信じるということ
「何故、僕を信じているんですか?」 それは問いかけというにはあまりにも小さな声だった。 ここが厳島という平家の本拠地だからではない。 他に聞かれないように言ったというより、弁慶の心から零れ落ちた言葉だった。 だから潮騒の音に紛れて届かなくても構わなかったのに、半歩後ろを歩いていた望美は「え?」と顔を上げた。 「おや、聞こえてしまいましたか。」 「?聞こうとしたんじゃなかったんですか?」 「いえ、どちらでも構わなかったんです。ただ、少し疑問に思っただけですから。」 そう、ほんの少し疑問を感じただけにすぎなかった。 源氏を裏切るという芝居をやってのけた自分を迷いもなく、何故望美は信じていると言うのかと。 「それは説明したじゃないですか。」 「時空を超えてきた、ということですね。」 「そうです。」 頷いて、望美は多分自分では無意識に顔をゆがめた。 辛そうに、苦しそうに。 その表情が、時空の向こうで何があったのかを透かして見せているようで、弁慶は僧衣の影の表情を隠す。 (やれやれ、「僕」は君に一体何を残したんでしょうね。) 弁慶の計画では清盛を滅した後は、自分も消える予定で望美の知らぬ所で全ては終わるはずだった。 だから何故望美がこんな顔をするのかわからない。 (僕の最期を知っていると言っていたから、会いに行ってしまったかな。) 最期の最期で自分は望美をだましきれなかったのか、と。 そう思うと複雑な気分になる。 だましきれなかったからこそ、望美はここにいるのだとそう思うと自嘲したくなった。 そして同時に疑問にもなるのだ。 時空の先で消えたという「弁慶」は果たして今の自分なのか。 望美は消えた「自分」と今いる自分を重ねて信じていると言っているのか。 「貴女は・・・・」 口に出しかけた言葉を一瞬迷った。 今、こんな事を口にするのは得策ではないと軍師としての自分が感じていたから。 今は清盛と対峙しなくてはならない時。 そんな時に一瞬でも命を預ける相手を疑わせてしまうような事を言っていいわけがない。 けれど。 「僕が貴女の見た「僕」と同じかどうかわからないのに、何故僕を信じられるんですか。」 気がつけば口にしていたのは、心のどこかで不安に思っていたのかも知れない。 時空を超えてきたという望美が自分を見てくれているのかどうか。 いつかの先で喪った「弁慶」を透かしているだけではないのか。 それは本当に弁慶の心から零れた小さな本心だった。 「・・・・・・・・・・・・・」 「・・・・・・・・・・・・・」 降るように沈黙が落ちる。 潮騒の音と浜の砂を踏む音だけが二人の耳に届いていて。 不意に、その足音が乱れた。 ざっと、砂を蹴る軽い音がしたと思った瞬間、紫苑色の髪が弁慶の脇を通り抜けて。 「望・・・」 反射的に声を出しかけた弁慶は自分の目の前で向かい合うように振り返った望美に。 ―― 目を奪われた。 何故なら望美はそれは綺麗に笑っていたから。 それは不思議と酷く大人びているようにも、無邪気な子どものようにも見えた。 ただ言えたのは一つ、とても揺るぎないものだったということ。 「弁慶さん、私を甘く見ないで下さいね。」 「え・・・・」 かけられた言葉は、悪戯めいているのに酷く真摯だった。 そして真っ直ぐに紫苑色の瞳が弁慶に向けられる。 射貫くように、切り込む様にどこか彼女の太刀筋にも似た視線に言葉を失っている弁慶に向かって、望美は言った。 「私はずっと武蔵坊弁慶という人を見てきたんですから。貴方自身よりきっとずっと!」 潮騒の音に望美の声が乗って耳に届いて。 その意味を理解した時、弁慶は初めて困ったように口元に笑みを刻んだ。 「貴女は・・・・」 何て人なのだろう、と。 散々騙して、悲しい思いも苦しい思いもさせただろうに、こんなに簡単に肯定してくれる。 真っ直ぐに向き合ってくれるのだ。 「本当に貴女は・・・・」 「いけない人ですか?」 言葉を先回られて、弁慶は苦笑する。 そして望美との距離を縮めると、手をその頬へ伸ばした。 触れる瞬間、少し戸惑ったのは弁慶で、少し強ばったのは望美。 でも秋の海風に吹かれて冷えた頬に触れた途端に、溶けるような暖かさを感じて弁慶は微笑んだ。 「望美さん。」 「はい?」 「僕は今まで僕自身の未練になるような事はしないように心がけてきました。」 いざと言う時にけして迷わないように。 「でも」 するり、と望美の頬を撫でる指は見えない血に染まっている。 だから本当はこの神聖な神子姫に触れるだけでも禁忌なのかもしれないけれど。 (それでも) 弁慶の言葉を待つように見つめてくる望美を見つめる。 (貴女は目の前にいて、どこまでいっても僕を離してはくれない。) だから。 「ずっとあったようです。僕の未練は。」 手を伸ばそう。 未来に。 君に。 「行きましょう。」 ざっと砂を蹴って望美に並んで弁慶は歩き出した。 また半歩後ろに下がった望美が慌てたようについてくる。 「弁慶さん!」 「なんです?」 「さっきの質問、そのまま返してもいいですか?」 「え?」 「なんで弁慶さんは時空を超えたなんていう突拍子もない話を、あんなにあっさり信じてくれたんですか?」 背中から投げられた問いに弁慶は淡く微笑んだ。 (それを問うところが貴女ですね。) 答えなんてとっくに、望美自身が言っているのに。 そう思ったけれど、少し考えて弁慶は肩越しに振り返った。 その先にはどこか不安そうな望美の視線がまっていて。 向けられた視線に微笑みで答えて弁慶は言った。 「その答えはこの戦いが終わったら教えてあげますよ。嫌と言うほど、ね?」 〜 終 〜 |