―― 君の興味が今は剣術ならば ・・・・さて、どうしましょうか 真剣勝負 京、梶原邸の庭で今日も望美は愛刀の素振りにいそしんでいた。 この世界に来た時に最初に手に取った刀は望美の手に合うように作られたかのようにしっくりと馴染む。 とはいえ、やはりそこは鉄のかたまり。 「箸より重い物は持ったことがない」などとお嬢様気取るつもりはなくても、望美の生まれ育った世界では長時間持ち続ける事のない重さに腕が慣れるまでは大変だった。 しかしそれも以前の話で、今はもう素振りを続ける望美の動きに重さに制約される鈍重さを見られない。 中段の構えからの素振りを一通り終えると、今度は独特の上段の構えに切り替える。 (風を切り伏せるんじゃなくて、風に添うように・・・・) 師の言葉を反芻しながら、望美は右へ左へ刀を振り下ろす。 時に体を返しながら動くその様は見えない敵と戦っているようでもあり、また華麗な剣舞にも見えた。 日の光に時折煌めく刃は神具のように、何も傷つける事などないように見えてその反面何もかも切ってしまいそうな不思議な鋭さをみせ、それを振るう望美もまた神子のようでもあり凄腕の剣士にも見える。 望美の対の少女である朔が舞を舞うように戦うと称したのもうなずける。 しかし望美にしてみればそれは唯の稽古であって誰に見せるものでもないと思っていたから、唐突に耳を打った手を叩く音に驚いてあたりを見回してしまった。 「!弁慶さん。」 「こんにちわ。」 人の良さそうな笑顔を顔に浮かべて誰もいなかったはずの庭に現れた武蔵坊弁慶の姿に、望美もつられるように笑った。 「こんにちわ。声をかけてくれればよかったのに、黙ってみてるなんて人が悪いですよ?」 「おや、すみません。あまりに美しい光景だったので口を挟むのがおしくなってしまいました。」 「あ、相変わらずそういう事をさらっと言うんですね。」 「いけませんか?」 「いけないとか、いいとかそう言う・・・・いいです、もう慣れました。弁慶さんとヒノエくんにからかわれるのも。」 はあ、と疲れたようにため息をつく望美に弁慶は意味深な微笑みを浮かべただけで、それ以上言葉を重ねなかった。 (・・・・こういうところがヒノエくんと弁慶さんの違いだよね。弁慶さんの場合、言葉じゃなくても語るっていうか・・・・) 一瞬、そんな思いにとらわれた望美に弁慶は何事もなかったかのように口を開く。 「それにしても随分熱心ですね。」 「え?何がです?」 「稽古ですよ。昼前も確か刀を振るっていたでしょう?」 その言葉に望美は微妙な表情を浮かべた。 「熱心っていうか、なんていうか・・・・」 「何か理由でもあるんですか?」 「ちょっと・・・・悔しかったから。」 「悔しい?」 「・・・・昨日も九郎さんと手合わせして、負けちゃったんです。」 本当に悔しそうにそう言う望美に、弁慶は小さく笑った。 それを見て望美はむっとしたように弁慶を睨む。 「でも!結構いいところまで追いつめたんですよ!?」 「それはすごいですね。」 「信じてないでしょ?・・・・負けちゃったけど。」 「ふふ、九郎は強いですから。」 「そうなんですよね〜。なかなか勝てなくて・・・・さずがにリズ先生に勝てるとは思わないけど、九郎さんとぐらいは互角に戦ってみたいなあ。」 はあ、とため息をつく望美の横で弁慶がほんの僅か苦笑に近い表情を口元に刻んだことに望美は気がつかなかった。 「望美さんは剣術に夢中ですね。」 「え?ええ、まあ。戦場はまだ慣れないけど、剣を使うのは面白いんだって最近分かってきたんです。人を傷つける手段だって思うと怖いけど、稽古は楽しいです。」 「そうですか。・・・・では試しに僕と手合わせしてみませんか?」 「え?」 思わぬ申し出に望美は驚いて弁慶を見た。 今まで一緒に戦う事はあっても稽古をしたことはない。 「弁慶さんと、ですか?」 「ええ、僕と。剣と長刀の勝負になりますが、よろしければいかがです?」 そう言われて望美は大きく頷いた。 「いいんですか?本当言うとすごく興味があったんです。弁慶さんって九郎さんとも戦ったりしてたんでしょ?いつも無駄のない戦いしてるし、一度手合わせしてもらいたいなって思ってたんです。」 目を輝かせてそう言う望美に弁慶はくすりと笑う。 「ええ、九郎ほどは腕はありませんけどね。では木刀を持ってきましょう。」 「はい!」 しばらく後、望美と弁慶は同じ庭で木刀を構え向かい合っていた。 望美の方は若干細身の木刀。 それに対して弁慶は木で作られた長刀。 「では一本勝負で。」 「はい。よろしくお願いします!」 勢いよく挨拶をして望美はいつもの上段ではなく、中段に木刀をぴたりと構えた。 それを見て弁慶は少し口角を上げる。 (こちらの間合いが長い事を考えての構え。確かに腕は上がっているようですね。でも) 弁慶は手にあった長刀をゆっくりと上段に構えた。 途端にぴりりとした空気が走る。 (うわ・・・隙ない。) 構えのまま自分を見据える弁慶を伺って望美は唾を飲み込んだ。 上段に構えているので一見すると胴ががらあきのように見えるが、そこに打ち込んでいけばあっと言う間に打ち据えられる事は目に見えた。 (どこから打ち込んでいこう?) 攻めあぐねる望美の視線の先で弁慶がいつも柔和な笑みを浮かべている口元に意地の悪い表情を登らせる。 「どうしたんです?打ち込んでこないんですか?」 「!」 挑発とわかっていても望美はむっとした。 これでも戦場を駆け回っている身なのだ。 侮られるのは性に合わない。 しかしこのまま打ち込んでいけば思うつぼ・・・・と望美が隙を伺うように剣先を揺らしたその時、一瞬弁慶の長刀がゆらいだ。 (今っ!) その一瞬を見逃さず望美はあえて空いている胴ではなく、面に向かって木刀を振り込む。 「やあっ!」 「っ!」 ガッ 長刀と木刀の柄が鈍くぶつかり合う音と同時に互いの力を反発するようにして望美と弁慶は双方向へ飛び退く。 が、そこで間を空くような望美ではない。 「はあっ!」 鋭いかけ声と共に、今度は胴へ切り込む。 それを一歩引いてかわし、今度は弁慶は右下から掬い上げるように長刀を振るう。 「!」 きわどいタイミングでそれを避けた望美の前髪を長刀がかする。 しかしそこで間合いを取ることはせず、望美は弁慶の胴へと突きを繰り出した。 「おっと!」 ガツッ! 一歩も引かずに振るってきた刀を自分の得物の柄で受け止めて、弁慶はくすっと笑みを漏らした。 「弁慶さんっ?」 なんとも余裕を滲ませたその態度に、刀に込める力は緩めず望美は思わず声を出した。 その至近距離、合わせた得物の向こうで弁慶は変わらぬ態度で答える。 「確かに強くなりましたね。ですが、まだまだです!」 言った瞬間、今までと比べ物にならない力で望美の刀が跳ね返された。 「!」 予想外の事にはねとばされた望美は僅かに態勢を崩す。 その一瞬。 たったそれだけで勝負がついてしまった。 ―― 首もとにぴたりと付けられた長刀の刃を感じ、望美は荒い息を繰り返す。 足下に気を取られたのは本当に僅かだったはずなのに、弁慶が長刀を振るった事すらわからなかった。 (・・・・これが戦場で弁慶さんが敵だったら) 今ごろは首と胴体は永遠に生き別れていただろう。 ぞっとする反面、猛烈な悔しさが湧き上がってきて望美は唇を噛んだ。 その変化を見て取って、弁慶は未だに長刀を突きつけたまま笑った。 「僕の勝ちですね。」 「〜・・・悔しいけど、そうですね。あー、負けちゃったあ。」 大きく落胆したようにため息をついた望美が空を仰いだのを合図に、弁慶は長刀を降ろす。 その様子を見ながら望美が納得いかない、というように呟いた。 「でも、弁慶さんがこんなに強かったなんて知りませんでした。」 「そうですか?ですが、九郎の方がもっと腕が立ちますよ。」 「・・・・ですよね。なのに、なんで昨日、いい勝負できちゃったんだろ?」 心底不思議そうに呟く望美に、弁慶は苦笑した。 (それはね、九郎が手加減しているからですよ。それも無意識に。) 馬鹿正直な九郎が意図的に手加減していたなら、望美にだってその事が分かっただろう。 しかし、九郎は無意識に手加減しているに違いないと弁慶は思っていた。 無意識に、望美を傷つける事を躊躇って打ち込める瞬間を見逃しているのだ。 なるべく彼女を傷つけない最良の瞬間を探していたのだろう。 それに対してさっきの弁慶は全く手加減を考えなかった。 ただそれだけの違い。 しかし望美がその違いに気付くにはまだ修行する必要があるだろう。 ひっそりとそんな事を考えている弁慶の視線の先で、望美はなんとも悔しそうに呟いた。 「でも、こんなに一瞬で負けちゃうなんて・・・・」 (もちろん。それが狙いですから。) なんておくびにもださず表面上は少し申し訳なさそうに微笑んだまま。 (さあ、罠にかかってください。) 「長刀と刀っていうのもあるのかなあ?」 「さあ、どうでしょうか。でも戦場では異種の武器を使う者も少なくありませんからね。」 「そうだよね・・・・うん。決めた。弁慶さん!」 「なんでしょう?」 「しばらく私の稽古に付き合ってもらえませんか?あ、時間がある時でいいんですけど。」 (・・・・かかった。) 思わず本心から笑いそうになった弁慶はなんとかそれを押しとどめた。 そして何でもない様子を作って笑いかける。 「ええ。もちろんお付き合いしますよ。」 そう言ってすっと望美の耳元へ口を寄せて、吹き込むように囁く。 「可愛い神子殿のためとあれば、いくらでも。」 「!」 思わずという感じで耳を押さえて飛び退いた望美の顔が朱に染まっていくのを満足そうに眺めて、弁慶は小さな声で呟いた。 「・・・・これでしばらくは独り占めできますね。」 「え?な、何か言いました?」 「いいえ、なんでも。さて、本日はこのぐらいにして戻りましょうか。朔殿が待っているでしょうし。」 「そ、そうですね!」 あわあわと木刀を抱えて弁慶に背を向けた望美は気がつかなかった。 その背中を弁慶が実に楽しそうな顔で見ていた事を。 (九郎ばかりに独占させておくわけにはいかないんですよ。・・・・剣術ばかりでなく僕にも興味を持ってもらいますよ?望美さん。) 策士の心の声は当然望美に届くはずもなく。 ―― 罠にかかった望美が、どうなったかは、また別の話で・・・・ 〜 終 〜 |