉はとうとう言えないまま。 言えなかった言葉のかわりに野村は思いを込めるように口を開いた。 『だから』 「―― 泣かないでくれよ」 「そ、そんなの無理に決まってるじゃないですか・・・・!」 返事が返ってきた。 (・・・!?返事!?) 先ほどまでのあやふやな物ではない、質感を持った声にぎょっとしたことで急速に野村の意識が展開する。 真冬にぬくぬくした布団を引っぺがされて覚醒するような勢いで開けた野村の目に最初に飛び込んできたのは、見たこともない木の天井と。 ―― 大粒の涙をこぼす倫の顔だった。 「え!?ちょっ、なんで泣いて・・・っつ!」 慌てて起きあがろうとした野村は、途端に走った激痛に身体を縮めた。 「!安静にしてなくちゃダメですよ!野村さん、死にかけてたんですから!」 ぎょっとしたように倫に支えられて元の位置に戻った野村は、倫が言った言葉に首を傾げた。 「死にかけてたって・・・・俺、生きてんの?」 「ど、どう見たって生きてます!!ついさっきまで死にそうでしたけど!!!」 涙で濡れた顔で怒ったようにそう言われて野村は初めて今の自分の状況を理解した。 「助けられたんだ、俺。」 意識を失う前、最後に聞いた庵の指示がそのまま実行されたのだろう。 「・・・・庵さんも余計なことしてくれるよなあ。」 ふう、と吐き出した息に乗せるような僅かな呟きだったが、それを聞いた途端に倫の目からまた一つ涙がこぼれ落ちて野村はぎょっとした。 「!?な、なんで泣くんだよ?」 「だ、だって・・・の、野村さんが死ぬ気満々とか・・・いう、から・・・・!」 「いや、だって・・・・」 正直、そうだったのだからしかたない。 思い返してみると、もしかしたら自分は相馬を助ける傍ら、自分が死ぬ場所も探していたのかも知れないと思える。 (幸せになってほしかったけど・・・・幸せに過ごしてるとこは見たくなかったし。) 偽らざる所のそれが本音。 倫には幸せになってほしかったけれど、相馬の隣で幸せそうに笑う倫は見たくなかった。 だから甲鉄艦の戦場で撃たれた時、これ以上ないぐらい最高の幕引きだと思ったのに。 ・・・・もっとも、生き残ってしまった今、目の前にいる倫にそんな事を言ったらものすごく怒られそうな気がして、野村には言葉を濁すことしかできなかった。 その沈黙をどうとったのか、倫はなんとか涙を拭って呟くように言った。 「・・・・ごめんなさい」 「?」 前触れもなく降ってきた謝罪に野村は倫を見上げた。 初めて見る角度の倫は、涙で赤くなった瞳のせいかとても幼く頼りなく見えた。 「ごめんなさい・・・・本当は私が生きていて欲しかったんです。会えなくなるのが嫌だったから・・・・」 酷く悲しげなその声に野村は僅かに苦笑した。 (そっか、こういう子だったっけ。) ふっと、新選組に入隊するために香久夜楼を出た時の事を思い出す。 あの時、「寂しい」と言ってくれた倫。 その言葉が相馬だけに向けられていたわけではないと知っている。 自分の周りの人間にとても心を砕いている倫だから、特別に心を寄せている相手でなくても傷ついたり悲しんだりする。 けれど、それが今の野村には少しだけ皮肉だった。 「助けてくれてありがとな。・・・・けど、俺がいなくたって倫さんは幸せになれると思うぜ。」 相馬がきっと、と心の中で付け足して呟いたのはほんの少しの恨み言のつもりだった。 が、その言葉を聞いた途端、倫の表情が強ばった。 「なれません。」 「え?」 「幸せになんかなれません。だって・・・・」 そう言って、倫の顔が苦しそうに歪む。 思わず野村の胸まで締め付けられたように痛むほどに苦しそうに。 そして両手を膝の上で握りしめるようにして倫は言った。 「野村さんが死んでしまったら、私はもう笑えません・・・・!」 ―― 後に思い出すに、この時の自分は恐ろしく間抜けな顔をしていたに違いないと野村は思う。 だが、今この瞬間、野村の頭は見事に真っ白だったのだからしかたない。 