Expansion event2 「たぶん、そういうこと」
最近、どうも調子が悪い。 野村がそう思ったのは、新選組に入隊してから一月ほどたった頃だった。 別に隊務が特別厳しいとか、新選組に入って人間関係が上手くいかないとかそういう事ではない。 隊務に関しては新選組に入る時に覚悟を決めていたから思ったよりはきつくないと思ったほどだし、親友の相馬と隊は違ってしまったが人間関係は至って良好だ。 それなのに ―― 最近、ふとした瞬間に何かを探しているような気がするのだ。 屯所の中を歩いている時、食事をしている時、洗濯をしている時、特に道場にいる時が酷い。 無意識に視線が泳いで、けれど目的の『何か』が見つけられずに我に返る。 そして我に返るとその『何か』を見つけられなかった残念さに、ため息をついてしまうのだ。 『何か』が何なのかすらわからないのに。 (俺、どうかしてんのかな。) 今日も今日とて、非番を良いことに縁側でぼけっと空を見上げて野村はため息をついた。 と。 「・・・・似合わないな。」 突然聞き慣れた声が耳に入って野村ははっとして視線を空から地上に戻した。 途端に飛び込んでくるのは、やや意外そうな相馬の顔。 「相馬。お前も非番なのか?」 「いいや。俺は休憩だ。」 「そっか。」 「それにしても」 残念そうに頷いた野村の横に座りながら相馬は言った。 「お前ほどため息が似合わない男もいないな。」 「ええ?それってひどくねえ?俺だって悩んだりぐらいするさ。」 「・・・・そうだったのか?」 「何、その今知ったみたいな顔は?」 「いや、今知った。」 さくっとそう言われて野村は盛大に顔をしかめる。 「あのなあ、お前、俺が何も考えてない奴だとでも思ってるわけ?」 「そこまでは・・・・じゃあ、お前は今何か悩んでいたのか?」 なんだか誤魔化された気もするが、一瞬忘れていた事を思い出さされて野村は「あー」と呟いた。 「悩んでた、といえば悩んでた。」 「?なんだそれは。」 「なんつーか、何で悩んでんだか悩んでたんだ。」 「・・・・・・」 無言の相馬を見ないように野村は視線をそらした。 なにせ、言ってみて自分でものすごくバカな事を言っているような気がしてしまったのだから、相馬が聞けば間違いなくバカな事を知っているようにしか聞こえなかっただろうから。 (しょうがないだろ!実際、何で悩んでんだかわからなくて、悩んでんだから。) 再び野村がため息をつきそうになってしまった時、相馬が不意に立ち上がった。 「相馬?」 「休憩は終わりだ。野村。」 「?なんだよ?」 また何かバカにされるのかと身構えて立ち上がった相馬の背を見た野村に相馬はちょっと振り返って言った。 「お前、今日は非番なら花柳館でも顔を出してきたらどうだ?」 「は?」 「じゃあな。」 言うだけ言って立ち去っていく相馬を見送って、野村はちょっと首を捻った。 「花柳館か。」 考えてみればこの一月ちょっと、一度もあの場所に足を運んでいない。 (そう言えば倫さんと約束したのにな。) 『私、絶対会いに行きますから、二人も忘れずに来て下さいね!』 一月前に聞いた倫の声が蘇って野村は立ち上がった。 (会いに来てくれるって言ってたのに来てくれないじゃないか、くらいの恨み言でも言いに行くか。) そうと決めて外出許可を取るべく歩き出した野村は、自分の足取りが軽くなっている事に気が付いていなかった。 一月ぶりの花柳館は思ったより静かだった。 花街の本番は夜からなので町も落ち着いているし、今日は稽古もしていないのか道場からも人の気配はしない。 「ちわーっす!」 こんなに静かな所だっただろうかと僅かな違和感を感じながら野村は威勢良く花柳館の戸をくぐって声を上げた。 「はーい。」 すぐに明るい声とともに奥から現れたのはおこうだった。 そして玄関にたつ野村の姿に驚いた顔をした。 「あら、野村さん!?」 「お久しぶりっす。」 「お久しぶりじゃないわよ、もう。新選組に行ったきり顔も見せないんだから!」 怒った風をしながらにこにこ笑っているおこうに、ちょっと照れくさくなって野村は頭を掻いた。 「へへ、すいません。つい、あっちでの仕事に夢中になっちゃって。」 「しょうがないわねえ。でも、残念だわ。今日みんなでかけちゃってるのよ。」 「あ、そうっすか。」 努めて何気ないように答えたものの、思い切りがっかりしてしまった。 (そっか、いないのか。) 思わずため息をつきそうになって・・・・あれ、と野村は内心首を傾げた。 (この感じ・・・・) 『何か』を探して見つけられない、あの感じと同じような気がする。 だとしたらその『何か』は・・・・。 「本当に残念だわ。倫ちゃんがずっと待ってたのに。」 思考を遮ったおこうの言葉に、どきっと野村の心臓が跳ねた。 「倫さんが?」 「そうよ。野村さんも相馬さんも遊びに来るってあの子に言ったんでしょ?だからあの子ずっと待ってたのよ。」 その時の倫の様子でも思い出したのか、おこうはふふっと笑って続けた。 「道場で稽古を付けてたり、私の家事を手伝ってたりする時も玄関で声がすると飛んで出て行って。貴方達じゃないってわかると素直にガッカリしちゃうもんだから、一度陸奥さんとケンカになってたわよ。」 「そ、そうなんすか。」 相づちを打ちながら、野村は自分の中から湧き上がってくる感情に戸惑った。 (待っててくれたんだ。) 自分たちが隊務に必死で花柳館の事を思い出さなかった間も、倫は二人の事を思って待っていてくれた。 しかも他の人だとガッカリする程に、自分たちだけ。 (・・・・なんだろ、すっげーくすぐったい。) 嬉しいような恥ずかしいような、何とも言えないフワフワしたものに野村がにやけそうになったちょうどその時。 かたんっと背中の方で音がして。 「あら、早かったわね。お帰りなさい。倫ちゃん。」 野村を通り越して後ろを見たおこうがそう言うのを聞いた瞬間、ぱっと振り返っていた。 そしてそこに。 目をまん丸くして立っている倫の姿を見つけて。 ―― 自分が『何を』探していたのか知った 「野村さん・・・・?」 久しぶりに倫の声で紡がれる自分の名前に鼓動が跳ね上がる。 「え?あ、えっと、あー、久しぶり?」 慌てて不格好に野村が発した言葉を聞いた途端、倫がぱっと笑った。 花が咲くように、という表現がぴったりきそうなほど嬉しそうに。 「っ」 「あら。」 思わずその笑みに言葉を失った野村の後ろで、おこうが笑ったような声がした。 「よかったわね、倫ちゃん。」 「え?おこうさん?な、何言ってるんですか!」 「別になんでも。さ、お茶でも煎れるから野村さんも上がっていってくださいな。」 「え!?あ、はい!」 ちょっと意識が飛びぎみだった野村が慌てて返事をするとおこうはクスクス笑いながら再び奥に引っ込んでしまった。 残されたのは玄関先に突っ立った野村と倫。 「やっと来てくれたんですね。」 顔を見合わせた倫にそう言われて野村はバツが悪くなって苦笑した。 「ごめん。」 「え!?いえ、そんな謝ってもらうような事じゃないんです。」 「でも待っててくれたんだろ?」 「!おこうさんですね?」 ぱっと顔を赤くする倫に思わず野村の口許が緩む。 (かわいいなあ。) なんでこんな倫の事を新選組に入ったばかりとはいえ一月も忘れていられたのかと思う。 「別にすごく待ってたってわけじゃないんですからね。あ、でも来て欲しかったのは本当なんですけど・・・・。でも、その・・・・って、野村さん、聞いてます?」 「うん、聞いてる聞いてる。」 恨みがましい目で睨まれても全然怖くない。 (顔、赤いし。) ・・・・もしかしたら、忘れていたわけではなくてしまい込んでいただけかも知れない。 倫の事を思い出してしまえばきっと会いたくなってしょうがなかっただろうから。 けれど、もうしまっていた想いを見つけてしまった。 だから。 「最初だったから忙しかったけど、これからはちょくちょく顔だすよ。相馬も連れてさ。」 「本当ですか?」 「ああ。だから倫さんも会いに来るといいよ。」 「え、でも新選組のお仕事の邪魔になっちゃいけないし・・・・」 曇った倫の表情で彼女がそう思ってこの一月、会いにこなかったのだという事を悟って野村は笑った。 「平気、平気。待ってるからさ。」 「それじゃ・・・・行っちゃいますよ?」 「いいって。今度は俺たちが待つよ。」 「それは嫌です!ちゃんとこっちにも来て下さいよ!」 「はいはい。」 「二人ともー?何やってるの?お茶さめちゃうわよ!」 奥から聞こえたおこうの声に、野村と倫は顔を見合わせて、それからどちらからともなく笑ったのだった。 ―― 華が咲く 激動の時代に押し流されそうなほど、小さな小さな・・・・華が 〜 終 〜 |