万策尽きる・・・・その言葉を噛みしめ、脳裏に彼の人の姿を思い浮かべた時 「弁慶さんっ!!」 ―― 奇跡が舞い降りた。 雪中花 幻だと思った。 そうでなければいけないのだから。 雪の平泉の戦場に、いるはずのない人・・・・いてはいけない人がそこにいた。 見慣れた陣羽織、白刃を閃かせて弓矢すらたたき落とす鮮やかな剣さばき。 そして、紫紺の長い髪。 (そんな・・・・はずは・・・・) 瞬きをしてもその姿は消えることなく、混乱する弁慶の目の前で、直前まで勝利を確信し弁慶を討ち取ろうとしていた鎌倉の兵達を切り伏せていく。 (そんな・・・・・・・・・) 真っ白な雪を鮮血が赤く染める事すら厭わず、彼女は刀を振るう。 そこには躊躇いは微塵も感じられず、ただこの状況から生きて逃れようとする確かな意志だけが強く感じられた。 (・・・・だって、貴女は・・・・) 『帰って下さい』 弁慶自身がそう言って、手を離した人。 最後まで泣きそうな顔で弁慶を見つめていた人。 ―― 誰よりも愛しかった人。 その人は時空を越えて、あるべき安全で彼女を包む幸福がある場所へと帰ったはずなのだ。 そして今は幸せに暮らしているはずだった。 両親に愛され、幼なじみ達に護られて。 だから花びらの様に舞い散る雪の中で刀を振るう少女が幻でないはずがない。 命を終える刹那、弁慶が見ている幻でなくては。 ・・・・それなのに 「弁慶さんっっ!!」 最後の一人を地に沈めて振り返った少女は。 ―― 紛れもなく、龍神に愛された・・・・弁慶の愛した人だった。 「のぞ・・・・み・・・さん・・・・・?」 音にすれば胸が酷く痛む事を知っていたから、長いこと紡いでいなかった名を唇に乗せる。 掠れるように、風に浚われてしまうような微かな声に答えるように望美は真っ直ぐに弁慶の元へ駆け寄り、両手を伸ばした。 冷たく冷え切った頬に、指が触れる。 (・・・・熱い・・・・) 幻が熱をもつはずがない。 触れても消えないどころか、弁慶の頬を包んで唇を噛んで心配そうに見つめるはずが。 そう認識した瞬間、弁慶は大きく目を見開いた。 幻ではないのだ。 いてはいけない、と思った人は確かにここに存在するのだ。 「望美さん!何故・・・っう」 叫びかけて、背の痛みに呻いた弁慶に、望美はさっと青ざめる。 「大丈夫ですか!?」 「大・・・丈夫です。たいした傷ではないですから。」 「でも!」 「僕は薬師です・・よ?自分の怪我の度合いぐらいわかります。」 きっぱりと言い切れば幾分望美はほっとしたように表情を緩めた。 その表情もまた見慣れたものだった。 負傷した兵士達を、八葉を見て望美が浮かべていた表情。 弁慶が見つめていた望美の。 「でも・・・・何故・・・・」 (貴女は時空の向こうにいるはず・・・・) 目の前に望美が存在しているとこれほどに突きつけられても、まだ信じ切れず弁慶が零した呟きを拾って。 ―― 望美は鮮やかに笑った それは慈愛に満ちた笑みでもあり、悪戯が成功した子どものようでもあり・・・・泣き笑いのようでもあった。 目を奪われずにはいられない笑顔で望美は言った。 「弁慶さんは、私を甘く見すぎです。」 「え・・・・」 「私が貴方が何を考えているか、わからないと思いましたか? 平家との戦いが終わって、九郎さんの立場が危うくなるかも知れない事ぐらい、これまでの経緯を見ていればわかります。 だから・・・・」 そう言って望美は弁慶の頬に掌をつけた。 頬全体から体温が伝わって、ただただ弁慶はその熱を受け止めながら望美を見つめる。 その視線の先で、望美は切なそうに眉を寄せた。 「弁慶さんが、きっと私を突き放すだろうって事もわかってました。」 「望美さん・・・・」 「貴方は優しい人だから。