Tame event3 「すれ違い」



「君が新選組の敵となるなら、君も斬らなくてはならない!」

―― 天満屋で相馬と対峙した時、その瞳の冷たさに初めて理解した。

立場を定めた者達と未だ曖昧な自分とは、僅かな齟齬で斬り合う事になってしまうかも知れない関係なのだということに。

立場を定めた者達・・・・辰巳、陸奥、相馬、そして ――















屋根裏というものは大概にして埃っぽくて暗くて狭いと決まっている。

もちろん、花柳館の道場の天井裏も例に漏れずその中で倫は小さな箒片手に埃落としの作業に勤しんでいた。

普段であれば文句の一つも言いたくなるような面倒な作業ではあったが、今日は返ってこの掃除を言いつけてくれたおこうに感謝したいほど有り難かった。

(・・・・あまり考えずにすむから。)

何を、とは深追いせずに倫は黙々と箒を動かす。

―― 天満屋の事があった日から、3日が過ぎていた。

あの日から気を抜くと考えてしまうことがある。

最初のうちは稽古をして頭を空っぽにしようと思っていたが、あまりのひどさに庵に止められてしまったのだ。

そうなれば、何でも屋の仕事がなければ倫にすることはない。

することが無くなれば、いやがおうにも考えたくないと保留にしてきたことを思い出してしまう。

もしかしたら、考えさせることこそが庵の真意だったのかも知れないが、それが倫は怖かった。

だからおこうの言いつけてくれることなら何でもしたし、島原の女達の小さな使い走りまでとにかく何でもした。

それでも眠る前に床に入ればどうしても空白の時間が出来る。

使いの間の一瞬でも、いくら自分で思考を止めようとしても。

勝手に記憶が引きずり出されてくるのを止める術は倫にはなかった。

そして、その記憶はいつでも倫に向かって同じ現実を突きつける。

情報屋として立場を定めていない自分は、新選組の敵に回ることもあり得るのだという現実を。

今まで倫はその事を頭ではわかっているつもりでいた。

けれど、実際に相馬に剣を向けられた時、初めて肌で感じたのだ。

あの時、相馬の目に映っていたのは「花柳館の志月倫」という存在ではなく「敵」だったのだと。

そして・・・・その相馬の向こうに、倫は幻のもう一人を見た。

相馬と共に新選組を選んだ青年の姿を。

いつも笑っていて、やる気ばっかりある人で・・・・彼があの場にいたのなら、相馬と同じように倫に剣を向けただろうか。

―― ズキッ

胸が何かに突かれたように痛んで倫は首を振った。

(嫌・・・・考えたくない。)

自分の考えを振り払うように倫は箒を動かして機械的に天井裏の埃を道場へ落としていった。

「・・・・もう、いいかな。」

しばらく後、あらかた掃き終わった所で天井裏から道場に滑り降りた倫は、自分の手足を見て苦笑した。

手も足も見える着物は埃だらけで真っ黒だ。

さすがに天井裏ではいつくばって掃除なんてしていれば無理もない結果なのだが。

「どうしよう。まず着替えてこようかな。」

道場の床にはかなりの埃が散らばった状態だがこれからこの真っ黒な格好で雑巾がけやら掃き掃除やらをしている姿をおこうに見られるとまた女の子なのに!と怒られそうだ。

倫は手早く着替えることにして手水で手足だけ洗うと香久夜楼の自室へ向かった。

「あーあ、やっぱり真っ黒。」

自分の部屋で今まで着ていた着物を着物を脱いだ倫はその惨状にため息をついた。

前だけでなく背中もしっかり汚れている着物を取りあえず脇に避けて倫は手持ちの着物の中でも簡素な物に着替える。

これからまたあの道場の床につもった埃を掃除しなくてはいけないのだ。

はあ、とため息をついて倫は自室を出る。

そして廊下を歩き始めた時 ―― ふっと見てしまった。

辰巳の部屋の近く、一つだけ空いた空き部屋を。

かつて相馬と ―― 野村が暮らしていた部屋を。

ズキン、ズキン、と胸の真ん中が痛む。

それなのに倫の足は勝手にその空き部屋の方へ行ってしまう。

半開きになっていた襖を開けて、中に入って・・・・。

「・・・・誰も、いない。」

耳に届いた自分の声に、何を言っているんだと思った。

当たり前だ。

この部屋にいた二人は道を決めて出て行ったのだから。

長持ち一つ残っていないがらんどうの部屋が残されて当たり前なのだ。

それなのに。

「・・・・っ!」

力が抜けたように倫は部屋の真ん中に膝をついた。

胸が痛くて痛くて、その痛みを抱え込むように倫はうずくまる。

(この部屋は・・・・私だ。)

