策士の恋人
キィンッ!ガッ!キンッ! 源平の争乱も収まり、穏やかな平和を取り戻した京の一角。 梶原邸の庭に不規則だが澄んだ金属音が鳴り響いていた。 「振りが遅いぞ、望美!」 「っ!」 兄弟子にあたる九郎の指摘に、望美は大きく一歩引く。 間合いをとって切っ先ごしに視線を交わし望美が次の踏み込みを考えようとした瞬間、九郎の方がため息をひとつついて太刀を降ろした。 「?九郎さん?」 「今日は終わりだ。」 「ええ!?」 自分も太刀を降ろしたものの、あからさまに不満な顔をする望美を相手にせず、九郎は太刀を鞘に戻す。 「ええ、じゃない。そんな乱れた太刀筋でいつまでも打ち合っていられるか。怪我をする前にやめておけ。」 「・・・・ん・・・・」 言外に何か迷いがあると見抜かれたような気がして、望美は胸の内にすっきりしない思いを抱えたまま自分の太刀を鞘に戻した。 しかし、これで稽古は終わりと立ち去ってしまうかと思っていた九郎は何とも言えない渋い表情のまま、庭先の縁にドカッと腰を下ろす。 「?」 九郎の行動の意味を掴みかねて首をかしげる望美に、彼は微妙にそっぽを向いて言った。 「相談にはのれないが、話すだけでいいならさっさと話せ。」 「!」 ともすれば乱暴ともとれる口調だが、望美はぱっと顔を輝かせた。 伊達に先の争乱で背中合わせて戦っていたわけではないのだ。 九郎の言葉も行動も、それが照れ隠しでちゃんと望美を心配しているから出た言葉だと容易にわかる。 (九郎さんって不器用だからなあ。そういうとこ、可愛いよね・・・・って口に出したら本気で怒られそうだけど。) 望美はそんな事を思い、こそっと含み笑いを浮かべたものの、上手にそれは隠してありがたく九郎に甘えさせてもらう事にした。 戦友であり、兄のようでもある九郎に話を聞いてもらえば何となく胸にわだかまってる疑問やモヤモヤした気持ちも解消できるかも知れないという淡い期待も込めて、望美は九郎に並んで座る。 「それで?」 「えーっと・・・・」 「どうせまた弁慶が絡んでるんだろ?」 朴念仁な九郎にしては恐ろしく勘の良い言葉に望美はギクリとした。 弁慶・・・・武蔵坊弁慶。 元源氏軍の軍師にして、九郎の片腕、そして ―― 現、望美の恋人。 九郎の口から紡がれただけのその名前にまで甘い感情を呼び起こされるほど、大好きな人。 そんな自分の正直すぎる心に望美は小さくため息をついた。 「・・・・やっぱり私が悩んでるのって弁慶さんの事ばっかりだとみんな思うんだ。」 「お前は他のことには潔すぎるぐらい潔いからな。」 「それ褒めてる?」 「・・・・・・・・・・・・・・・」 「考え込まないでよ!まあ、でもそうなのかなあ。朔とか景時さんにもそう言われたし。」 そう言ってまたため息をひとつ。 (あーあ、いつからため息、癖になっちゃったのかな。) たぶん、あの人に恋してからだ、と何処かで考える自分に望美は苦笑する。 穏やかな笑みを常にたたえて優しそうに見えて、実は恐ろしく厄介な弁慶という人に恋をしてから。 (だって何を考えているのか、いつもよくわからないんだもん・・・・) 戦いの最中、そのせいで思い切り振り回されたのは記憶に新しい。 それでもかまわないと飛び込んだのは望美だけれど、戦いが終わった今でさえ ―― 「・・・・九郎さん。」 「なんだ?」 「・・・・弁慶さんって、もてたよね?」 「はあ?」 すっとんきょうな声を出して望美を見返す九郎の視線に望美は真剣な視線を帰すことで答える。 「弁慶さんって・・・・女性の経験、ヒノエくんほどじゃないにしてもあるんでしょ?」 「は?・・・・あ、いや、その・・・・」 ものすごく言いにくそうに口ごもった九郎の顔が少しだけ赤くなっているのが肯定に他ならなくて、望美はきゅっと眉を寄せる。 「やっぱり・・・・」 (そうだよね。熊野でヒノエくんにあった時も、「あんたも自分のこと言わないだけ自覚はあるんだな」とか言われてたし。) それは後先考えたか考えてないかはともかくとして、それなりに女性を口説くという事なわけで。 微妙に曇ってしまった望美の顔を見て、九郎の方が慌てたように言った。 「いや、だが、あいつが遊んでたのは随分昔になるし、それ以降は戦略に必要だからとかそんな理由があってのことだぞ!」 「九郎さん、それは結局同じ事だから。」 「うっ・・・・」 言葉に詰まってしまった九郎に苦笑して望美はため息をひとつついた。 「大丈夫。そんな事はわかってるから。・・・・それに、今、悩んでるのは別の事だし。」 「はあ?じゃあなんでそんな事聞いたんだ?」 