「鈴花ちゃん!次は簪見に行くわよ〜♪」 「ちょっ!?まだ行くんですか!?」 相変わらず楽しげな山崎の言葉に鈴花はぎょっとして叫んだ。 「あ〜ら、何?もう降参なの?」 面白くなさそうに山崎にそう言われ、鈴花は盛大に顔をしかめた。 「降参も何も、山崎さんが無理矢理連れてきたんじゃないですかーーー!!」 淡い邂逅 ―― そもそも発端は数刻前の事だった。 非番だった桜庭鈴花は何とはなしに庭の掃き掃除をしていた。 別に休みなのだから隊の雑用をすることもないのだが、出かけるのも部屋に居るのも気が乗らず結局気がつけば箒片手に庭にいた。 (・・・・なんだか屯所の中が静かな気がする。) しゃっと竹箒のたてる音を聞きながら鈴花は思った。 (それもそうか。御陵衛士の人達が離隊してまだ数日しかたってないんだっけ。) 御陵衛士という言葉を胸に思い浮かべた途端、ふっと脳裏をよぎった面影にちくり、と胸が痛んだ。 (静かなのも当たり前か。・・・・平助君がいないんだから。) 数日前まで鈴花は非番と言えば何かと平助と会っている事が多かった。 男所帯の新選組の中で一番鈴花が親しみを感じやすかった一人が平助であったという事もあるのだろう。 気がつけばなんとなく非番には平助と出かけたり、稽古をしたりしていて、いつしか平助の側にいるのが当たり前になっていたのに。 『俺はこの想いを抱いていける』 急に曇りのない声が蘇って鈴花の鼓動がトクッと鳴った。 そして鳴った後、締め付けられる。 (そう言えばここだったっけ。) ちょうど掃き掃除をしているこの庭で、ほんの数日前、平助と鈴花は想いを通じ合わせたのだ。 けれど同じ気持ちなら共にと言った平助の言葉を鈴花は拒絶した。 しゃっ 元から動いていなかったかのように自然に止まっていた手を鈴花は無理矢理動かした。 お互いに譲れない物があった、それは確かだ。 それをギリギリの所で貫くことができた自分には及第点を出してやりたい。 けれど同じくらい・・・・ (・・・・会いたい) ぎゅっと唇をかんで鈴花はただ箒を動かす。 会いたい会いたい会いたい・・・・側に。 しゃっしゃっ! まるで己の思考をかき消すように勢いよく鈴花が箒を動かした、ちょうどその時。 「それ、あんまりやってると庭がえぐれるわよ?」 「ひゃっ!?」 急に肩口で聞こえた声にぎょっとして鈴花は飛び退いた。 その途端ころころと笑う声がして、鈴花はその声の主を睨んだ。 「や、山崎さ〜ん?」 「ふふふ、ごめんごめん。あんたがあんまり良い反応するからさあ。驚いた?」 「驚きましたよ。」 これが他の人間であったなら己の剣士としての資質を疑う所だが、山崎相手なら仕方ないと鈴花はため息をついた。 何せ一見唯の派手なお姉さんにしか見えなくても山崎は新選組きっての監察方なのだから。 「それで、なにかご用ですか?」 多分姿を見かけて驚かされただけだろうと思いつつ聞き返した鈴花に、山崎は意外にもにっこりと笑った。 しかしその笑みを見た瞬間。 (え・・・・) なんだか嫌な予感がした。 そして悲しい事に人間は嫌な予感の方が的中率が高いもので。 「鈴花ちゃん!」 「は、はい?」 「買い物に行くわよ!」 「え?は、はあ?」 ずいっと乗り出すような勢いで言われて鈴花は目を白黒させてしまう。 「だって山崎さんは非番じゃ・・・・」 「ああん!トシちゃんみたいな事言っちゃいや。今日はね呉服屋で値引きがあるの。行かなくっちゃ女としてマズイわ。」 値引きだからと飛びつかなくては女ではないのか、そもそも山崎さんは女では・・・・と数々のつっこみが頭を駆け巡り果たしてどれから繰り出すべきか鈴花が迷った一瞬が命取りだった。 がしっ。 (よ、予想できすぎる展開。) 拘束された右手に鈴花は頬を引きつらせる。 そして彼女の予感通り。 「ツベコベ言わずにとっととついてらっしゃーい!」 「山崎さん!せめて箒は置かせて下さいっっっ!!」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「・・・・で、呉服屋から小間物屋、菓子屋、小間物屋、呉服屋。何軒目ですか!?」 「いやん、鈴花ちゃんこわ〜い。」 山崎の女顔負けの科にもめげずに鈴花はきりきりと眦をつり上げる。 「いや〜ん、じゃないです!もう、あっちこっち行くから目が回りそうじゃないですか!」 「ええ?そのぐらいじゃ女は磨けないわよ?」 「別に買い物だけが女を磨く為の手段じゃないでしょう?」 「ふふん・・・・でも、まあこの辺でいいかしら。」 「え?」 雑踏に紛れる程に小さな声で山崎が呟いた言葉の意味を鈴花が拾うより早く。 「しょうがないわねえ。じゃ、ちょっと待ってなさい。あそこの小間物屋に行ってくるから〜」 「あ!ちょっと山崎さ!」 走っているようには見えないのに、山崎はひらひらと派手な着物の袂を翻して雑踏の向こうの店へとあっという間に姿を消してしまった。 