Expansion event3 「一喜一憂」



うだるような暑さだった夏本番が過ぎ、そろそろ山から秋を感じさせる風が吹き降りてくる京の街を倫は一人で歩いていた。

庵から割り振られた賃仕事の帰りなのだが、予定していたよりもずっと早く終わったのでまだ日が高い。

(話に聞いていたより簡単な修理だったしね。)

今日の仕事は商家の天井に空いた穴の修理ということだったのだが、それほど大した大きさの穴でもなかったのでさっさと片づいてしまったのだ。

まあ、もちろん天井の構造をあっさり見抜いて脚立も使わず天井裏に入り込むような身軽さをもった倫でなければ半日はかかった作業だっただろうが。

(さて、どうしようかな。)

この後の予定は聞いていないから、賃仕事の方も情報収集の依頼も入ってないのだろう。

そう判断して町を歩きながら倫が道場に戻るかどうするか考えたちょうどその時。

「倫さーーん!!」

町の喧噪から飛び出してきた声に、倫は驚いて振り返った。

(今の声は。)

慌てて声の主を捜すように人混みに目をこらすと、大分向こう、小路二つ分ぐらい向こうで大きく手を振っている人影が。

「!あ、あそこから叫んだの・・・・?」

そんな遠くから呼ばれたとは思えないほどはっきり声が聞こえたと言うことはそれだけ大きな声だったというわけで。

途端に、倫は周りの人に見られているような感覚に慌てて声の主 ―― 相変わらず手を振っている野村利三郎に向けて走り出した。

「野村さん!」

「あ、やっぱり倫さんだった。」

大声で呼ばれた事への抗議のつもりで名前を呼んだ倫は、野村にそうきり返されて目をしばたかせた。

「やっぱりって、ちゃんと確認して呼んだわけじゃなかったんですか?」

「うん。だって遠すぎるでしょ。」

「それで人違いだったら・・・・」

「うーん、たぶん、俺、倫さんを見間違うことはないと思ったからさ。」

「え?」

さらっと言われて、倫はどきっとする。

しかしそんな倫の内心の動揺には気が付いていないのか野村は笑っていった。

「倫さん、姿勢良いしきりっと歩くから見つけやすいんだ。それにその格好だしね。」

「あ、ああ、そういう意味ですか。」

確かに他の町娘と同じような格好をしていない自覚のある倫は納得して、少しだけがっかりする。

(?なんでがっかり?)

「ところで倫さんは仕事の途中?」

「いえ、今終わって帰る所です。野村さんは?」

「俺は非番なんだ。じゃあ、一緒に飯でも食いにいかない?」

その誘い文句に倫は思わず吹き出した。

「え?なんで笑うんだよ?」

「い、いえ、以前に野村さんが花柳館にいたときにそうやって誘われると大概お金が無くてたかろうとしてる時だったなって思い出して。」

「あ、ひっでー。・・・・あー、否定はできないけど。」

「でしょ?」

倫がクスクス笑うと野村もつられたように笑った。

「けど、今は違うぜ?よし!今日は俺が奢る!」

「え!?そんな申し訳ないですよ。」

驚いて目を丸くする倫に野村は懐を叩いて見せる。

「任せとけって!行こうぜ。」

「あ、野村さん!」

先だって歩きだす野村を追いかけて歩き出しながら、倫は妙に自分の心が浮き立っている事に気が付いた。

(?野村さんが奢ってくれるなんて珍しいからかな?)