「・・・・だって」 どこかすねたような口調になってしまう望美の横で生真面目に返事を待つ九郎。 その反応が恥ずかしいが、望美は結局呟いてしまっていた。 「キスもしてくれないんだもん・・・・」 「鱚?」 「九郎さん、寒い。」 「・・・・よくわからないが、今、俺を馬鹿にしなかったか?」 憮然とした九郎に望美は思わず吹き出した。 「あはは、ごめんね。あまりに古典的なぼけだったからつい。」 「ぼけ?」 「ごめん、気にしないで。キスっていうのはこの時代の言葉では・・・・ええっと、口づけのこと。」 「口づ・・・・」 おそらく、そう言われてここまでの一連の望美の言っている流れを理解したのだろう。 いきなり薄赤く染まる九郎の顔を見て、やっぱり吹き出しそうになるがそこはなんとか我慢した。 ここで笑い出してはいくら何でも九郎に悪い。 「うん、そう。ヒノエくんには「あいつは手が早いからあんまり遅くなるまで側にいたらだめだよ」とか冗談言われたんだけど、手が早いどころか・・・・」 キスもしてくれない。 口に出した途端、さっきまで九郎が少し暖かくしてくれた(本人にとっては不本意だっただろうが)気持ちがすうっと冷えて、最近の悩みが鎌首をもたげる。 正直に言ってしまえば、最初望美はその事に安心すらしていたのだ。 元々一緒に旅をしている頃から弁慶のお世辞とも本気ともつかない甘い言葉を浴びていた望美にしてみれば、彼と恋人同士になるというのはすぐに行為に繋がってしまいそうで怖かった。 それが嫌というわけではけしてないのだが、これまで男性と付き合った経験が皆無に等しい望美としてはいきなり覚悟が決まらなかったのだ。 だから最初は求められないことにほっとした。 ・・・・けれど、それが恋人になって半年も続けば何とはなしに不安になってくるのだ。 (弁慶さんにとって私って何だろう?好きですって言ってくれたけど・・・・) 「本当に私、恋人でいいのかなあ。」 「あのなあ、望美・・・・」 ほとんど独り言に近い呟きに、九郎が呆れたような声を出しかけて、ふいに動きを止めた。 「?九郎さん?」 「・・・・望美、俺には恋愛の機微などよくわからん。だから直接聞いてやる。」 「は?」 「いいから、お前はそこの衝立の後ろに引っ込んでろ。」 「え?何?どうしたの?」 なにやら急に慌ただしく動き出した九郎に、半ば引きずられるように望美は縁に近いところにあった衝立の後ろに押し込まれてしまう。 そして意味がわからずきょとんとしている望美に九郎は念を押すように言った。 「いいか?大人しくしてろよ?」 「?」 なんだかわけがわからないが、とりあえず望美が頷くと九郎はよしと呟いてもといた縁の方へ戻っていった。 そして数秒。 「―― 九郎ではないですか。」 (弁慶さん!?) 聞こえた声に、望美は思わず息を飲んだ。 そっと衝立の影から覗いてみれば、縁側に腰掛けている九郎の横に今は荒法師の姿ではなく薬師の格好をした弁慶が立っていた。 (九郎さん、弁慶さんが来るって気がついたの!?・・・・ちょっと待って。直接聞くって、ええ!?) 衝立の影で望美がひええっと身を縮めているとは知らず、縁側の方で九郎が答える声がした。 「ああ。望美に稽古をつけてたんだ。お前は望美に会いに来たのか?」 「ええ。・・・・それにしても相変わらず仲がいいんですね、君たちは。」 「・・・・気にくわないならもう少し分かりやすく妬け。笑顔が怖い。」 「なんのことです?」 「・・・・・・・・・・・・・・・もういい。」 「ところで、肝心の望美さんはどこへ行ったんですか?相手をしにきた君を放ってどこかへ行くとも思えませんが。」 「あ、ああ。あいつは今、朔殿の所へ行ってる。・・・・ところで弁慶、ひとつ聞きたいことがあるんだが。」 (ほ、本当に聞く気!?) とりあえず息を殺して二人のやりとりに耳を傾けていた望美は、とうとう九郎の核心へ向う言葉にこぼれそうになった声をなんとか堪えた。 聞きたいような、聞きたくないような複雑な気分で望美は会話の先を待つ。 「なんです?」 「いや、そのだな。小耳に挟んだんだが・・・・」 (どこでどうやって小耳に挟むの!) 思わず突っ込みたくなるような九郎の話だしにも弁慶は微動だにしなかったようだ。 何とも言いにくそうな間が開いて、ぼそっと九郎の声が聞こえた。 「お前・・・・望美に、その、何もしていないというのは本当なのか?」 「・・・・九郎、どうかしたんですか?」 心底、信じられない言葉を聞いたという響きの籠もった弁慶の台詞に、かあっと赤くなった九郎の顔が見えるようで望美は苦笑した。 案の定、九郎の大分動揺した声がする。 「べ、別にどうもしない!」 