Expansion event4 「選択」



―― 慶応三年十二月

倒幕派が主となり、王政復古の大号令が発せられた。

これにより幕府は政治の主導権を朝廷に移乗することになり、第十六代将軍、徳川慶喜は京から大阪へと退いた。

それに従うように、新選組もまた京を退き伏見奉行所へと拠点を移すこととなる。

天満屋騒動からわずか数日。

時代の風は確実に新しい時代へ加速し始めていた・・・・
















「・・・さん・・・・・・野村さん!!前に段差が!!」

「!?」

突然耳に突っ込んできた声に、野村ははっと我に返った。

間一髪、階段一段分の段差の手前で踏みとどまることに成功した野村は、手の中の荷物を握りしめてほっと息を吐く。

運んでいるのが自分の荷物なら転んでぶちまけたところでなんと言うことはないのだが、今運んでいるのは副長、土方歳三の荷物だ。

(あ、危なかった〜)

こっそり胸をなで下ろして野村は気が付かせてくれた声の方を振り返った。

「ありがとうございました。桜庭さん。」

そう言われて後ろに立っていた桜庭鈴花はにこっと笑った。

自分も荷物運びの途中だったらしく布袋を抱えた鈴花は野村と並んで段差を降りる。

「実は私もまだこっちの勝手がわからなくて、しょっちゅう転んでるんですよ。」

「え?そうなんスか?」

「野村さんも気を付けないとダメですよ?」

暗に上の空だった事を指摘されて野村は苦笑した。

「すいません。」

「あ、謝るような事じゃないんです。・・・・でも、最近何か悩みでもあるんですか?」

ちょっと気遣うように鈴花にそう言われて野村は少し驚いた。

(他の人たちには何も言われなかったのに。)

確かにここのところの野村は普通とは言い難い状態だったが、隊務は問題なくこなしていたし、一人で考え込んでしまうのが嫌で暇さえあれば人と喋っていたから別段いつもと変わりなく見えていたはずだ。

さすがに相馬は何か言いたそうな顔をしていたことはあるが。

(まあ、でもなあ。)

相馬に関しては少し避けてしまったような所もあるからばれて当たり前かも知れない。

けれど、それに鈴花が気が付くとは思わなかった。

「桜庭さん、鋭いっすね。」

「え?そんなことないですよ。だって野村さん、ここのところ笑ってないでしょ?」

今度は野村は目を丸くした。

「俺、笑ってなかったっすか?」

「うーん、笑ってないというか、笑ってるんですけど笑ってない感じなんですよ。ほら、大石さんみたいな。」

「・・・・俺、そんなに鬼気迫ってました?」

脳裏に大石の殺気たっぷりの薄ら笑いが浮かんで野村が顔をしかめると鈴花が慌てて首を振った。

「ごめんなさい。ちょっと例えが悪かったです。なんていうか、普通に見えるんですけどすごく落ち込んでいるような感じがしたので。」

そう言われて野村はなるほど、と頷いた。

以前に永倉あたりが鈴花はよく気が付くと言っていたのはこういう事を含めてなのだろう。

荷物を抱えて歩きながら野村はふと思う。

この移ってきたばかりの伏見奉行所にはまだ慣れていないので正確な距離はわからないが、副長室までもうそんなに無いだろう。

それだけの間なら、少しだけ誰にも言うつもりの無かった弱音を吐いてもいいかもしれない、と。

もしかしたら誰かに聞いて欲しかっただけなのかもしれないが、気が付けば野村はぽつっと呟いていた。

「ふられちゃったんですよ、俺。」

「え?」

驚いたように鈴花がこっちを見たのはわかったが、野村は彼女の方は見ずにただ廊下の先だけを見て続けた。

「すげぇ好きな子がいたんですけどね。腕っ節が強くて、いつも冷静で、でも笑うとすごく可愛い子。」

そういえばこんな風に彼女のことを語るのは初めてだな、と思って僅かに口許が緩む。

けれど、不意に掠める映像がそのささやかな甘さを鋭く切り裂いた。

あの日、天満屋で相馬が倫に斬りかかったと聞いて心配になって花柳館へ出かけた時に見た、泣き崩れる倫の姿が。

「・・・・けど、彼女はどうも俺の親友が好きだったみたいで。」

酷く苦い物を口に入れたような気分になる。

香久夜楼の空き部屋、かつて相馬がいた部屋で泣いていた倫。

今まで一度も見たことがないほどその背中が小さくて、悲しそうで・・・・できるなら抱きしめたかった。

でも、気持ちは体中で暴れ回っているのに足はぴくりとも動かなかった。

倫が求めているのは自分じゃない。

・・・・結局、あの場でできたのは痛いほど拳を握りしめてそっと踵を返して去ることだけ。

それから落ち込んだり、悩んだり色々したけれど・・・・。

「それで」

「?」

静かな問いかけに野村は鈴花の方を見た。

てっきり心配そうな顔をされているかと思ったら、鈴花は少し切なそうな顔をしていた。

その表情で言われなくてもわかった。

(ああ、桜庭さんも好きな人がいるんだ。)