・・・・この場に陸奥か辰巳でもいれば「そんなわけねえだろ!」と豪快に突っ込んでくれただろうが、生憎倫の心中にツッコミをいれてくれる人はいなかった。















「あー、美味かった!」

「ですね。ごちそうさまでした。」

野村お薦めという料理屋で昼ご飯を食べた後、倫と野村は川縁に来ていた。

陽ざしは暑いぐらいだが、時折吹く風が心地良い。

どちらからともなく野村と倫は河原に腰を下ろす。

キラキラと光を反射する水面を見ているうちに倫が思い出したように笑った。

「?どうかした?」

「いえ、ちょっと思い出してしまって。去年の今頃、確か野村さん、びしょぬれで帰ってきたことありましたよね。」

「ああ、あったあった。」

自分もその時の事を思い出したのか、野村もははっと笑った。

「あれだろ?喧嘩に巻き込まれて鴨川に落ちて。」

「お団子を山ほどもらってきたんですよね。」

「せっかく体はって手に入れた団子だったから、君だけにわけてあげようかと思ったのに結局あの後、辰巳さんやら咲彦くんにも食べられたんだよな。」

「だってあの量じゃ二人じゃ食べ切れませんでしたから。食べきったら夕飯が入らなくなっておこうさんのカミナリが落ちる所でしたよ。」

「はは。そっか。それならよかったのか。けど懐かしいなあ。もう一年経つのか。」

そう言って目を細める野村に、倫も頷く。

「そうですね。あの時はまさか肇さんと野村さんが新選組に入るなんて思ってもみませんでした。」

「うん、俺も思ってなかった。」

野村らしい切り返しに倫は口許で微笑んだ。

「あの頃の野村さんは格好良いこと言うのに、肇さんをからかったりお金がなくて咲彦君にたかったりしてましたもんね。」

「うわ、きついな〜。まあ、そうだったけどさ。」

冗談ぽく肩を竦めた野村に倫はふっと思いついて口を開いた。

「そう言えばあの頃、私がどうして京に来たのかって聞いたのを覚えてます?」

「え?うーん、聞かれたっけ?」

「聞きました。その時、野村さんは「納得できる生き様を求めて」って答えたんです。」

そう言って倫は少し目を細める。

本人はあまり覚えていないようだけれど、倫は良く覚えている。

野村があまりに勢いだけで京に出てきたように見えたから(何せ最初は無一文で妓楼でつかまったぐらいだ)何が目的なのか一度聞いてみたいと思っていたのだ。

そしてその問いをそのままぶつけた倫に、野村は少しだけ神妙な顔をして言ったのだ。

『一言で言えば納得できる生き様、かな』

納得できる生き様 ―― 幼い頃から庵が、また倫の夢の中の女性が繰り返す『強く生きろ』という言葉に悩んでいた倫はこの一言に少なからず心が揺れた。

強く生きようとするのは難しい。

けれど自分自身が納得できる道を歩むことができればそれは『強く生きる』事になるのではないか、と。

答えとまではいかなかったが、それは確かに倫の心に刻まれた言葉だった。

だから、新選組という道を選んだ野村に不意に聞いてみたくなったのだ。

「野村さんは、納得できる生き様を見つけたんですか?」

そうだ、という肯定を期待していた。

しかし。

「どうかなあ」


野村が言った一言は肯定でも否定でもないものだった。

倫が不思議そうに眉を寄せるのを横目に野村は大きく伸びをすると草むらに寝っ転がる。

「納得できる生き様ってのはさ、俺にとっては1つじゃないんだ。新選組は確かに道だよ。俺は局長と副長の為に何でもできるって思うし、それだけの器をあの人達は見せてくれる。
だからあの人達についていくのも、俺の納得できる生き様の一つだぜ?
でも例えば」

そこで言葉を切って野村は倫を見上げるとにっと笑って見せた。

「好きな子を最後まで守って守って守り抜いてみせる、とかそんなのでも俺は納得できると思うんだ。」

どくんっと倫は心臓が掴まれたような気がした。

いくら恋愛ごとに鈍い鈍いと言われる倫でも今の野村の表情を見ていればわかった。

(・・・・野村さん、好きな人がいるんだ。)

命をかけても守りたいと思うような人が。

ずきん。

(あ、れ?)