何一つ残してもらえずに、置いて行かれてしまった空っぽの部屋。

そして ―― ここに確かにあった面影ばかり抱え込んでしまっている。

ここに来れば会えた笑顔を。

いつでも倫を笑わせて、時々困らせて、当たり前のようにいた、その人を。

「・・・・ああ、そっか。」

ころり、と言葉がこぼれ落ちた。

答えが出てしまった。

あの天満屋事件の時、どうして刀を突きつけている相馬の後ろに彼の幻が見えたのか。

その事が、考えたくないと倫に思わせるほどの恐怖を与えたのか。

「なんだ・・・・私・・・・」















「好き、だったんだ・・・・」















野村利三郎という青年が。

自覚した途端に溢れるように野村の記憶があふれ出てきて倫は戸惑った。

やる気ばっかり空回っているところはあるけれど、真っ直ぐな物言いをして。

呑気で、雑巾がけが得意で。

いつも子どもみたいに笑っていた野村。

その笑顔が、今の倫にはたまらなく恋しかった。

「っ・・・く・・・・・・・」

気が付けばぽつりぽつりと畳に涙がこぼれていた。

(野村さんに会いたい・・・・)

会って、いつものように笑って欲しかった。

そうすれば倫も何事もなかったように笑うことが出来るとそう思った。

でも、今すぐに飛び出していきたくなる気持ちの反面で、未だに恐怖がこびり付いている。

もし会いに行って、相馬から話を聞いた野村に顔をしかめられてしまったら・・・・。

ぎゅっと胸の痛みが増して、知らず知らずに涙が頬を伝う。

どちらにしても道を選んだ野村と、いまだに選べぬ倫の間には確かな溝があることを、天満屋の時の相馬の刃が突きつけた。

(私も、馬鹿だよね。)

もっと早くか、もっと遅く気が付いていれば何か違っただろう。

けれど、あの刃を見てしまった後には闇雲に飛び込んでいくこともできない。

倫は涙でぐしゃぐしゃになった顔を不格好に歪めた。

「間が・・・・悪すぎ・・・・・」

好きだと思ってしまったから、疎まれるのが怖くて会いに行けない。

好きだと思ってしまったから、その笑顔が恋しくて恋しくてたまらない。

「・・・・っ!」

斬りつけるような切なさに倫は体を丸めて泣き続けた・・・・。
















「あら、野村君。もう帰るの?」

夕飯の支度の途中、廊下を通った人影を見つけたおこうは声をかけた。

びくっと野村が振り返る。

その野村の顔におこうはぎょっとした。

「ちょっと!どうしたの、その青い顔。」

「え、いや、なんでもないっす。」

「なんでもないって顔じゃないけど・・・・」

「なんでもないっすよ。ほんとに。」

どう見てもなんでもない様子ではなかったが、本人に言い張られてしまえばなんとも言いようが無くておこうは眉を寄せた。

「倫ちゃんと喧嘩でもしたの?」

「え?」

「上で会わなかった?」

「・・・・・・・・いえ」

呟いて、野村は軽く頭を振った。

「すいません、おこうさん。今日、俺が来たって倫さんには言わないでいてくれませんか。」

「え?」

「お願いします。」

「別にいいけれど・・・・」

「すいません、それじゃ。」

「あ!野村君・・・・」

言うだけ言ってさっさと門を出て行く野村を見送りながらおこうは小さくため息をついた。

「・・・・大丈夫かしら」

不安そうに発せられた言葉は答えるものもなく、廊下の薄闇に溶けて消えた。





















                                              〜 終 〜

















― あとがき ―
うっかり相馬×倫になりそうで軌道修正にめっちゃ苦労しました(汗)
もうお気づきかと思いますが、ここまでの野村捏造ルートのベースは相馬ルートです。
ここからは他ルートを交えつつな展開になる予定。