「それで、どうするか、もう野村さんは決めてるんでしょ?」

「!・・・・ほんとに鋭いっすね。」

鈴花の言葉に野村はちょっと引きつった笑いを浮かべた。

確かに決めている。

あの倫の姿を見てから、悲しさやら嫉妬やらでしばらく頭の中は真っ暗闇だった。

でも。

「悔しいんすけどね、俺の親友とその子はすっげぇお似合いなんですよ。二人とも落ち着いてて、強くて。」

あんな風に倫を泣かせたのが相馬なら相馬しかあの涙を止められないんだろう。

一瞬だけ、野村は目を閉じた。

そして次に開いた時には、何かを吹っ切ったように野村は笑って言った。

「けど、俺の親友の方は局長や副長のためならこの先どんな戦いにだって突っ込んでいっちまいそうだから。だから俺はあいつを守るって決めたんすよ。
あいつを、相馬を生きてあの子の所へ帰すために戦うって。」

この伏見の奉行所へ移転する事になったころから、戦局の悪化は肌で感じている。

この先にどれほど過酷な戦いがあるのか、想像も付かないがおそらくは厳しいものになるには違いない。

だからこそ、最前線で戦う事になるであろう相馬を守ろうと。

それが野村が考えた倫の為にできる最大限の事だった。

望むのは、倫の笑顔。

もう二度と倫があんな風に泣く所はみたくないから。

「片想いの自己満足っすけどね。」

小さく肩を竦めて野村は足を止めた。

いつの間にか、副長に部屋の前についていた。















―― 同じ頃。

京の片隅、島原の花柳館で門前の掃除をしていた倫はふっと顔を上げた。

まだ日が高く、花街である島原には人影はまばらだ。

もっともそれは時間の問題ではなく、情勢の問題かも知れない。

鳥羽伏見の方で幕府の勢力と薩摩・長州を筆頭とした勢力がにらみ合っているという話は風に乗ったように京の町に広がっていた。

明日火の粉が舞うか、明後日銃弾が飛んでくるか、と戦々恐々とした空気が京の街を包んでいた。

けれど、他の人間と同じように南の空を見上げた倫の心を支配するのは恐れでも、おびえでもなく焼け付くような切なさだった。

「・・・・・・・・」

箒の柄を握りしめて倫は重いため息をつく。

あの日、天満屋の事件があった後、野村への気持ちへ気が付いてしまった倫はそれから新選組を訪れることができなくなっていた。

野村の顔が見たい、会いたいと痛烈に感じていても、どうしても足が向けられなくて。

そうこうしているうちに新選組は伏見へ移ってしまったのだ。

情勢はどんどん幕府側に厳しくなりつつあるという事が庵の元に入る情報からわかれば、ますます焦りは増すしじっとしているのも辛いほどだったが、飛び出していく事もできなかった。

そもそも、何と言えばいいのかわからない。

ただ会いたいと、その気持ちだけ抱きしめて会いに行けば自ずと言葉など着いてくるのだと、そう思うには倫は恋を知らなすぎた。

気持ちばかり急いて、けれど行動に結びつかない事に倫は苛立っていた。

(野村さん・・・・)

きゅっと唇を噛んで倫は南の空を見つめる。

あの空の下で野村はどうしているのだろうか、と。

(きっと薩長の軍の情報も入っていて、この先の戦いが厳しくなるって知ってるよね。)

けれど、きっと野村も相馬もここで逃げ出すような真似は絶対にしないだろう。

例え局長が狙撃され大阪に退いていても、それならば土方を支えるために、と奮起する・・・・そんな二人だ。

(・・・・私は・・・・どうすればいいんだろう・・・・)

自分に問いかけて倫は深いため息をついた。

答えは、まだ出ていない。

野村への気持ちを自覚してから、少なからず新選組に入隊することも考えた。

だが、そのたびにちらつくのはいつか見た鈴花の姿だ。

信念をもった強い目をした鈴花の姿を思い出すたび、彼女のように何かを抱いて戦うつもりがなければ新選組という場所にはいられないのではないかと、そう思ってしまう。

「はあ・・・・」

何度目になるかわからない、重い重いため息を倫がついた時だった。

「倫」

花柳館側、つまり倫にとって背中側になる方から名前を呼ばれて倫は振り返った。

気配に聡い倫の背後をとれるような人物は限られているので、振り向いた先に庵がいたことにさして驚きはしなかったが、その姿に目を見張った。

「庵さん、その格好は・・・・」

「なんだ、似合わないか?」

あまり気にもしなさそうな様子でそう言ってきた庵は、倫が数えるほどしか見たことのない洋装だったのだ。

しかもその服に身を包んだ庵は、今までの何処か怠惰な感じのする雰囲気を脱ぎ捨てていた。

無意識に倫の身体に緊張が走る。

(庵さんは、何か始める気だ。)

