お酒は二十歳になってから
「おかえりなさぁ〜い」 ドアを開けた途端、舌ったらずな声に迎えられてヒノエは中途半端な格好のままできょとんとしてしまった。 ヒノエの目の前に広がる京からこちらの世界に来て以来の仮住まい、有川家のリビングはなかなかの惨状ぶりだ。 ソファーとテレビの間にあるローテーブルには、何やら飲み物の缶とスナック菓子の袋が散乱している。 普段こんな状況を見たら目の色かえて掃除をし始めるこの家の次男は、ソファーにひっくり返って眠っているようだ。 そしてそんな譲の隣の床にも、一人、九郎が同じくひっくり返って寝ている。 どうも爆睡状態らしい二人を上から覗き込みながら、ヒノエはリビングにいる残りの二人、将臣と望美に目を移した。 「これはまた、何事だい?」 「あー、ちょっとな。これだ、これ。」 肩をすくめて将臣が面白そうに手に持っていた缶をヒノエに向かって振って見せた。 銀色のデザインの缶には、「ビール」の文字。 よく見ればローテーブルに散乱している缶も、ビールとジュースのようだがサワーの缶だ。 「酒かよ。」 「まあな。」 「この世界じゃ、二十を過ぎるまでは呑めねえんじゃなかったっけ?」 意地悪くそう言うと、将臣からの返事より先にさっきヒノエを迎えた声が抗議してきた。 「かたいこといわない〜!譲くんみたい〜」 「・・・・姫君」 視線を将臣から望美に移してヒノエは苦笑した。 外見上はうっすらと赤くなった頬にぐらいしか出ていないが、どうもこっちも酔っぱらっているらしい。 「酒に弱いとは意外だったな。」 「そうでもねえぜ?この缶、半分はこいつが空けてんだから。」 そう言われてみれば、缶は10を越えている。 日本酒などに比べてアルコール度は低いとはいえ、これだけ呑めればなかなかいけるくちかもしれない。 「譲と九郎なんか、1缶も呑めずにダウンだったもんな。」 「そーだよぉ。二人ともすぐ寝ちゃうんだからぁ。」 かたや面白そうに、かたやつまらなそうに言う二人を横目に、ヒノエは寝っこけている二人に少し同情してしまった。 おそらく真面目一辺倒なこの二人の事だから将臣と望美を諫めようとして返り討ちにあったんだろう。 (ご愁傷様。) そんな事を思っていると、くいっとヒノエの服の袖が引っ張られた。 「?」 「ヒノエくんはこっち〜」 振り返ってみれば、望美が自分の隣のソファーをポンポンと叩いて見せていた。 その仕草が、望美にしては子どもっぽくてヒノエはくすっと笑う。 「はいはい、姫君の仰せの通りに。」 「うん!」 ヒノエが隣に座ると、満足そうに望美が擦り寄ってきた。 間近に望美の体温を感じて、とくんっとヒノエの鼓動が跳ねる。 (やれやれ罪な神子姫様だね。) 無防備な望美の様子に、ヒノエは軽く嘆息した。 望美の小さな仕草一つ一つにどれほどヒノエが心を揺らしているかなんて、きっとこの姫君は気が付いていないのだろう。 「無防備過ぎるのは考えものだぜ?」 呟いた言葉が、ちょっとだけ恨みがましくなってしまったのは仕方がないと思う。 けれど、それがお気に召さなかったのか望美はむ〜っと眉を寄せてヒノエを睨んだ。 「なあに?むぼうびじゃないよ。」 「そうかい?じゃあ、オレが愚かなだけかな。こんな風に気を許されると、期待しちまうよ?」 からかうつもりでヒノエが言った言葉に、望美はさも意外な事でも言われたかのようにきょとんっとした。 「きたい?」 その返答にヒノエは苦笑した。 どうも望美は酔っぱらっていても表面には出ないタイプのようだ。 今もちょっとした軽口も通じないぐらいには、酔っぱらっているらしい。 だからウィンク付きでわかりやすくヒノエは言った。 「お前がオレを好きかも、ってね。」 「うん。」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「・・・・え?」 明らかに不自然な間が空いて、珍しくぎこちない動きでヒノエが望美を見ると、望美はにこにこと笑っていた。 そしてちょいちょいっとヒノエに向かって手招きをする。 その動きに惹かれるようにヒノエは望美を覗き込む。 と、ふんわりと望美が嬉しそうに笑って ―― いきなり襟首を捕まれた。 「え・・・」 ヒノエが反応する間もなく、ぐいっと引っ張られたかと思うと・・・・ ちゅっ 「っっ!?」 頬に触れた柔らかい感触に、ヒノエは見事に固まった。 そんなヒノエの反応に満足したのか、望美はヒノエの襟首を開放してかわりに肩にちょこんっと頭をのせる。 「ふふふ・・・・・・・・・すー」 零れていた笑い声が、穏やかな寝息にすり替わる。 その途端。 「・・・ぶっっ!」 とうとう耐えきれなくなったというように、吹き出した声が聞こえてヒノエは我に返る。 そして向かいのソファーで肩を振るわせている将臣を睨み付けたが、そんなものは何の意味もなかったらしい。 余計に可笑しそうに笑いながら、将臣は言った。 「他の連中には言わないでおいてやるよ。」 「・・・・そりゃ、どーも。」 「くっくっ、しっかしそれにしてもよお、珍しいもの見せてくれるぜ。」 心底面白がっている将臣の口調に、ヒノエはバツが悪くなってそっぽを向く。 いつもの煙に巻く言葉も出てこない。 だいたい、こんな顔でそんな言葉をいくつ重ねてみても将臣を笑わせるだけだろうから。 こんな ―― 「真っ赤だぜ、ヒノエ。」 「・・・・うるせえ」 ―― 力無く言い返して、赤い顔をしたヒノエは、大事そうに自分の寄りかかって寝息をてている望美の肩を抱いたのだった。 ―― 翌日、望美が自分が何をしたのか綺麗さっぱり忘れていたのは、お約束、という事で。 〜 終 〜 |