『倫さん、ちょっと付き合って欲しいところがあるのだが。』

『中村さん。いいですよ、私でよければ。』

『すまんな、野村君。稽古相手をしばし借り受けるぞ。』

『いーっすよ。いってらっっしゃい。』

『行ってきます。』

―― あんな顔、するんだ・・・・

その後、ちょうど通りがかったおこうが何か言っていた気がするけれど、生憎頭には入らなかった。















笑顔の種類















「野村さん、何ボーっとしてんの?」

珍しく仕事もなく道場に稽古をしにきた咲彦は、同じく道場に壁際にぼーっと立っていた野村に声をかけた。

「ん〜?別にボーっとなんかしてないぜ。」

「いや、してるって。」

ぼーっと返事を返されて咲彦は苦笑した。

それにしてもいつもは無駄に元気一杯な事が多い野村にしては随分珍しいな、と思いながら咲彦はその隣に並んだ。

何とはなしに幾人かの門人が組み手をしている道場を見回して、「あれ?」っと首を捻る。

「倫がいない。」

自分たちよりよほど練習熱心な倫の姿が見えないことに気が付いて咲彦は呟いた。

「さっき中村さんが来て出かけて行った。」

独り言のつもりだった呟きに意外な所から返事が来た。

返事を返した野村を見てみると、相変わらずぼけっとしたままだ。

「中村さんが?」

情報屋としての花柳館の常連でもある男の名に咲彦の眉間に皺が一本寄る。

(なんだよ、倫の奴。せっかく稽古つけてやろうかと思ったのにさあ。)

何となく面白くなくてぶすくれた咲彦の横で野村がぽつりと言った。

「・・・・あんな顔すんだなあ。」

「え?」

「いや、倫ちゃんがさ。」

咲彦に聞き返されたのが意外だったのか、野村は頬を掻いた。

「用事に付き合ってくれないかって中村さんに誘われた時の倫ちゃんが、なんか女の子っぽかったんだよな。はにかんでるっつうの?そんな感じで。」

野村の言葉に咲彦は納得した。

母親を知らないせいか甘えるのが下手な倫は自然と甘やかしてくれる大人の男に弱い。

特に中村のような優しさと厳しさを併せ持つような男には。

幼い頃からずっと共にいるだけに咲彦は野村が見たという倫のはにかんだ様子が目に浮かんで、いつものように ――

「「はあ・・・・」」

―― ついたため息は二重になった。

(・・・・・・・・・・・・・・・)

「!?」

一瞬遅れて理解がやってきて咲彦はぎょっとして野村を見てしまった。

「今、野村さんため息ついた!?」

「え?ついたけど、何かまずかったか?」

きょとんっとしたように聞き返されて咲彦が言葉に詰まる。

(まずいっていうか・・・・)

自分と同じため息が重なったと言うことは、もしかすると同じ事を考えていたのではないかと思わせる。

(声をかける前からボーっとしてたのも、まさか。)

「・・・・考えてみるとさ」

悶々としている咲彦に気づいていないのか、野村は独り言のように言った。

「倫ちゃんって俺以外の人には綺麗な顔するよな。相馬と話したりしてると大人っぽいし。」

また、はあ、と冴えないため息をつく野村を横目に咲彦は喉まで出かかった「違う」という言葉を飲み込んだ。

(違う、倫は他の人に対して大人っぽいんじゃなくて・・・・)

心の中に広がった苦い想いに咲彦は複雑な表情を浮かべた。

倫の事はずっと見てきた。

だから知ってる。

小さい頃から倫は落ち着いていて、冷静だから年より大人に見られる事がほとんどだった。

そう ――













―― 野村に呆れたり怒ったり笑ったりしているような、年相応の顔は見せなかった。















たぶん、倫自身に自覚もないし、この様子だと野村にもないのだろうけど。

ちょうどその時。

「只今戻りました。」

がらがらと道場の戸を開く音と共に声が聞こえて、野村と咲彦は同時に戸口を振り返る。

そしてちょうど入ってきた凛と中村と目があった。

その途端、倫が目を丸くした。

「野村さん!?なんでまだいるんですか!」

「へ?」

「へ、じゃありませんよ!おこうさんに買い物頼まれてたでしょ?」

「あー・・・・」

明らかに今思い出しました、という顔をする野村に倫は呆れたようにため息を一つ。

「野村さん・・・・」

「えーっと、今!今から行くとこだって!」

「結構量があったのに・・・・しょうがないですね。」

そう言って倫は今入ってきた戸口の方へ振り返った。

「行きますよ。」

「え?」

「お手伝いしますから、早く。」

肩越しに振り返って急かす倫に、ややあって野村はにかっと笑った。

「ありがとな!倫ちゃんは神様だぜ!」

「調子の良い時だけあがめないで下さい!」

口では厳しく言いながら、倫はクスクス笑う。

とても当たり前のように。

どこにも力の入っていない笑顔で。

「すみません、中村さん。すこし出てきます。」

「悪い、咲彦。おこうさん誤魔化しといてくれよな。」

口々にそう言いながら戸口を潜っていく野村と倫。

何か言い合うような声が暫く聞こえ、そして ――

「・・・・二人とも無自覚かよ。」

「手強いな。」

中村がそう称したのは、倫か野村か。

取りあえず咲彦は深く頷いたのだった。





















                                             〜 終 〜

















― あとがき ―
私の中での野村×倫のイメージはこんな感じです。
どこか張りつめている倫ちゃんを年相応にできるのは野村だけ、みたいな。