不意に胸が痛んで倫は慌てて野村から顔を背けた。

(なんで・・・・)

いつも何も考えていなかったような野村に好きな人がいたというのは確かに驚きだった。

けれど、それだけにしては妙に気分が重くなるのを止められなくて倫は戸惑う。

少し俯くように川面を見つめる倫を不審に思ったのか野村が倫を覗きこんできた。

「倫さん?」

「え!?あ、な、なんでもありません!」

下から見上げられるような視線に、心臓が飛び跳ねて倫は慌てて顔をそらしてしまった。

その反応が面白かったのか、野村は声を上げて笑う。

「相変わらず面白いな、倫さん。」

「え?お、面白いですか?」

キツイとか、愛想がないと言われたことは多々あれど、面白いなどと言われた記憶は全然ない倫はその言葉にきょとんっとしてしまう。

けれど、野村は変わらず楽しそう名様子のまま頷いて見せた。

「何か考え込んでる時に声かけると驚き方がおもちゃみたいだよ。結構表情も変わるし。」

「そう、ですか?」

「うん。」

躊躇いもせずに頷く野村に倫の顔が自然と緩む。

面白い、というのが一般的に女の子が言われて嬉しい褒め言葉なのかはよく分からなかったが、今の倫にはとても嬉しかった。

何故だか、とても嬉しかったのだ。

「野村さん」

「ん?」

「野村さんも相変わらずで、私も嬉しいです。」

「え?相変わらずって何が相変わらず?」

「相変わらず、です。」

謎かけのようにそう言って、倫はにっこり笑った。
















―― それから一刻ほど。

とりとめもなく河原で喋って、町を歩きながら喋って、気が付けば不動村の新選組の屯所まで二人は戻ってきていた。

「あ・・・・」

町並みの間から見慣れた屯所の建物が見えた時、思わず倫は呟いてしまった。

その呟きに自分では思っても見なかったほど残念そうな響きがあって、倫は驚いたが幸いな事に野村も同じような気分でいてくれたらしい。

「着いちゃったな。」

「そうですね。」

「あーあ、これが夜なら危ないから送ってくとか言って島原までいけるんだけど。」

「そんな事したら切腹ですよ?」

新選組の厳しい局中法度の事を揶揄して倫が苦笑すると野村も肩を竦めた。

「まあね。副長はすげえ人なんだけど、すげえ怖いのが玉に傷かな。」

「の、野村さん。」

誰かに聞かれたら怒られるんじゃないかと倫が焦ったその時。

「良い度胸ですね、野村さん。」

耳を打った声に二人は同時に振り返った。

そして。

「桜庭さん!」

―― っ

二人の後ろに立っていた女性、新選組唯一の女性隊士、桜庭鈴花に慌てたように駆け寄っていく野村の姿を倫は見ていた。

正確には、動けなかった。

何故か足が動かなかったのだ。

別に鈴花とは友達と呼んで差し支えないぐらいには仲良くしてもらっているというのに、声をかけるのが何故だか躊躇われて。

「?」

眉を寄せて立ちつくす倫の前で、野村が鈴花に何か弁解めいた事を言って鈴花が笑っている。

その光景に、ちくりと胸が痛んだ。

「あ、あの!」

「?」

「どうしたの、倫さん。」

思いの外大きくなった声に野村と鈴花が驚いたように倫の方を向いた。

その視線を受け止めることができず、少しだけ伏せて倫は早口に言った。

「私、もう帰ります。」

「え?お茶でも飲んでいかない?」

「そうだぜ、倫さん。桜庭さんの入れてくれるお茶はうまいから・・・・」

ちくちく。

「ちょっと用事を思い出しましたから。それじゃ!」

それだけ言って倫は逃げるように歩き出した。

後ろで野村が呼び止めてくれていた気もしたけれど、一生懸命耳を塞いで前だけ向いて倫は歩いた。

・・・・そうでもしなければ、馬鹿な事を聞いてしまいそうだったから。

(・・・・鈴花さん、なんですか?)

男所帯の新選組で自分の夢と目標のために手を汚すことも厭わず剣を振る鈴花。

その姿は倫にとっては一種の憧れだった。

強く美しく咲く一輪の華、そんな風情のある鈴花は河原で野村の言っていた言葉に重なるような気がした。

ちくちく。

痛む胸が何かを訴える。

しかし、今の倫にはそれが何なのか、分からずただその痛みを振り払うように気が付けば島原へ向けて走り出していた。






















                                             〜 終 〜



















― あとがき ―
倫ちゃんは無自覚ですから(^^;)