何故だかそう感じた倫の前まで来て庵は倫を見下ろした。

「答えは出たのか?」

「え・・・・?」

「その様子ではまだか。」

一瞬何を言われたのかわからなかった倫の様子を答えととったのか、庵が呆れたように嘆息した。

「庵さん・・・・?」

「しかたがない。倫、お前は俺に着いてこい。」

「?どういうことですか?」

「俺は長州側に組することにした。」

簡潔な言葉に倫ははっと息を呑んだ。

(長州側ということは、倒幕側・・・・)

何とも言えずに自分を見つめてくる倫を見て庵は続けた。

「お前は好きにすればいいと思っていたがな。だが、そんな様子では置いていった所でろくな答えはでないだろう。だったら一緒に来い。」

「で、でも・・・・」

(倒幕側なら、新選組と・・・・野村さんと戦わなくちゃいけない。)

そんなことはとてもできそうにない。

僅かに身体を震わせた倫を見て再び庵はため息をついた。

そして珍しくすっと手を伸ばすと、倫の頭に軽く置いた。

「?」

「本来戦えないような奴を連れて行くような場所ではないが、しかたがない。お前に戦えとは言わん。」

「いいんですか?」

「しかたがない、と言っただろう?どうしてもここに残るというなら止めはしないが、新選組はいつまでも伏見にはいないぞ。」

「!」

庵の言葉に倫ははっと顔を上げた。

「どういう・・・・」

「次の戦、まず間違いなく薩長側が勝つ。そうなれば幕府側は敗走することになるだろう。当然、新選組もな。そうなればいくらお前が情報収集能力が高かろうと一新選組隊士の行方を追うことなど困難になるだろう。」

暗に自分のために戦況を知れる位置に置いてやろうと言う内容に倫は目を見張った。

その反応に庵は僅かに顔をしかめて呟いた。

「・・・・俺も甘くなったものだ。」

「庵さん・・・・」

喉の奥がつんっと痛くなって倫は咄嗟に顔を伏せた。

―― だから、見逃してしまった。

庵がとても優しい瞳で倫を見下ろしていたことを。

だが、次に倫が顔を上げた時、庵はすでに師匠たる彼の顔を被った後だった。

「庵さん。」

「なんだ」

「・・・・答えはまだ出ません。新選組・・・・肇さん達とも斬り合えそうにありません。―― でも」

言葉を切って倫は庵を真っ直ぐ見つめる。

心の奥にあるのは、いつも野村が見せてくれていた少年のような笑顔。

矛盾しているのは自分でもよく分かっているけれど、例え戦場でもいいから・・・・。

(会いたい・・・・っ)

「連れて行って下さい!あの人を・・・・まだ諦めたくないんです!」

一息に言い切って倫は大きく頭を下げた。

それに僅かに驚いたような顔をした庵だったが、噛み殺したような苦笑を浮かべて言った。

「いや、なんでもない。わかったからさっさと支度をしてこい。明日には伏見入りするぞ。」

「はい!」

頷いて倫は自分の僅かばかりの荷物を採りに行くべく香久夜楼へ駆けだしていく。

その背中を見送って、一人になった庵はほんの少しだけ口許に笑みを掃いて呟いた。

「・・・・似てきたな。」















―― 慶応四年一月

鳥羽で鳴り響いた一発の砲声をかわきりに、向き合っていた倒幕勢力と幕府勢力の戦闘が勃発した。

圧倒的な近代兵器の威力を誇る倒幕勢力側に幕府勢力はなすすべもなく淀へ撤退。

多くの仲間を失った新選組も大阪、そして江戸へと撤退する船上へと移っていくこととなる。

そして錦の御旗を得ることに成功し、一気に新政府としての地位を獲得した倒幕勢力側もまた江戸を押さえるべく東下の道へと進路を定めた。

京で始まったこの日本をひっくり返す大戦はこれより北へと移っていくことになる・・・・




















                                              〜 終 〜

















― あとがき ―
すっごい難産でした(- -;)
庵さんがちょっと甘すぎるかな、という気がしないでもないですが奴はお兄ちゃんなので(<意味不明)
ちなみに私的裏設定ですが庵→倫じゃないです。あくまでこの話における庵はお兄ちゃん。