たまには少しの我が儘を
「九郎さん!土蜘蛛お願い!」 「わかった!はあっ!」 素早く風を切るような太刀さばきで怨霊・土蜘蛛が一閃される。 それは完璧に無駄のない流れるような動きで、剣を扱う武人でなくてもその動きに目を見張るほどだ。 まして、剣を扱う武人ならば師とは微妙に異なり実直で正確に繰り出されるその太刀筋に見とれてしまうのも無理からぬ事。 九郎と同じく剣を使う龍神の神子こと、望美もその例外ではなかった。 しかも望美は九郎と同じくリズヴァーンを師と仰いでいるから、兄弟子になる九郎の太刀筋は憧れそのもの。 だから怨霊との戦闘中といえど、時々はその動きに釘付けになってしまうのもしかたない。 ・・・・のだが。 (・・・・面白くないね。) 今日も今日とて、九郎の太刀さばきに思わずため息などついている望美を横目に、円陣の前衛で得物を構えたヒノエは心中で苦々しく呟いた。 (そりゃ、望美が九郎の太刀筋を気に入ってるのは知ってるさ。九郎の『太刀筋』を。) あくまで九郎本人ではなく望美が見とれているのは太刀筋だと言うことを自分に向かって強調してみるが、やっぱり何処か不快感がぬぐえず、ヒノエは八つ当たり代わりに目の前の怨霊にカタールをくりだす。 『キャシャアァァッ!』 耳障りな声を上げて怨霊が消滅し、同時に望美の力で昇華されていく。 残る敵はあと二体。 どちらもヒノエにとっては相克にあたる金の属性の怨霊だ。 となれば声がかかるのは。 「ヒノエくん!」 凛とした声が背中にかかって、ヒノエは振り向かずに口角を上げた。 (この声は好きなんだけどな。) そんな事を思いながらヒノエが振り返ると目に映るのは駆け寄ってくる望美の姿。 術を使うために近くに来る必要が在るからだとわかっていても、この瞬間は望美が自分だけを見て走り寄ってきてくれるような甘い錯覚を覚える。 だからヒノエは見せつけるように望美に向かって手を広げて、ことさら甘やかに囁いた。 「望美。さあ、おいで・・・・」 「ヒノエくん?ヒーノーエーくんってば!」 相も変わらず大変な一日も終わろうとしている夕暮れ時。 福原から京へ源氏軍と共にやっと戻ってきた望美達も、久しぶりの梶原邸に落ち着いていた。 旅装を解いてやっとほっとしたこともあり、望美とヒノエは連れだって梶原邸の庭に出たのだが珍しくヒノエが無言でちっとも口を開く気配を見せないのだ。 「どうしたの、ヒノエくん。なんか機嫌悪い?」 さっきから何度も声をかけてもことごとく反応してもらえなかった望美が、とうとう少し不安そうにその背を伺う。 その段になって、やっとヒノエは肩越しに望美に視線を流した。 「オレの機嫌、悪いように見えるかい?」 「見えるよ。さっきからずっとそんな調子なんだもん。」 「そう。だとしたら、原因は姫君だけだね。オレが不機嫌な理由、姫君にはわからない?」 足を止めてこちらに向き直ったヒノエの表情も口調もいつものものだけれど、どこかやっぱり不機嫌な気がして望美は首をひねる。 「・・・・ちょっと思い当たらないんだけど、私、何かヒノエくんに嫌われるような事した?」 困ったようにきゅっと眉を寄せる望美を見て、ヒノエは内心苦笑する。 (こんな顔をさせたいわけじゃないんだけどさ。) そうは思っていても、口から零れる恨み言めいた言葉はとどまる所を知らない。 「つれない姫君だね。オレがこんなに想っているのに。」 ヒノエにとっては完全に本心からの言葉なのだが、いつもの口調に紛れてその真摯さは望美には伝わらなかったらしく、望美はますます困惑した顔になってしまった。 「よくわからないんだけど、不機嫌なのはとにかく私が原因なんだよね?」 「そうだよ、望美。お前が原因。」 「私が原因でヒノエくんが不機嫌になるの?」 なんで?と言わんばかりの不思議そうな口調にヒノエは今度こそ顔に出して苦笑した。 そして一歩望美に近づくと顔を覗き込む。 「あのね、望美。お前はオレに賭けてくれたんだろ。紀ノ川でそう言ったよな?」 「え?あ、う・・・・」 「違うの?」 顔が近いせいか、あの紀ノ川での事を思い出したのか少し頬を赤くして顔をそらそうとする望美をヒノエは許さない。 彼女の右肩を捕まえて左手で頬を固定してしまえば望美に逃げ場はなくなり、やむなく望美は正面からヒノエを覗き込む羽目になる。 「で?違うのか?」 「う・・・・その、違わない、けど。」 「よかった。それならオレはお前にとって特別だよな?」 「え?」 一瞬意味を掴みかねた望美が、直後にさっと赤くなる。 その反応が何とも初々しく・・・・酷く可愛くて、ヒノエは癖になっている口笛を短く鳴らす。 