夕陽が笑う、君も笑う
「・・・・緋色は苦手。」 ぽつり、と望美の唇からこぼれ落ちた言葉にヒノエは横目で彼女を見た。 目の前に広がる三段壁から望む夕焼けを見ているようで、何処か遠くを見ている少女。 さっきまでヒノエおすすめの風景に歓声を上げていた望美とは別人のように見える。 潮騒と、遠くに聞こえる仲間達のざわめきに消されそうなほどに微かだった呟きをヒノエは繰り返した。 「緋色は苦手?」 「・・・・うん」 頷いて、望美は僅かに苦笑した。 その表情が常にない、本当に苦々しそうなものだったからヒノエは眉を寄せた。 そんな顔で、そんな風に語られて心穏やかでいられるはずもない。 だって視界の隅に映っている自分の髪の色は、夕焼けに負けるとも劣らない鮮やかな ―― 緋色。 「それは、残念。」 「え?」 「オレは緋色が好きだからね。髪の色もそうだし、魔も祓う。」 わざと茶化すようにそう言うと、望美は困ったように少し笑った。 「違うの、嫌いなわけじゃないよ。でも・・・・」 「苦手?」 「そう。だって」 そこで中途半端に言葉を切って望美は沈みゆく夕陽に目を移して呟いた。 「緋色はいろんなものを奪うから。」 「・・・・」 珍しく、ヒノエは何も言わなかった・・・・否、言えなかった。 『緋色』が何かの比喩であることぐらいは容易にわかったが、望美の脳裏に浮かんでいるのが何なのかわからなかったからだ。 こんな時、ヒノエは酷い違和感に苛まれる。 春の六波羅で望美に出会った時から、時折感じる違和感。 望美と常に行動を共にしてきた譲は、自分たちは至って平和な世界から突然この京へ来たと言っていた。 その『至って平和な世界』がどの程度の物なのかはわからないが、譲の様子を見ていればそれがどれほど呑気で幸せであったかわかる。 だから譲に対して違和感を感じたことはない。 ―― しかし、望美は違う。 今のように語る時、今のような瞳をする時、見据える先には平和な世界にはけして存在してはならない絶望に近い何かがあるような気がするのだ。 普段は笑って、仲間達に微塵も悟らせはしない心の奥底の何処かに隠した何か。 それを感じるたび、ヒノエは強い違和感を感じ・・・・そして苛立つ。 いつまでたっても、どんなに言葉を交わしても、望美をつかめない ―― 手に入れることが出来ないと見せつけられているようで。 今もまたその思いを何でもない物わかりの良い『いつものヒノエ』の顔の下隠している事など気づきもしないのか、望美は視線をヒノエに戻すことなく続けた。 「緋色はいろんなものを奪う。大切な人、命、可能性、希望・・・・」 (それは奪われて良い物じゃない。平和な世界で奪われるはずのないモノだろ?) じゃあ一体どこで? そんなぶつけることの出来ない疑問を胸に燻らせたヒノエの前で、望美が振り返った。 長い髪をさらっと揺らして。 苦手だと言った緋色の真ん中で、振り返ってヒノエを見つめる。 ―― どくんっ、と鼓動が聞こえた。 「・・・・それに、心」 望美の唇が言葉を形作るのを、ヒノエは馬鹿みたいに見つめていた。 『緋色』が何かの比喩であることぐらい容易にわかった。 でも、今の言葉で思考を止められたヒノエにはどうにも上手く考えがまとまらない。 ―― 緋色は、炎の色 ―― 緋色は、血の色 ―― 緋色は、夕陽の色 ―― そして緋色は・・・・ヒノエの色 「のぞ・・・み・・・・?」 女性の名前を呼ぶのに声が掠れたのは初めてだった。 そんなヒノエの心中を知ってか知らずか、望美は口元を勝ち気そうに緩めて笑った。 まるで、そう。 してやったり、と言うかのように。 ヒノエは一瞬口をひらきかけ、結局それはため息に変わった。 「・・・・本当に型破りな姫君だね。緋色は嫌いだったんじゃないのかい?」 口にしてからふと、気づく。 まるで恋の駆け引きのようだと。 (驚いたね。オレが何の構えもなしにこんな事をいっちまうなんてさ。) 計算も打算もなく、ただそう思ったから咄嗟に口にしてしまった言葉。 それは恋の駆け引きのようでいて、そんな余裕とは無縁のもので。 そんな言葉をヒノエから引き出した張本人は、肩をすくめるように笑って言った。 「・・・・嫌いになれないのが、やっかいなんだけどね」 〜 終 〜 |