しっぽのきもち
「ねえ、朔・・・・」 夏の熊野路、勝浦の宿の一室でぽつりと言う感じの望美の呼びかけに荷物を整理していた朔は振り返った。 「どうしたの?」 「うん、あのさあ、実は気になってしょうがない人がいるんだけど・・・・」 「あら。」 (これはもしかして恋の打ち明け話かしら。) そんな淡い予感を抱いて朔は柔らかく微笑んだ。 すでに尼僧になったとはいえ、朔とて望美と一歳しか年も違わないお年頃。 おまけにそんな話を振ってきたのが、親友とも妹とも思って大事にしている望美ときたら気持ちが盛り上がらないはずはない。 しかしその朔の表情に何か感じたのか、望美は「違う違う」と片手を横に振って言った。 「そうじゃなくて。気になってるっていうのは、九郎さんなんだけど。」 「九郎殿?仲がいいものね、貴方達。」 「え?そう?なんかいつも怒鳴り合ってる気がするんだけど・・・・」 「それが仲がよく見えるのよ。」 「釈然としないけど、そういうもの?・・・・じゃなくって、そういう話をしてるんじゃないんだってば。」 「じゃあ、どういう話なの?」 「うん。こないだ九郎さんと言い争ってて、ふと思ったんだけどね。」 そう言えば、何かやり合っていたっけと朔が思い出して頷くと、望美はそれまで座っていた場所からおもむろの朔の側へやってきて、言った。 「九郎さんの髪って生きてない?」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・は?」 思わず口をぽかんと開けてしまった朔を誰が責められよう。 しかし望美は意に介した様子もなくそれがさあ、と話の続きを始める。 「九郎さんの髪って怒ったりすると逆立つでしょ?嬉しいと波打つかんじ?なんか・・・・そう、尻尾!犬の尻尾みたいな!」 いや、みたいな、じゃなくて。 危うく突っ込みかけた朔がそこで思いとどまったのは、望美への愛か、はたまた龍神の神子を漫才コンビにしないための無意識の自制か。 「望美・・・・確かに九郎殿は感情の起伏がわかりやすい方ではあるけれど・・・・人間だから。」 「うん、まあ、それはわかってるんだけどここって私にとっては異世界だし、もしかしたらーってちょっとね。」 もしかしたらって、あなた。 今回も突っ込みかけて ―― そこで初めて朔は気付く。 「・・・・貴女、もしかして私をからかってる?」 「あ、ばれた?」 途端に真面目に考え込んでた望美の顔が悪戯がばれた表情になるのを見て、朔は唖然としてしまった。 「望美、貴女ったら。」 「ごめんねー、だって朔だって退屈そうだったし。」 「だからって、突拍子がなさすぎるわよ。もう・・・・」 朔にそう言われて、望美もちょっと照れたように笑う。 その笑顔がなんともくつろいだ、朔にしか見せない子どもっぽいものだったので、朔も思わずつられたように笑ってしまった。 不思議なもので笑いというものは二人になると増幅するようで。 なんだか妙に可笑しくなって朔と望美は顔を見合わせてくすくす笑い出す。 「でもさ、冗談はおいといて九郎さんの髪って尻尾っぽくない?」 「そうねえ。」 「私の世界では髪の長い男の人ってあんまり見なかったっていうせいもあるのかもしれないんだけどね。」 「こちらの世界でも九郎殿ほど長い方は珍しいわ。」 「他の八葉のみんなも長くないもんね。」 「そうね・・・・あ、でも弁慶殿も長かったのではなくて?」 「え?あ、うん。」 弁慶、の名にほんの一瞬、望美の返答に揺らぎが生まれた。 それをしっかり拾っていた朔は、ほんの少しさっきの悪戯への報復のつもりで言う。 「弁慶殿の髪は尻尾の方が望美には良かったかもしれないわね。犬はどんなに隠しても尻尾に気持ちが出てしまうと言うから。」 「さ、朔?