「ちょっと!・・・・って、相変わらず気まぐれなんだから。」 追いかけるべきかどうするべきか、一瞬迷って結局鈴花は諦めた。 はあ、と疲れたように息を吐いてしまったのも無理からぬ事だろう。 (待ってなさいって言ってたし、そのうち帰ってくるよね。) どちらにしろもういい加減に買い物のはしごは疲れた。 そう思ってせめて通行人の邪魔にならないようにと、鈴花はすぐ側の店の格子にに寄ってそっと寄りかかった。 不意に紙と墨の匂いがした。 (書物屋さんかな。) 振り返らずに何となくそう思う。 そしてぼんやりと鈴花は目の前の通りに視線を向けた。 政情不安とはいえ天子様のお膝元の京の町はそれなりに行き交う人々で賑わいを見せている。 町民風の者、二本差しの者、若い娘、年寄り、子ども・・・・。 無意識にその人混みの中に小柄でけれど隙のない動きをする青年の姿を捜している自分に気づいて鈴花は自嘲した。 (もう、どうしちゃったのよ、私。) まだたった数日しか離れていないのに。 (平助君が東下した時だって何日もいなかったじゃない。) けれど、あの時はしばらく待てば平助が帰ってくる事はわかっていた。 でも今ははっきりと先が見えない。 御陵衛士は友好的離脱だと強調して出て行ったけれど、新選組の中でも釈然としない者が多く不穏な空気は静かに増していくように感じる。 意識しないようにしようとしてもそれは鈴花の内に不安として降り積もっていく。 賑やかな往来の片隅に取り残されたような不思議な心細さに鈴花は僅かに唇をかんだ。 (平助君・・・・) 心の零れた名を細いため息に変えて鈴花がはき出そうとした ―― 時だった。 「おおい、藤堂君!」 どくん、と耳元で鼓動が鳴った。 (え・・・・?) 今の声には聞き覚えがある。 どこから、と鈴花が首を巡らせるより早く。 「俺はこっちの本を見てます。」 たった数日。 それだけしか聞いていなかったはずなのに、酷く懐かしい声に鈴花は打たれたように動けなくなった。 (平助君・・・・!) 間違いない、間違えるはずなどない。 喉の奥が熱くなって、それを堪えるようにぐっと息を飲み込んだ鈴花の背中側の格子がぎっと音を立てた。 (あ・・・・今、平助君が後ろに。) とっさに振り向きそうになった鈴花の耳に低く抑えた声が聞こえた。 「振り向かないで。」 「え・・・・?」 「篠原さんと一緒だから。見つかるとうるさいんだ。」 少し苦笑したような声。 振り向かずとも目に浮かぶその表情が懐かしくて・・・・酷く恋しくて。 振り向きたい気持ちを必死で堪えて鈴花はことさら明るめの声を出す。 「元気、だった?」 「何言ってんの。まだ数日だよ?」 「うん・・・・」 「・・・・元気だった。思うように動けなくて苛々することも多いけどさ。」 「うん」 「でも」 「うん?」 変わらぬ声が耳に心地よくてただ頷くだけだった鈴花は、僅かに言いよどんだ平助の言葉に首をかしげる。 格子越しにも迷った気配が伝わってきて。 「平助君?」 「・・・・会いたかった。」 ぽつり、と雑踏に紛れてしまいそうなほど小さな声に鈴花は初めて泣きそうな程の胸の痛みに表情をゆがめた。 (会いたかった・・・・私も。) 心の中に閉じ込めていた言葉が零れそうになる。 ・・・・けれど、それを言葉にした途端、自分の中で何かが崩れることを鈴花は無意識のうちに理解していた。 だから口にはできない言葉の代わりに、鈴花はそっと格子の隙間に手を入れる。 二寸もない隙間は指を入れるのが精一杯だったけれど、着物の端でもなんでもいい、少しでも平助に触れたかった。 けれどそれは意外にも着物ではなく、同じような感触にぶつかる。 「あ・・・・」 小さく声を漏らした鈴花の指を、平助の指がためらいがちに少し滑って。 「・・・・相変わらず細い指だよね。」 何がおかしいのか小さな笑い声と、優しい優しい声。 必死にのばしても手は入らない格子越しに、指が絡む。 触れたそこから、言葉にできない気持ちが伝わればいいと鈴花は心の底から願った。 会いたかった。 側にいたかった。 (・・・・大好き) 心の中だけで囁いて少しだけ指を強く絡めると、それを受け止めるように平助の指にも力が入った。 ―― できることならもう少しだけ、と望んだ淡い時間もすぐに終わりを告げる。 「鈴花ちゃーん?」 雑踏の向こうから山崎の声が聞こえた。 「藤堂君、ちょっとこっちに来てくれないか。」 書物屋の奥から篠原の声が聞こえる。 平助と鈴花はその声にまるで計ったように同時に、するり、と指を離した。 そして。 「―― こっちです!山崎さん!」 「今行きますよ。篠原さん。」 気配が離れていく。 すぐに人混みの向こうに山崎の姿を見つけて鈴花は笑いかけて、書物屋の格子窓を離れた。 ―― ほんの僅か残る頼りない平助の温度を、手の平で大切そうに包んで。 〜 終 〜 |