とても幸福な夢を見ました
ジリリリリリーンッ!ジッ・・・ガンッ! 渾身の力で主の目をさますという使命を全うしようとした目覚まし時計は、次の瞬間私の手によって無情にも黙らされる。 いつも思うんだけど、目覚ましって頭に響きすぎると思う。 「うるさ・・・・・・・・っ!」 目覚ましに怒ったところでどうしようもないって言うのはわかってはいるけど、どうしても不機嫌な声になるのは止められない。 それでも一応ずるずると目覚まし時計を引き寄せて・・・・文字盤を見た瞬間、目がさめた。 「わっ!今朝日直なのにっ!」 もう起きなくちゃいけない時間をとっくに過ぎてる!? 血の気が引くってまさにこれだって前に友だちと話した事があるけど、本当にそんな感じで私は、ベッドから跳ね起きるなり一直線にクローゼットに飛びついた。 二年目になれば着慣れた制服を秒殺で着込んで机の上に乗っていた鞄をひっつかむ。 部屋を飛び出し階段を駆け下りて洗面所に直行すれば、呆れたような両親の声。 「望美、朝から騒々しいわよ。」 「なんだ?寝坊か?」 「ごめんなさいー!」 幸い一人っ子の私に洗面所使用のライバルはいない。 飛び込んだ洗面所で顔を洗ったり、最低限のケアと長い髪と格闘しているとひょっこりとお母さんが顔を出した。 「朝ご飯は?」 「ごめん!時間ない!」 「まったく・・・・」 しょうがないわね、と言外に聞こえる声に申し訳なく思う。 お母さんだって朝早くから起きてご飯用意してくれてるっていうのはわかってるから。 とはいえ、ゆっくり朝ご飯を食べている時間がないのは紛れもない事実で。 ほんと、ごめん!と心の中で手を合わせると同時にいつものように耳のサイドの髪をピンで留めて洗面所を飛び出した。 リビングを通過する時、今日は機嫌が良いのかお父さんがニヤニヤ笑いながら「頑張って走れよ」なんて余計なエールをくれるから、舌を出してやった。 玄関を出ようとしたら、背中からお母さんの声がして。 「ほら、おにぎり作ってあげたから学校で食べなさい!」 「あ、ありがと!」 可愛らしい巾着袋に入ったおにぎりを受け取るとまだ暖かかった。 その温かさがなんだか妙にくすぐったくて少し笑って、望美は玄関のドアに手をかける。 いつものように騒がしい朝、いつものように穏やかな朝。 ドアを開けて走っていく先には幼なじみや友だちが待っている学校があって、今日も変わらない一日が始まる。 ―― ああ、なんて・・・・ 細く開いたドアの間から朝の光と街の音がする。 後ろの家からはお母さんのやりかけの家事の音と、「いってらっしゃい」という聞き慣れた声。 くすぐったい優しさと、代わり映えしない毎日の少しの退屈に彩られた日々。 ―― なんて・・・・ 「いってきまーすっ!」 勢いよく開いたドアから視界一杯に朝の光が溢れて・・・・ ―― ああ、なんて懐かしくて幸福な日々の記憶・・・・ ・・・・目を開けた時、チカチカと視界で踊る光に望美は目を細めた。 目覚まし時計は鳴っていない。 目をさますと聞こえていた母親が立ち働く音も聞こえない。 (・・・・夢・・・・) ああ、懐かしい夢を見ていたんだ、とまだ覚醒しきっていない頭がゆるゆると理解した。 それはまだ望美が、ただの高校生だった時の夢。 毎日がくだらないけれど楽しい事や、居心地は良いけれど少し窮屈だった場所に彩られていた頃の。 何事もなければそのまま、あの世界ですれ違っていた大人達の仲間入りをしていくはずだった。 けれど、その毎日はある日を境に遠い記憶になった。 暖かく優しく望美を護ってくれていた世界は手の中から零れ落ちて、新たに望美の目の前に現れた世界はけして優しいとは言えない世界だった。 ふっと、望美は上掛けの中にしまっていた手を目の前にかざす。 あの頃、手に合ったのはせいぜいペンだこ程度だった手には刀を握る為についた傷がいくつも刻まれている。 まるでこの世界で望美が生きてきたことを刻み込むかのように。 目覚まし時計を叩いた時の痛みしか知らなかった手は、いつしか人を斬る感触を覚えてしまった。 誰かを護るために誰かを傷つける事を知ってしまった。 (・・・・だから、懐かしいと思うのかも。) 何も知らなかった、知らなくてかまわなかった、あの頃を。 もう戻れないと知っているから、懐かしいと思うのかも知れない。 ―― でも、戻れないことを悲しいとは、思わなかった。 懐かしい面影をしまい込むようにぎゅっと望美が手を握った、ちょうどその時。 かぶせるようにその手が握られた。 「!」 驚いて顔を上げればいつの間に目をさましていたのか、望美を見つめる琥珀色の瞳があった。 望美をこの世界につなぎ止めるその瞳が、どこか不安げに揺らめいているのを見てとって望美は苦笑した。 「夢を、見ました。」 「夢?」 「はい。両親の夢です。懐かしい昔の夢。」 二つめの形容をつけたのは、こう言えばきっと聡い軍師様は気がついてくれると思ったからだ。 懐かしい昔の夢・・・・それは今とは遠く隔たったものなのだ、と。 案の定、少し視線を穏やかなものに変えた彼の胸に望美はすり寄った。 ―― 今はもう、目覚ましがなくても起きられるようになった。 ―― 今はもう、両親の優しい手に助けてもらうことも無くなった。 指の間から零れた暖かい世界を、大切な人達を思い出すと切なさや寂しさを感じるけれど、それはけして失いたくない大切な記憶が胸の中にあるという証拠だから。 夢の余韻で少しだけ寂しさに空いた穴が伝わって来る体温で少しずつ埋まっていく。 それを感じながら望美は今、手の中にある大切な毎日に挨拶をするように笑って言った。 「おはようございます、弁慶さん。」 「おはようございます、望美さん・・・・僕の、奥さん。」 〜 終 〜 |