きっと白龍に力が満ちた後の戦いには私を連れて行ってくれないだろうって。 ・・・・確かに、龍神の神子としての戦いはあの壇ノ浦で終わりだったかも知れない。 弁慶さんに言われた時、そうだって思いました。 そう思ったから」 真っ直ぐに望美は弁慶の瞳を捉える。 白銀の花弁の中にあって、それは至高の一対の輝石のように凛と輝いていた。 (・・・・胸が・・痛い) 「あの時、時空の狭間で白龍に最後に願ったんです。 どうか・・・・春日望美っていう一人の人間の我が儘を押し通すために、白龍の逆鱗を使うことを許して欲しいって。」 「・・・・・・・・・・・・・・」 「それから逆鱗を使ってあの時空から熊野へ跳躍んで、凱旋してきたヒノエくんに力を借りて後白河院に掛け合って院宣をもらいました。 源頼朝を騙す異国の神を討伐せよ、っていうもの。 それを盾に朔と景時さんを説得して・・・・政子さんに憑いていた邪神は倒しましたよ。」 でもそれから奥州まで駆けつけたから、こんなに遅くなっちゃって・・・・と続ける望美を弁慶は見つめていた。 「貴女という人は・・・・」 胸が痛い。 望美が愛しすぎて、壊れそうなほど胸が痛い。 自分がどんな表情をその時したのかわからなかった。 泣いていたのか、笑っていたのか。 ただ無我夢中で望美に手を伸ばした。 背中の傷が痛む事も忘れて、力一杯望美の身体を抱きしめる。 「望美さん・・・望美さん、望美さんっ!」 抱きしめた腕の中から伝わってくる望美の体温が、緩やかに凍り付いていた弁慶の心を溶かす。 望美の手を離し、九郎を生かすことに力を使い切った身体に再び光りが満ちるように、緩やかに確実に。 力加減も考えずぶつけるように抱きしめているのだから苦しくないはずがないのに、望美は何も言わず弁慶の首に手を回していた。 ―― どれくらいそうしていたのか。 ゆっくりと望美を解放して、最初に見たのは笑顔だった。 嬉しそうな、本当に嬉しそうな笑顔に、言葉を失った弁慶に、望美は立ち上がると右手を差し出した。 「立てますか?」 「・・・・ええ、大丈夫そうです。」 「よかった。それじゃ、行きましょう。」 「行く、とは・・・・」 「九郎さん達を迎えに。政子さんが力を失って、混乱している今が鎌倉と交渉するチャンスなんです。 九郎さんと平泉を相手にするのは分が悪いって頼朝さんに思わせなくちゃ!」 よしっ、と気合いを入れる望美に弁慶は目を細める。 「いつの間に、君はそんな一人前の軍師になってしまったんでしょうね。」 望美の手を借りて軽口の様に呟けば、彼女は一瞬驚いた顔をして・・・・それから悪戯っぽく微笑んで言った。 「ずっと凄腕の軍師を見つめていたせいじゃないですか?」 「・・・・それは」 「弁慶さん」 問い返そうとした言葉は己の名に阻まれる。 「私、弁慶さんには言いたい事が山ほどあったんです。 でも、今は言いたいことは一つだけ。 一つだけ、本当に全部が終わってみんなが安心して暮らせるようになったら聞いて下さい。」 「全部終わって、みんなが安心して暮らせるようになって、ですか。」 「はい。それまでは言いません。」 「それじゃ、それを聞くためにも僕はもうひと頑張りしなくてはいけませんね。 ・・・・貴女と一緒に。」 「はいっ!」 「行きましょう、望美さん。」 (貴女が切り開いてくれた新しい道を、確かなものにするために。) 白銀の欠片がキラキラと舞う。 それは桜の花弁のように美しく、未来を垣間見せた。 「行きましょう。」 今度は離さない ―― 離せない、もう二度と。 繋いだ手に僅か力を込めれば、見上げてくる望美の瞳が無限に力をくれるから。 白く続く道を、弁慶と望美は頷きあって走り出した。 ―― 繋いだ手は、離さぬままに。 〜 終 〜 |