呆然とした、なんとも奇妙な沈黙の後に絞り出せた言葉が。 「・・・・俺?」 という言葉だったとしても。 「ほ、他に誰がいるんですか!」 心なしかうっすらと赤い頬をして倫が言うのを、相変わらず野村は呆然と見つめた。 ただ、鼓動だけが少しずつ少しずつ早くなる。 「ちょ、ちょっと待ってよ。俺?相馬じゃなくて?」 「?どうして肇さんが出てくるんですか?」 逆に訝しそうに聞かれてしまって野村は余計に混乱する頭の中をなんとか整理しようとする。 (相馬じゃなくて、俺?俺が死んだら?あ?それって?) ・・・・結局、うまく整理できない野村の様子に戸惑いながらも倫は言いたいことは言ってしまう事にしたらしい。 「野村さんがいなくなってから、私は上手く笑えないんです。 ・・・・ずっと会いたいって思っていて。会って野村さんが笑ってくれたなら、私も笑ってくれそうな気がしたから。 だから」 探していたのだ、と呟いた倫は酷く切なそうだった。 そして ―― 見たこともないほど、綺麗だった。 どくんっと心臓が大きく鳴る。 目の前に現れた答えがあまりにも意外すぎて、気がつけば野村は叫んでいた。 「倫さんって、俺のことが好きだったの!?」 「なっ!?」 ぎょっとしたのは倫の方だ。 倫にしてみればかなり一生懸命に告白したつもりなのに、なんでこんな心底驚いたような顔をされるのかわからない。 が、取りあえず顔に血が上った勢いで倫は叫んだ。 「お、大声で何を言ってるんですか!」 「え?違うの?」 途端に眉を寄せて不安そうな顔をされて、倫は口をパクパクさせてしまう。 「ちがっ・・・・!ちが、いませんけど!!」 「やっぱ、俺!?」 「だから、なんでそんなに驚くんですか!!」 病人相手という事をほとんど忘れて叫んだ倫が肩で息をしていると、野村が急に片手で目を覆った。 「?野村さん?」 「・・・・くっ・・は、ははははっ!」 「!?」 いきなり笑い出した野村に驚いて目を丸くしつつも、倫は自分の鼓動が心地よく跳ねるのを聞いた。 傷が痛むのか、時々「いてっ」と呟きながらそれでも笑う野村の笑顔は求めて止まなかったものそのもので。 急に涙が出そうになって倫は少しだけ俯いた。 その頬に野村がそっと手を伸ばす。 「?」 触れるか触れないかのうちに顔を上げた倫を野村は見つめた。 そして今も乾ききらない涙の跡をそっと指で拭った。 ・・・・それは、いつかの香久夜楼でも最期と思った瞬間もできなかった事。 たかだかその動作だけで呻いてしまいそうになるほど体は痛むけれど、そんな事は問題にならなかった。 (あー、いや。ちょっと問題あるかも。) 本当は力一杯抱きしめたい。 この瞬間が幻ではないんだと、倫を笑顔にできるのは自分だけなんだと実感したかった。 そうすれば、きょとんとしている彼女にも伝わっただろうと思う。 どれだけ、自分が彼女を想っているか。 今、どれだけ嬉しいやら恥ずかしいやらくすぐったいやらで叫び出したいほど・・・・幸せか。 けれど、残念ながら今は腕を動かすのが精一杯なので頬を拭ったついでに倫の袖を軽く引っ張る。 「?なんですか?」 「あのさ、耳貸してよ。」 「?」 不思議そうな顔で野村に向かって体を倒した倫の耳に、内緒話を囁くように野村はそっと言った。 「前言撤回するよ。君は俺がいないと幸せにはなれない。」 「え?」 驚いたように目を見開く倫に野村は笑った。 少年のようにからりとした ―― 倫の大好きな笑顔で。 「だって、俺以上に君を想った奴なんて絶対いないからさ。だから俺以上に君を幸せにできる奴なんていない・・・・だろ?」 そう言われてちょっと面食らった顔をした倫は、それでもすぐに大きく頷いた。 「はい!」 とても幸せそうな ―― 野村が求めていた顔で。 ―― 動乱の時代に小さな華が咲いた 世の風に翻弄され散りかかったその小さな華は 嵐を乗り越え、今、咲き誇る ―― 〜 終 〜 |