「赤くなった、かわ」 「わー!言わなくていい!言わなくて良いから!!」 何故か言おうとした言葉の先を読まれて、望美の手に口を塞がれてしまう。 でも、そんな反応ですら可愛くて仕方ないとヒノエが本気で想っていると彼女は知っているのだろうか。 ヒノエは口を押さえていた望美の手を軽く掴んでその指先に口づけを落とす。 「きゃっ!?」 「まったく、本当に可愛いよ。望美は。・・・・オレに嫉妬させるなんて、お前ぐらいしか絶対いないね。」 「は?嫉妬って誰が誰に?」 「・・・・オレが九郎に。」 ぽろっと口にしてしまってから、珍しくヒノエは激しく後悔した。 無防備にどうしようもない嫉妬心を零してしまった上に、望美ときたら信じられないとばかりに目を見開いているのだから。 「ヒノエくんが九郎さんに嫉妬・・・・?」 「・・・・そうだよ。お前ときたら戦ってる時は九郎ばっかり見ているだろ。」 口から出てしまった言葉(ほんね)は言葉(ほんね)。 こうなったら言ってしまった方が得 ―― こういう計算は速い熊野別当は開き直った。 「紀ノ川より前から望美はいつも九郎に見とれてたもんな。」 「紀ノ川より前って、そんな時から気付いてたの?私が九郎さん見てるの。」 「オレはいつも神子姫様だけを見てたからね。」 これはまぎれもない本当。 いつの間にか戦闘中だって、そうじゃない時だって望美を見ていた。 だから望美が実は九郎を好きなんじゃないか、とか余計な心配をした時期もあったのだが。 「でも・・・・その、見てれくれたなら、ヒノエくんなら気付いてるでしょ?私が見てるのは九郎さんの太刀筋だよ?」 「それもわかってる。わかってるけど、さ・・・・」 中途半端に言葉を切ってヒノエは望美の髪を指に掬う。 なんて言ったらわかってもらえるだろう? 望美がヒノエの言葉に頷いてくれてから、だんだん大きくなっている感情を。 (オレに賭けてくれると言ったなら、オレだけを・・・・信じて、頼って欲しい。) いつだって望美の視線を独り占めしているのは自分でありたいと思ってる、なんて。 けれど ―― ヒノエは指にかかった艶やかな髪を指に絡め取りながら望美を見つめる。 普通の少女のようでいて、その存在は今や源氏軍に無くてはならない精神的支えのひとつになっている龍神の神子。 源氏軍だけではなく、きっと今の世界に必要とされている望美。 その役目を終えるまで、彼女を護るために八葉は絶対に必要なもので、それはヒノエにもよくわかっている。 龍神の神子は一人のものにはなれない。 ヒノエはため息をついて望美の髪を解放した。 「まったく、罪深い姫君だね、望美は。さっさと熊野へさらっていって閉じこめておきたくなる。」 「・・・・そんな事したって逃げ出すよ?」 ちょっと遠慮気味に、でもきっぱり言い切る望美に、ヒノエは目を細める。 (お前のそういうところ、嬉しくなるほど好きだって言ったらお前はどうするかな。) 実はこれだけのやりとりで、鼓動が早くなってるんだって知ったら。 でも今はそういう情熱をぶつけすぎてはいけないとわかっているから、ヒノエはいつもの調子の中に本音の気持ちを柔らかく包み込んで言った。 「わかってるさ。閉じこめて大人しくしてるような姫だったら、本気になったりしない。だから・・・・」 そう言ってヒノエは両手を伸ばす。 「!?」 急に腕の中に引き寄せられて驚いて慌てる望美の小さな体を大事に大事に抱き込んで、ヒノエはくすりと笑った。 (こうしたら、結局伝わっちまうかな。オレがドキドキしている事がさ。) そうしたらこの鈍感な神子姫様に少しくらいは自分の余裕のなさが伝わるだろうか。 無理かな、と苦笑してヒノエはその耳元に唇を寄せて囁いた。 「せいぜいこうしてつなぎ止めるさ。九郎なんかにとられないように、ね。」 ―― おまけ 「・・・・ところで、次の前衛、誰がやるのかな?」 「僕は遠慮します。」 「あ!弁慶ずるいよ!」 「わ、私も・・・・その・・・・遠慮したい。」 「・・・・・・・・・・・・」 「敦盛くん!リズ先生まで何を頷いてるんですか!」 「仕方ないですよ、景時さん。・・・・あの空気に耐えられるのは九郎さんぐらいですから。」 「まあねえ。それにしてもなんで九郎は平気かなあ。」 「そうですね。なにせ・・・・」 「「『恋の炎が翼になるぜ』だもんねえ」ですからね」 「「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」」 「わー!譲くん、泣くなーーーーー!」 〜 終 〜 |