「・・・・本当に君は隠し事に向きませんね。」 「な、何の話だ。」 「望美さんから何か言われたんですか?」 (あーあ、ばれてる。) と思う反面、弁慶の声に潜む堅さに気づいて望美は首をかしげた。 しかし九郎の方はそれには気づかなかったようだが、無駄に隠すこともやめてしまったらしい。 「まあな。」 渋々という感じの肯定に望美は内心悲鳴を上げた。 (ちょっ!九郎さん!言わないでよーー!) キスもしてくれないと悶々と悩んでいたなんて、弁慶に呆れられるに違いない。 出来るなら飛び出していって九郎の口を塞いでしまいたかったが、ここまでの会話を潜んで聞いてしまった身としてはもう出るに出られないし、出る方がよっぽど勇気がいる。 こうなってしまっては望美に出来ることはとにかく九郎の言うとおり大人しく成り行きを見守るだけだ。 ちょうど望美が覚悟を決めた時、小さなため息が聞こえた。 そのため息が予想していた「呆れた」という感じとは少し違う気がして、望美はそっと衝立の影から弁慶を伺う。 九郎を挟んでかろうじて見える弁慶の横顔は、望美が思っていたよりもずっと複雑な表情を浮かべていた。 困っているようにも見えるし、どこか悲しそうにも見えるし、やはり僅かに呆れているようにも見える。 そして弁慶はその表情を崩さないまま、先ほどのため息のようにぽつりと言った。 「・・・・わかってはいるんですけどね。望美さんが不安に思うのは。」 「え?」 (え?) 九郎の声と望美の疑問符が被る。 (わかってたって、つまり・・・・) 「お前、望美が悩んでいる事に気づいてたのか?」 「愚問です。僕が望美さんの事に気がつかないわけがないでしょう?」 それだけはにこやかに言い切った弁慶に九郎が苦笑する。 「確かに、そうか。」 「彼女もあまり隠し事が得意とも言えませんし。・・・・わかってはいたんですけど。彼女の顔が少しづつ曇ってきているのは。」 「じゃあ、なんで望美に何もしないんだ?お前はもう僧でもないんだし、だいたい元からそんな事気にする質じゃないだろう?」 (うん、そうだよ。なんで?) 衝立の影で望美は思わず強く九郎に同意する。 その声が聞こえたわけでは絶対ないだろうが、弁慶は浅くため息をつき。 やがて苦笑に近い微笑みを浮かべて、言った。 「やっぱりまずいでしょう。花嫁を迎える準備が何も整っていないのに、浚ってしまっては。」 「・・・・・・!?」 (・・・・浚うって、ええ!?) 一瞬の間を開けて九郎は絶句し、望美は思わず声を上げそうになった口を慌てて押さえた。 そんな二人(一人?)を尻目に弁慶は、はあ、とさも悩み深そうに息を吐く。 「恥ずかしながら望美さんに関しては自制心がどの程度持つのか自信がないんです。彼女の艶やかな髪や、ほっそりとした手に触れるだけで、いっそ自分の物にしてしまいたいという衝動に襲われるというのに、口づけなどしてしまったらどうなるのか、生憎予想がつかないんですよ。」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 「だからせめてきちんと形を整えてからにしたいんです。 望美さんを軽々しく扱いたくはないので・・・・おや、九郎。どうしました?顔が赤いですよ?」 「・・・・お前」 中途半端に言葉を発したまま絶句してしまった九郎の心境が望美には手に取るようにわかった。 だって今の台詞は ―― 望美は両手で頬を覆う。 触った頬がものすごく火照っているのがダイレクトにわかった。 そのまま体中に溢れた恥ずかしさとか、嬉しさとかはち切れそうな感情を抱き込むように望美は体を小さくする。 (ああ・・・・もう、信じられない・・・・) 望美を前にするとどうなるかわからない程余裕がない、なんてこれ以上ないぐらいの熱烈な告白だ。 はあぁ、とものすごく深いため息が衝立の向こうから聞こえた。 「弁慶にこんな事を言わせるなんて、たいしたものだな、あいつも。」 「それだけ望美さんが魅力的、という事です。」 「・・・・もう、勘弁してくれ。十分だ。」 「そうですか。」 本当にぐったりした感じの九郎に弁慶は食えない笑みで返す。 そしてすっと立ち上がると、僅かの迷いも見せずに弁慶は真っ直ぐに九郎の横を通り過ぎて・・・・ 「―― そういうわけですから、もう少し我慢しましょう?お互いに。」 「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 はい」 ―― 頭の上から少し笑いを含んだ声で言われて、ゆでだこよろしく真っ赤になった望美は両頬を押さえたまま頷いたのだった。 〜 終 〜 |