・・・・どういう意味で言ってる?」 「さあ、どういう意味かしら。」 「うう、意地悪〜。」 「ああ、でももしかしたら本当に尻尾かもしれないわね。」 「はあ?」 急に思いついた、という感じで言われて望美は眉を寄せる。 さっき自分で同じような事を言ったとは思えないとぼけぶりだ。 その顔を横目で見ながら、朔は悪戯っぽく言った。 「だって弁慶殿はいつも髪を袈裟の薄衣の下に隠しているでしょ?あれは・・・・」 「あ!・・・・なるほど。」 朔の言おうとしているオチに先に行き当たった望美は可笑しそうに頷いた。 「軍師だもんね、弁慶さん。」 「そうよ、だから・・・・」 「「簡単には尻尾を出さない!」」 思わず被った声に、二人が同時に吹き出した ―― その時 「楽しそうですね、お二人とも。」 「「!?」」 穏やかな声が部屋に響いて望美と朔は心臓が止まるかと思うほど驚く羽目になった。 たった今響いた穏やかで低く、何処か微笑んだような声の持ち主に該当する人物は唯ひとりしか居なかったから。 ちょうどその声を背中から浴びた望美がそーっと振り向いた先には・・・・ 「べ、弁慶さん。」 今の今までの話題の中心人物が相変わらずの穏やかな笑みをたたえて部屋の入り口に立っていた。 「い、今の話聞いてました?」 「はい?なんでしょう?」 「・・・・・・」 (聞かれなかった、かな?) にっこりと笑う弁慶の表情には怒っている色も呆れも見ては取れないし、と望美はとりあえずほっとする。 「ところで弁慶さん、どうしたんですか?」 「ああ、少し付き合って頂きたいところがあるのですが、朔殿。望美さんをお借りしてよろしいですか?」 「いいですけれど、危ないところには連れて行かないで下さいね。」 過保護な姉のような言葉に弁慶はふふ、と笑う。 「ヒノエではないんですから、信用して頂きたいですね。」 「それはまあ。・・・・それから、あまりからかわないでください。」 「・・・・それにも、ヒノエではないんですから、とお答えしておきますよ。」 にこやかなやりとりとは別の何かをはっきりしない言葉の水面下でされて、望美は戸惑ったように弁慶と朔を見比べてしまう。 「ではお許しも出ましたし、いきましょう。望美さん。」 「は、はい。」 よくわからないが、確かに朔のOKは出たらしいので、部屋を出て行く弁慶の後を望美は追う。 とはいえ、わけがわからない望美は廊下をてくてく歩いていく弁慶の背中に声をかけた。 「えーっと、あの・・・・弁慶さん?」 「・・・・からかってなど、いなんですけどね・・・・」 「は?」 呼びかけにぴたりと足を止めて弁慶が袈裟の内で呟いた言葉は生憎、望美には聞き取れなかった。 しかしそれについて聞き返すチャンスを望美は失ってしまった。 弁慶がつっと動いて振り返ったから。 しかもその口元にいつもとは少し何か違う笑みを浮かべていたから。 その笑みを見た途端、なんとも言えない感じがして望美は半歩かかとを後ろに引いてしまった。 (・・・・なんか、ちょっと・・・・) 嫌な感じとも違うが、ドキドキするとか、そういう感じとも違う。 強いて言えばそれは・・・・身の危険? 「望美さん」 「は、はい?」 「僕は基本的にこの薄衣を被っていて、外すのは寝る時くらいなんです。」 「は、はあ・・・・」 何が言いたいのかわからず、とりあえず何となく後ずさる望美との距離を弁慶は一歩で縮めてしまった。 そして、さすが武人、とこんな状況なのに望美が感心してしまったほどの身のこなしの早さで望美の耳元に唇を寄せて・・・・それはそれは艶っぽく囁いた。 「それでも、僕の尻尾を見たいと思うなら歓迎しますよ?」 「!?(///)」 ―― それ以来、望美が弁慶の髪を話題にする事はなくなったとか。 〜 終 〜 |